滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』といえば江戸文学を代表する一大雄編であり、近世日本文学においても屈指の傑作として歴史に名を留めていることは広く知られています。けれどなにしろ一大長編作品であり、作品名は教科書で習って知っているけれど、実際の物語の詳細は知らないというのが一般的かと思います。
わたしも子供向けの絵本かなにかで読んだ程度なのですが、ひょんなことから富山へハイキングに行くことになり、にわかに興味をかきたてられたのでした。偶然「伏姫籠穴」の存在を知ったのは、通行止めの認識がなく取り付いた登山ルートをたどったからでした。登山道は上部で崩壊が激しくその上途中まで間違って沢を登ったりとかなりアドベンチャーだったのですが、怪我の巧妙とでもいえるのか、今回の南房総ハイキング最大の収穫を得たのでした。
登山口手前には「伏姫籠穴」と書かれた立派な門柱があり、詳細な説明書きを読んでその存在を知りました。門をくぐって杉林の奥に続く小道に導かれ登っていくと立派な八角形の「伏姫舞台」があります。八本の柱には「八犬士」の名前が書かれていました。さらに奥へ上ると古い石柱に「伏姫籠穴」と彫られた洞穴があり、入り口の真ん中に大きな白い珠が安置されていました。なにやら神秘的な雰囲気を感じながらさらに洞穴の奥に入るとそれぞれ「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」の文字が書かれた黒い珠が並べられていました。
里見家の伏姫が愛犬「八房」と暮らし、のちに懐妊したという籠穴です。八房は姫を取り戻しにきた許婚者により撃ち殺されてしまいますが、伏姫は身の潔白を証明するために自害します。この時姫が持っていた護身の数珠から八つの玉が八方へ飛び散り、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持つ八犬士が誕生してくることになる。。と、かなり端折った言い草ですが、物語の始まりの重要な要素なのだと知りました。
入り口の彫板には「伏姫」自らの言葉による物語りが彫り込まれていました。部分的にかすれていてその場では読みにくかったので画像をとり、パソコンに取り込んで拡大して筆写してみました。以下は出所(南房総市の観光案内の一環)を明記した上での引用です。(一部のルビは省略してあります。)
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伏姫籠穴
伏姫籠穴へ遠路ようこそお越し下さいました。私は里見義実の娘、伏姫でございます。
皆様もご存知と思われます、里見八犬士の母でございます。
ここ籠穴に、愛犬「八房」と永遠の眠りについて、どれほど長い年月が過ぎたことでありましょう・・・。
思い起こせば、「八房」の背中に乗せられ、この山中に辿り着いた時は、私が十六の歳でありました。
ここは富山の山中であり、昔はいつも深い霧が立ち込めた昼なお暗い、人も訪れぬ深山幽谷の地でありました。
夜ともなると、邪悪な悪霊や妖怪が群れ集まり、谷に不気味な叫びが響き渡る阿修羅の世界に変貌するものでございました。
それはそれは言葉では言い尽くせぬ恐ろしい地であり、来る日も来る日も恐怖と孤独に耐え忍ぶ毎日でございました。
私は傍らに「八房」を座らせ、一心に法華経を唱え、心の恐怖と戦う暮らしを続けました。いつしか読経は、富山に木霊し、谷の濃霧を祓い、この谷に明るい陽光が射し入り、闇の悪霊たちも次第に姿をかき消したのでございます。
伏姫と八房の終焉
私が十八歳を迎えた秋の出来事でございます。
ある日、山中で見知らぬ不思議な童子に出会いました。童子は私に妙な言葉を告げるのでした。「お前さまは懐胎をした。体内の子は八つ子である。一旦は形無くして生まれ出よう。その子らは智勇に富み、未来はかならづや里見家の危難を救うことであろう」と・・・
そして数日が過ぎた日、私をこの籠穴から救出せんがため、探索に訪れた父義実の忠臣、金碗大輔が私と八房を見つけ、私から八房を引き離すべく放った鉄砲の一弾は、八房を打ち抜き、さらに私の胸元を貫いたのでございます。
けなげにも八房は私を危機から守るがように私の身体を被い、悲しげな啼き声を最後に息を立ったのでございます。
その時でありました・・・なんと、童子の予言通り、肌身離さずもっていた私の数珠が身体から放れ、それは眩く八つの珠となり、天空に向かって飛び散ったのでございます。私は薄れゆく気の中で、その美しい光り輝く八つの珠が、遠くへ飛ぶ様子を確かに見ておりました。
ああ、それはなんと美しい光景でありましたことか・・・・・。
富山も辺りも黄金のように光り満ち、籠穴には一条の光りが差し込みました。私と八房は温かな光りに包まれ、無常の幸せを感じたものでした。
こうして私と八房は、ありがたくもみ仏のお側にゆくことができたのでございます。
伏姫と八犬士
私と八人の子供についてお話しをいたしましょう。
光り輝く美しい八つの珠が私の子供たちであり、後に八犬士となったのでございます。
天空に飛び散った八つの珠には、それぞれ「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」という八文字が刻まれていたそうです。子供たちの名前に、この文字がつかわれておりました。
犬江新兵衛仁(いぬえしんべいまさし)
犬川壮助義任(いぬかわそうすけよしとう)
犬村大角禮儀(いぬむらだいかくまさなり)
犬坂毛野胤智(いぬさまけのたねとも)
犬山道節忠興(いぬやまどうせつただとも)
犬飼現八信道(いぬかいげんぱちのぶみち)
犬塚信乃戊孝モ(いぬづかしのもりたか)
犬田小文吾悌順(いぬたこぶんこやすより)
子供たちの活躍は「南総里見八犬伝」の八犬士として書き記されており、正義のために勇猛果敢な働きを為したことは、多くの人々にもご存じのことと思われます。
さらに童子の予言は言い当て、後に子供たちの活躍は、里見家再興に奏し、里見義成より領地と姫を授かり、朝廷からは官位を賜わるなど、名誉と富を受けたのでございます。
あとがき
この世で子供たちの顔を見ることや、共に暮らすことは叶いませんでした。しかし、役を終えた子供たちは、私と八房が眠るこの籠穴に集い、終生見守ってくれたのでございます。
私は、里見家に生まれ、母として、世に誇れる八人の子を残し、そして愛する八房と共に、この祠に永眠できたことを、心から幸せと思っております。
ほこらに置かれた白い珠は、私と八房と八人の子供たちの「心」と思し召しください。
私共は、国の安泰と自然と人々の営みと、そして皆様の幸福を、いつの時代も永久に、この籠穴でお守りしております。
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