2006年5月5日―6日
前日まで芦廼瀬川を遡行して十分に満足したのだが、はるばる南紀まで足を運んで1本だけではもったいないと、パート2に選んだのが、果無(はてなし)山脈というロマンをかきたてられる山域の八木尾谷だった。当初は日帰りの沢を2本予定していたが、高桑信一さんの「一期一会の渓」で紹介されていた八木尾谷に目を留めたMiTさんが、出発間際に変更提案をして決めた沢だった。
八木尾橋下の空き地に車を止め、水の無い川原を歩き始める。過去の記録では1時間くらいの川原歩きとなっていたが、10分ほどで水が流れ出していたので沢靴に履き替える。鉄の水門と堰堤を3つ越すと雰囲気がこじんまりとした沢らしくなってきた。
さっそく小さな瀞があらわれる。できるだけ濡れないように右岸をヘツリ進む。右から滝をかける枝沢を過ぎると両岸がドーム状になった8m滝があらわれる。とても取り付ける感じではなく、左を巻く。ゴルジュ帯にはいり、小滝が連続するが、すべて深い釜をもっている。2段6mは水鉛の右壁をロープで確保して登る。
さらに小滝が続くが、大きな釜が横たわっていて近づけず、左岸を大高巻きする。MiTさんとYSさんはあっという間に行ってしまったが、足場が悪く上部は傾斜が急なので、HYさんがロープを出してくれた。一旦登ってからがまた怖く、下が切れ落ちた急斜面をトラバースし、懸垂で沢床におりた。
つづく4m滝も大釜をしたがえ、取り付けなさそうに見えたが、YSさんが滝下まで偵察に行き、続くMiTさんと相談して空身でロープを引き、全員荷揚げして登ることに。上部は手がかりが乏しく、ごぼう状態で這い上がる。
しばらく行くと10mの幅広の大滝が端正な姿をあらわした。見上げると緑が太陽の光に照らされ水しぶきを受けながら輝いている。休憩にもってこいの空間である。ここで吉田さんが写真を取ろうと立ち上がった際、転んでしまい右手中指に怪我をするという事態に。多くの困難な滝を何事も無く果敢にリードしたのに、なんとも無いところで怪我をするなんて・・気をつけなければいけないと肝に銘じる。
左壁を直登して潅木の急斜面を這い上がり、滝の落ち口上に降りる。小滝や釜がとぎれることなく続き、時間も昼近くなったので、YSさんの釣りタイムを設ける。11時45分、初釣果のアマゴがつれた。今晩は期待できそうだと、みんなでさらにプレッシャーをかける。
2段10mは右岸から高巻く。このあたりは高巻きの連続で足場が悪いところも多く、こまめにロープを出してもらう。そのため時間がかかり、先行のベテランチームを待たせることしきりであった。ざれ場の高巻きに弱いことが改めて露呈されたのだが、さらに悪いことが。HYさんが上からバイルを使うよう指示を出してくれたのに「すみませ~ん、持って来ませんでした」と、小さくなる。「なんだとぉ~!持ってないぃぃ!」すごい剣幕で怒られ、大反省!芦廼瀬川では使わずに、すぐに外れて邪魔だったので、置いてきてしまったのだ。飾りじゃないんだから、携帯の仕方が悪いと指摘される。もっともなことだった。
当初は1日目でほとんど遡行を終え、翌日は源頭部をつめて早々と稜線にで、昼前には車に戻れるのではないかと踏んでいたリーダーだが、このころには「いやぁ~、思ったより時間かかっているから、明日中には家に帰れないかもしれないなぁ」と言い出す始末。心の中では、恐縮するのと居直る気持ちが半々だった。今日は二俣までと考えを変えれば時間はあるので、再びYSさんの釣りタイム。こんどは数匹釣り上げ、今晩が楽しみに。
下部がハングしている10m滝も見上げるだけで、左岸を道跡まで巻きあがる。上には古い記念碑の石柱がたっていて、小高く石積みされた塚の上には像が彫られた石板が2本立っていた。このような険しい山中でかつてどんな作業をしていたのだろうかと、しばし思いを寄せる。大きく高巻き、高桑さんの遡行図にある25mのネジ滝らしき滝をも巻いて、二俣手前の沢床に降りる。
ちょうど3時だ。二俣は快適なテンバで、着いたころにはMiTさんがもうツェルトを張っていた。YSさんはさらなる釣果を求めて右俣に入ったらしい。少し高台のテンバから降りたところが手ごろな焚き火サイトで、さっそく火を起こして一服。そんなに大きな滝があるわけでもないが、小さな滝でも大きな釜を持ち、適度な緊張感が持続できる面白い沢だというのがみんなの一致した感想。
私はといえば、ついていくのが精一杯だったものの、とにかく3日目も無事に終わったことに感謝。あとはMiTさんが調理してくれたアマゴとヤマメのソテーをいただくだけ。おいしいとは聞いていたが、予想以上に美味で、初めていただいた私は5尾のうち半分ほどを一人で食べてしまった。こうして最後の沢の夜も、焚き火とともに燃え盛っていったのだった。
まだ工程が長いので、リーダーは6時出発と言っていたが4日目となると体も重くこわばり、朝もなかなか起きられない。予定より50分遅れて出発。さっそくゴルジュのなかに小滝が階段状につづき、小さいながらも釜は深い。
2段10mは左岸の踏み跡を巻き、しばらく進むと2条5mの滝の前に。めいめいが好きなところを登り、つづく4mと5m滝は右壁を水流に沿って登る。6mの岩を筋状に流れる滝を左壁からこえると、数メートル規模の滝の連瀑帯。絶えることなく滝が続き、しかもだんだん大きくなっていく感がある。
幅広の2条9mは上部がつるつるの一枚岩で、補助ロープで引き上げてもらう。やれやれと思う間もなく連瀑帯はさらに続く。もう数え切れないほどだが、高桑本によれば、2m以上の滝は58個で、関西遡行界の大御所と言われる人の素行図でも同数の滝が示されているという。
その後10m級の滝が続き、右から左からと高巻く。いつまで滝が続くのだろうと、いい加減足が棒のようになったころ、ようやく奥の二俣に。すでに出発してから4時間が経過していた。けれど、ここまで来ればあとひと頑張りだ。
ここからはナメがつづくようになり、ようやく穏やかな渓相となる。周りの景色も開けてきて、しだいに水流も細くなり、源頭部の様相をおびてきた。下山にそなえて最後の水を汲み、ウエアを調整して最後の詰めに臨む。
ずっと一緒に行動しているとファミリー感覚になってくるのか、みんなの前で話をしながら平気で着替えてしまう。大したことないといわんばかりのMiTさんは、「Nさんなんて、戸沢のキャンプ場でパンツ姿で歩いていた」という話を披露。
最後の力を振り絞って枝尾根にあがり、靴だけ履き替えてさらに稜線の登山道まで急な潅木帯を這うように登りつめ、ちょうど正午ごろに登山道にでた。倒れこみたい気分だったが、リーダーはこれから有志でブナの平を往復しようと提案。行ってらっしゃい、という気持ちだったが、YSさんがみんなで行こうというので、気を取り直し、ザックを置いて4人でハイキング。
ブナの平は標高こそ1000mそこそこだが、全く未知の世界だった果無山脈の山並みを一つ一つ目で追い、さらにそのさき幾重にも重なるように広がる南紀の山並を見渡しながら、感無量だった。MaTさん残念だったなあと、MiTさん。目の前に広がる果無の山々を一緒に眺めたかったに違いない。遠いけれど、またいつか来ることができるはずだ。
下山後は長い帰路にそなえ、本宮の峰の湯温泉のレトロな公衆浴場で汗を流し、風光明媚な海岸線をひたすら北上。高速道路を乗り継ぎ、何度か食事休憩をしながら、まずMiTさんを降ろし、そのあと横浜まで送ってもらい、帰宅したのが翌朝の4時半だった。
こうして、入会したての1年前には想像もつかなかった、はるか南紀への、つごう6日にもわたる沢旅は、3人の頼もしい先輩に支えられ、思い出多い山行となって心のページに刻まれたのだった。辛抱強くお付き合いしていただき、ありがとうございました。
5月5日 八木尾橋下、入渓点7:10-2段6m9:15-10m幅広の滝11:00-10m大滝12:35-上部ハング10m滝14:05-二俣15:00
5月6日 二俣6:50-6m石滝9:00-奥の二俣10:45-登山道12:20-ブナの平12:35-八木尾橋15:10