ブナの沢旅ブナの沢旅
▲トップページへ
2012.12.09
会津駒ヶ岳
カテゴリー:雪山

2012年12月9日

 

11月中になんとか体調をととのえ、いよいよ本格的な雪山シーズンの12月となった。雪山始めを考えていたところ、タイミングよく会津駒ヶ岳の話が舞い込み、合流させてもらうことにした。予報は芳しくなかったが、雪を踏んでブナ林を歩ければ本望という控えめな気持ちでのぞんだ。

===============================

前日の夕方に会津高原駅でyukiさんにピックアップしてもらい檜枝岐へ向かう。今回は天候もパットしないし、私の「病み上がり」ということもあり民宿泊まりとなった。Yukiさんの定宿は冬期休業中とのことで、先代が駒の小屋番をされていたという「すぎのや」にお世話になる。

今の時期の宿泊客は常連だけとのことだが、冬季も営業を続けるとのこと。ありがたいことだ。当日も宿泊客は私たちだけだった。山行で民宿に前夜泊するのは初めてのことだが、豪雪期にも営業している宿を応援する意味でもたまには悪くないと思う。質素ながら食べきれないほどの食事と程よい湯加減の温泉で、忘年会のような前夜となった。

前夜降っていた雪は翌朝にはやんでいた。特別のはからいで6時前に朝食を準備してもらうが、けっきょくのんびりしてしまう。出発を見送りながら語った民宿のおばさんの言葉が胸に刺さる。都会の人は雪が楽しいというけれど、自分たちはこれからずっと大変で、雪なんて迷惑なんだと・・・まあ、冗談交じりの言い方だったので、同じような口調で、ホント、そうですよね、都会の人間はいい気なものでスミマセン、といって宿をでる。

私はスノーシュー、yukiさんは車に積んできたワカンもシューも持たずに最初からスキーの足回り。このときは特段気にもとめなかったが、あとで悔やむことになる。空は薄曇りでそれほど悪くない。さっそく昨晩降った新雪を踏んで歩き出すと雪山シーズンの到来を実感する。キュッキュッと雪を踏む音が心地よい。民宿で、昨日5人パーティを含む2パーティが入山している情報を得ていたのでトレースが期待できるかと思ったが、出だしの林道からトレースは消えかけていた。

しばらく林道をたどって登山口の標識の階段を上ると本格的な山道となる。かなりの急登でしかも新雪なためスキーでは苦戦模様。尾根に乗るまではスノーシューの私が先行する。おおむねひざ下程度だが、yukiさんは私の後ろでも時々股下まで沈んだりしてる。

途中で早くも男女2人パーティが下ってきた。先行する5人パーティはまだ登っているらしい。スライドのおかげでトレースが明瞭になり楽になる。1350m付近で急登が終わって尾根が広がると、ブナの大木が点在するようになり雰囲気が変わる。風のせいか樹氷がついていなくて残念だったが、このころには青空が広がり気持ちのいいブナ林の雪山歩きとなった。

後半はスキーのyukiさん先行でどんどん進んでいく。とても順調なペースだ。すると5人パーティが下ってきた。山頂までは行けずに駒の小屋で引き返してきたという。先に下山した2人Pも山頂にはいっていないらしい。トレースがあるから私たちは山頂に行けるだろうと励まされ、その気になる。

1700mを超えるとブナ林からオオシラビソの針葉樹林帯に入り、同時に風雪模様となる。次第に視界も悪くなるが進むのに困難なほどでない。1900mを越えるとシラビソが矮小化し、吹雪いて視界がますます悪くなってきた。1980m付近でyukiさんが立ち止まる。地図を見ると小屋まであとわずかなのだが、トレースが完全に消えてしまった。視界もわるい。

小屋に行っても中に入れるわけではないし、天候は悪化している。もうこれ以上進んでもしょうがないがどうするかと聞かれたので、このような状況では未練もなく撤退を決めた。むしろこんな天気でよくここまで登れたと思う。トレースのおかげだった。

そうと決まれば、さあ下山。Yukiさんはスキーなので、おくれを取らないよう先に下り始める。吹雪でトレースが消えないうちに一気に下り、気が付いて振り返ると人影がない。しばらく待ち、笛を鳴らしたり大声で呼んだりしても返事がない。スキーがそんなに遅れるわけがないので、ひょっとして別のルートで滑り降りているのか。そうならば、私がもたついてはいけないと一抹の不安を抱きながら再び下る。

けれど見渡す限りでは滑り降りた気配はなく、ますます不安は募る。なにか問題が起きたのだろうかと再び立ち止まって待つ。状況がわからないと悪いことばかり考えてしまうものだ。きちんと意思疎通をせずに下ってしまったことを後悔する。登山口で待ち合わせるとか、どこかのポイントで合流するとか確認せずに何となく下ってしまった。

事故の可能性は考えにくかったので、とにかく下山して様子を見ることにした。不安感を抱きながらの下山となったため気持ちに余裕がなく、休憩も取らずにひたすら追い立てられるように下った。林道に降り立つと、新しいツボ足の踏み跡があったので、yukiさんはきっとどこからか先に下ってこれは彼の足跡かもしれないなどと強引に自分を安心させようとする。

けれど民宿前にとめた車は雪をかぶったままで人の気配はなかった。どうしよう、やっぱりまだ戻っていない。いったい何が起こったのだろうと、再び不安が沸き起こるが、とにかく待つしかない。その時ようやく携帯で連絡を取ることを思いついた。電話をかけると呼び出している。よかった、つながっている。

しばらくすると応答の声・・・このときどれほど安堵したことか。声をきくや、ああ、よかったぁ~、今どこですか~と聞くと、ちょうど階段を下って登山口に降り立ったところだった。話を聞くと、滑り降りようとしたがスキー板が滑らず、あきらめて板を外しツボ足で下ったところ、ズボズボ埋まって進めず大変な思いをしながら下ったとのこと。どおりでなかなか降りてこなかったわけだ。けれどそんな風になるとは予想がつかなかった。

新雪期のラッセルを甘く考えてしまったのか、本人もだいぶ焦って後悔した様子だった。結局50分ほど遅れて合流した。とにかく無事に下山できてホッとした。会津駒はスキーで何度も登っていても残雪期だけだったと、新雪期のツボ足の無謀ぶりをしきりに反省していた。

夕方になっても雪は降り続き、帰り道は時に前方がよく見えないほどだった。前日は雪のなかった会津高原駅も真っ白になっていた。結局一晩中降り続き、檜枝岐の観測計の降雪量は一晩で20㎝から100㎝になっていたと翌日報告を受けた。

というわけで、波乱の雪山はじめとなったが、これから本格的に雪山に入る前にいくつか教訓を得ることができた。また、悪天候時の別行動は避けるべきだと感じた。一方で、間一髪で豪雪に閉ざされる前の南会津の山を歩くことができたことは幸運だった。

会津駒1 会津駒2

会津駒3 会津駒4

会津駒6 会津駒5

登山口6:40-1980m折り返し12:15-登山口14:40