ブナの沢旅ブナの沢旅
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2023.11.08
那須 木ノ芽沢トンボ沢の滝巡り
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2023年11月8日

沢シーズンも終盤を迎え、好天の二日を確保して只見の小さな沢へ焚き火に行きたかったのだが、仲間が日程を確保できないため泣く泣く日帰りに変更。行けるところは限られるがせめてまだ行ったことのない山へ行こうと、こんな時でないと行きそうもない沢の滝巡りハイキングとなった。

と、最初は愚痴もでたけれど行き先を調べるうちに興味深い歴史の一端が見え始めた。ことの発端は今回のハイキングの出発点に近い何もなさそうな農地に山縣有朋記念館があることだった。なぜだろうと興味をひかれググってみると那須野ヶ原開発の(あくまでも何も知らなかった私にとって)意外な事実が。ぜひ帰りに記念館に立ち寄りたいと思った。

高原山山麓の木ノ芽沢へは堰堤の建設時に整備された「水と緑の広場」が出発点となる。きれいに整備された公園のような広場から木ノ芽沢林道を進む。林道からは何もない穏やかな沢が見える。後半は沢を迂回するように進むと林道終点となり、ここから沢に下る。

 

沢靴に履き替え腹ごしらえをしてようやく出発。もともとあまり時間がない上に、帰りは山縣有朋記念館に行きたい。そのためには3時半までに入館しなければならない。時間を逆算すると東トンボ沢を登り巡視路から西トンボ沢を下降するミニ周回コースは多分無理だろうな。まあ、なんでもいいやという気楽な気分で沢に入る。

地図では標高差もなく穏やかそうなのだが、大岩ゴーロが続いて素直には進めない。こんなはずじゃなかったのに、なんて勝手にイメージした自分が悪い。するとようやくナメが広がり渓相が一変する。大岩がなければもっといいのにと思いながらもニッコリ。

二俣を西トンボ沢に入るとナメ滝が見える。大岩の間をぬって近づくとなかなかきれいな糸状滝。左岸の細流からよじ登ると滝上は沢幅いっぱいのナメになっていた。西トンボ沢は当初巻いて下る予定だったが登って良かったと思う。その上はというと、ふたたび傾斜のある大岩ゴーロとなり、続けてゴーロ滝をかけている。沢が平らになるのを見届けてから二俣へ戻る。

 

 

二俣からは東トンボ沢へ入るが、小さな入り口が岩に隠れてわかりにくい。なんだかパッとしないが少し進むと小滝があらわれ西トンボ沢よりは沢登りの沢らしい。あくまでも比較の問題ながら、いい感じに進むと出ました、東トンボの15m(ほどの)大滝が。

滝に近づき写真を取り合ったりしてしばらく遊ぶ。この上にもう一つ8m(ほどの)滝があるのだが、3時半厳守の方が大事なのでこれにて滝見見物を終了し入渓点にもどる。林道から下った斜面が急だったので登りやすそうな植林帯から取り付いたところ踏み跡につられて上がりすぎてしまう。コースを外してしまうのはいつものことながら、こんな簡単なところでもやってしまった。

 

 

 

林道を一目散に下ったおかげで余裕の下山。山道をもどり3時半前に記念館に入館できた。瀟洒な洋館の建物は山縣有朋の小田原の別荘を移築したものとのこと。なぜこんな僻地に記念館なのかという好奇心で展示物をみると、明治維新後官有地となった日本一の扇状地である那須野ヶ原は明治維新後に華族となった大臣や大将に払い下げられ農場開拓地となった。ちなみに、那須塩原方面に向かう途中の立派な観光地になっている千本松牧場は日銀や金本位制を打ち立てた松方正義の農場だった。一方山縣はドイツ視察中に貴族が農場経営に携わっている姿に刺激を受け、帰国後自らも那須野ヶ原に農場開拓をこころざしたが既に払い下げが終わっていた。そこで権利を持っていたが地元民の反対で事業ができないでいた渋沢栄一に掛け合って譲り受け、入会地となっていた山林利用を将来も認めるなどで地元民を説得し、山縣農場を開設して地元民を小作人として雇い入れた。その後子孫も農場経営を引き継ぎ、第二次世界大戦後の農地改革以前から小作人に土地を与え山林経営に従事している。。。と、付け焼き刃的な理解を得ながら館見学した後は、コーヒーをいれていただきゆったりとした時をすごして帰途に着いた。

そんなわけで、いそぎ足のトンボ沢滝巡りとなってしまったが、こんな機会がなければ知ることがなかっただろう歴史の一端を垣間見ることができ有意義な一日となった。こんなはずじゃなかったトンボ沢なのだが、勘違いしたメロウな風景を見に、いつか源頭部から上半分を周回する機会があるかもしれない。

 

駐車広場9:00ー入渓点10:25/10:50ー西トンボ沢の滝ー東トンボ沢の滝ー林道14:15ー駐車広場15:05