ブナの沢旅ブナの沢旅
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2009.09.26
大幽東ノ沢~丸山岳~メルガ股沢
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2009年9月26-28日

 

四月の残雪期に続き、今年2回目の丸山岳に行くことができた。秋に再訪を誓ったことが実現でき、天候にも恵まれて感激の再会となった。思えば、ブナの沢旅を始めてからは毎年4月に南会津の山に入り、はるか彼方の丸山岳に憧れの気持ちを募らせていた。そして今年ようやく、ただただ真っ白く真ん丸い山頂を踏んだとき、さあ、今度は秋に沢を登ってまた来るのだと心に誓ったのだった。

やはり黒谷側からの入渓にこだわった。大幽沢西ノ沢~東ノ沢の周遊コースは西ノ沢がまだ私には厳しそうなので、東ノ沢からメルガ股沢を下って奥只見に抜けるコースを計画。最初は東ノ沢往復が無難かと思っていたが、少し頑張ってみることにした。

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前夜小出駅に降り立ち、仮眠場所を物色。前回テントを張ったところは少し駅から離れていたので駅近くの店の軒下に快適な寝床を見つける。これからはここを定宿としよう。

早朝の只見線は相変わらず乗客がまばらで、先頭車両は私たちだけだった。のんびり朝食をとったり身支度を整えたりと、まるで移動ホテルのよう。只見駅から予約しておいたタクシーで大幽橋まで入ってもらう。

除雪が終わったばかりの4月下旬に来たときは道が荒れており、所々の枝沢からは水が轟々と流れ落ちていたが、今はその面影がかけらもなくなっている。そういえば、あの時は悪路のためレンタカーの車体を石にぶつけてしまい、4万円の賠償料を支払うという情けない事態になったのだった。

4月には床板も手すりもなく怖かった大幽橋を渡って沢に下りた。この先取水堰堤まで巻き道を行くのが一般的なようだが、アップダウンがあって疲れそうだし水量も少ないので、沢通しで進むことにした。いよいよと、気が引き締まる思いで待望の大幽沢に降り立ったのだが、気が抜けるほど穏やかな流れで迎えてくれた。

思い入れのせいか、森の気配がどこか違うなんて感じながらゆったりとした雰囲気に身を任せてすすむと、すぐに唐突に大きな堰堤があらわれた。左端の魚棚を上って進むと沢はふたたび静かなたたずまいとなる。陽がさしはじめ、いまだ明るいブナの葉の下で水面がキラキラ光っている。もうこれだけで幸せな気分。

ちょっとしたゴルジュを右手から小さく巻くとすぐに二俣となる。ここから東ノ沢へ。相変わらず穏やかな渓相が続き、ときどき大岩や淵があらわれてアクセントとなる。しばらくすると沢幅が狭まり廊下となって小滝があらわれた。さらに進むと本格的なゴルジュとなる。ここがサブウリと呼ばれるゴルジュの「通らず」のようだ。

通常は泳ぐか左岸を大高巻きするようだが、腰あたりまでつかって何とか通過することができ、二人とも満足だった。ゴルジュを抜けると窪の沢出合で、一段高くなった左手にいいテンバがあった。見上げると森の緑がいまだみずみずしい。

一日目の目標は奥の二俣。ヨシノ沢に入ってしばらく進むと前方に丸山岳の稜線が見えてきた。心沸き立つが、まだまだ遠いなあ。沢は傾斜があまりないため、地図の印象よりも行程がはかどり、3時には目標の奥の二俣へ到着した。

両沢に挟まれた高台に広いテンバがあってそそられるが、1450mあたりにもテンバ適地があるという記録があったので、翌日の長い行程を考えて少し貯金をすることに。右俣に入ると傾斜が増し、小滝が続いて沢登りらしくなってきた。

1360m付近の左岸にテンバがあり、5時近くなったので大いに迷ったが、もう少し先にもあるはずだからとさらに進んだ。けれどお目当てのテンバなどどこにも見当たらず、沢はさらに傾斜をまして狭まっていったので、途中で引き返すことにして行動を終えた。45分ほど無駄足となったが、枯木は豊富にあり、すぐに焚き火を起こせたのでよしとする。空には星が輝き始め、明日の好天を確信しながら寝床についた。

 

 

さすがに夜は冷えたのか、タープがびしょ濡れになっていた。7時に余裕の出発(のはずだったのだが・・・)。ゴーロ滝を越えながらどんどん標高を上げていく。1450mの二俣を右に進むと再び二俣となり右へ。このあたりから地図ではわからない小さな二俣が出るたびに迷っては試行錯誤となる。

藪コギなしで抜けられる唯一のルートを頭に入れてきたつもりだったが、どこかで食い違いができてしまったらしい。少し戻って仕切りなおし(のはずだった)。今度こそ大丈夫だろうとしばらくは順調に高度を上げていくと、ええっ、聞いてないよーといいたくなるような10mほどの草つきの岩壁に阻まれる。

唖然としつつも、これを越えないと丸山岳には到達できないと覚悟を決めて取り付く。火事場の馬鹿力とでも言うのか、何とかなるものだ。Yさんもしぶしぶ続き、最後はお助け紐で引き上げた。

再び窪を進むと完全な藪となるが、稜線は間近だ。やはり本来のルートよりも南にずれてしまったようで、1750mの稜線に出るべきところ50m足りず藪をこぐ。今年に入って初めての本格的な藪コギだ。たまには藪こぎしないといつまでたっても慣れないなどと強がりを言いながら、悪戦苦闘。

しばらく進んだら北沢からの窪地を見つけることができ、たどって行くと小さな草原が目の前にあらわれた。ヤレヤレと一息。けれどここからの踏み跡がわからず藪こぎの第二ラウンド。

そしてようやくお目当ての丸山岳手前の湿原台地へたどり着いたのだった。なんだかんだと1時間ほどのアルバイト。けれど、苦労したあとの感激は言葉では言い尽くせないほどだった。

黄金色に染まった丸山岳を前に、これが、あの真っ白でまん丸な山の、雪のないときの姿なのねと、感慨深くしばし呆然とたたずむ。かわいい池塘を前に写真をたくさんとり、さあピクニックタイム。なんとYさんのザックからは大きな西洋梨が。草原に寝転び、青い空と丸山岳を眺めながら食べた水みずしい果物は最高の味だった。いつまでもここにいたいと誰もが思うはずだ。ここからは踏み跡も明瞭で、展望を楽しみながら進む。

丸山岳の山頂も小さな湿原となっている。4月に歩いた稜線を目で追うと顕著な山容の坪入山へ。その先に高く続く山並みは窓明から三岩、会津駒へ続く。稲子山から山毛欅沢山へのなだらかなブナロードが懐かしい。無雪期にこの山並みを見渡すことができるなんてと、再び感慨にふける。

さあ、まだ油断は禁物。間違えずにメルガ股沢に下らなければ。ときどき倒木にのって方向を確認しながら、背丈ほどの笹薮を薄い踏み跡をたどって尾根伝いに下る。

藪がうるさいので隙間が見えた右手にトラバースしていくと大木に囲まれたすっきりとした空間となり、緑のテープがあった。少しそれたところを軌道修正できたらしい。下るとすぐに窪となりメルガ股沢に入ったことを確信。これで一安心だ。

1500m位までは涸沢状態で、倒木が多く渓相も荒れた印象だ。途中2箇所で懸垂下降しながら淡々と下っていくが、しだいに時間との競争になっていく。1200mあたりでYさんが小さな平地を指してテンバにできないかなというが、狭くて焚き火ができないので却下。かなり疲れているようだったので、もう少し先に山人さん達の泊まった場所があるはずだからと先へ進む。5時に1120m付近の右岸にそのテンバを見つけた。

当初予定していた1015m川原のテンバに未練があり、あと3、40分で行けるのではと思ったが、Yさんの目が強く訴えていたので行動を終えることにした。新しいスカンポを補充したり多少の整地をして快適なテンバとなり、二日目も簡単に焚き火ができた。1015m上にはテンバなしという記録もあったが、2、3人用テントなら公認のテンバとしてお勧めできる場所になりました。

 

 

最終日は奥只見ダムから浦佐駅直行のバスが5時なので、時間はたっぷりある。7時に出発するが早々に滝が連続し、これまでのように簡単に下れなくなってきた。無理して進んでいたらヘッデンになったかもしれず、昨日は正しい選択だったと胸をなでおろした。相変わらず倒木が多いが、1040mの二俣を過ぎたころから沢幅も広くなり、渓相に少しゆったり感がでてきた。ときどき魚影もみられる。

三角点沢を分けたあたりからは森の様相も好ましくなり、ようやく最初にイメージしていたメルガ股沢らしくなってきた。のんびり下っていくと赤布が見え、小さなナメ滝が落ちていた。きっとメルガ股沢はここから下流の白戸川がいいのだろうなあなどと思いながら、滝の左を登って袖沢乗越へ続く枝沢へ入る。

すぐに水が涸れ、しっかりした踏みあとをたどるとすぐに尾根に上がった。尾根付近には白い樹肌の美しいブナの一群が人知れずたたずんでおり、予想外のことだっただけに感激してしまう。すぐに下ってしまうのは惜しいので、写真を取ったりしてしばし道草。

踏み跡をたどると再びテープが何本も出てきて、下降点であることを知らせている。どうもここは銀座通りのようだ。たしかにメルガ股沢は釣師も多く入っているようだし、丸山岳に一番手軽に登れるルートだ。

しばらく尾根を急降下し、950mの7m滝下で仕入沢に入る。意外と長い沢を淡々と下って昼過ぎに袖沢出合へおりた。思ったより大きな沢だ。渡渉をした川原で一休み。最後のお楽しみとばかり、Yさんが温かいぜんざいを作ってくれた。うーん、我が「ブナの沢旅」は世間とは役割が逆転しているような・・

林道への抜け道を見つけるのに少し手間取ったが、ここはまた通るかも知れないのでしっかり覚えておこう。沢装備をといて着替えを済ませ、さっぱりしてから奥只見ダムへ向かう。あたりの山や森の景観がよく、飽きずに歩いていくと前方の頭上に巨大なダムが姿をあらわし度肝を抜かれる。

橋を渡ってからが最後の課題だ。長い迂回路のような林道のショートカット道があるらしい。そのつもりになって斜面の森を見ると、くの字型の窪みがみえる。左側に注意しながら行くと簡単に入り口がわかった。草で覆われているが道は明瞭だ。

ジグザグ道を10分ほどで開けた空間に飛び出し、ぎょっ!新たな造成工事が進んでいるようで頭上ではショベルカーが作業中。危ないので大声で、すみませーん、通りまーす、といいながら土の山を越えて林道にでた。予想通りの頑丈なゲートを果敢に乗り越え、観光地風のターミナルに下って3日間の沢旅を無事終えることができた。

時間が十分にあるので食事をしたあとケーブルカーでダム湖まで上がり、電力資料館をのぞいてみた。奥只見ダムの歴史をたどったドキュメント映画がとても興味深く、また一つ日本近代史の歩みを知ることができ有益だった。

玄関脇の慰霊碑に目が留まった。裏にまわるとダム建設で無くなった人の名前が刻まれており、その数が百数十名にも及んでいることに驚いた。さまざまな出来事を飲み込んだ広大なダム湖のかなたには、多くの魅力ある未知の渓がつながっているのだなあと想いをはせながら、私たちだけを乗せたバスはシルバーラインの長いトンネルへ入っていった。

 

26日  大幽橋8:30-西の沢出合9:50/10:00-窪の沢出合12:25/40-奥の二俣14:55-1360mテンバ16:55-17:40

27日  テンバ7:00-(この間1時間半のロスタイム)-稜線11:10-丸山岳12:30/13:30-メルガ股下降点14:00-1120mテンバ17:00

28日  テンバ7:00-三角点沢出合8:40-袖沢乗越入口9:50-袖沢乗越10:35-袖沢出合12:30/13:20-奥只見ダム15:00