すべてを背負ってブナの巡礼@南会津 城郭朝日山

あたりまえのことですが、一人で山に行くにはすべてを一人で背負わなければなりません。まあ、人生も同じですが・・・とくに雪山のテント泊となるとあれこれ道具がふえます。どれも欠かすことができないので頑張るしかないのです。でも山にいけばすべてが報われることがわかっているから頑張れるんですよね〜

4月に入ってから仕事の都合でしばらく山に行けませんでした。なにしろ移動だけで5日間もかかる某国へ。その間はひたすら妄想山行でしのいでいた次第です。そしてようやく機会到来です。想いがつのり、ひとりでお馴染みの南会津へ行ってきました。ずっと懸案になっていたブナ街道の北端、城郭朝日山へ2泊3日の一人旅です。

いきなり大胆な気もしますが、「あれは3年前〜止めるあなた〜家に残し〜動き始めた汽車に〜一人飛び乗った〜♪」って感じで、ちょうど3年前に初めて単独雪山テント泊を試みたのと同じ山域です。あのときは1泊で城郭朝日山手前の恵羅窪山まででした。やはりちょっと怯んで日和ったんですね。だからいつか再訪して気持ちのケジメをつけたいと思っていました。

初日の悪天は織り込み済みだったけれど悲壮感がただよいました。夜中の強い風雪で軽量ツェルトも心細かったけれど、なぜか途中から肝がすわり、すべてを受け入れられるようになった気持ちの変化が不思議でした。

そして翌朝はお約束の快晴〜(そうじゃなかったら来なかったもん)

赤い「小さなおうち」をあとに、なつかしいブナの森をすがすがしい気持ちで歩きました。行けどもいけどもブナだけの山稜です。身も心も軽くあっというまに前回の到達点へ。

さあここからが新しい領域です。とはいえ、しばらくは同じようななだらかなブナ林のアップダウンがつづきます。そしてようやく姿をあらわした城郭朝日山は標高こそドングリの背比べながら、前衛にヤブの岩峰を従え山容もこれまでのブナの山々とは一線を画しています。まさにブナ街道北端の異端児?っていう風貌です。

前衛のヤブ峰を二つ越えると最後は快適なブナ疎林の雪面を一気に登って真っ白な山頂へ。独立峰のような360度の展望が開けたのは意外でした。思わずやったよ〜!。城郭朝日山から南へ山毛欅沢山〜坪入山へと続くブナ街道に最初にやってきたのが2007年。以来ずっといつかは・・・と思い続けていた山に、一人で来ることになるとは思ってもいませんでしたが、いろいろな意味で、期が熟した、ともいえる気がします。

ただ、「小さなおうち」への帰り道が大変でした。意識しないにせよ、そうとう気張っていたのでしょう。たしかに前衛の門番はけっこう手強かったです。核心のヤブ峰をこえてなだらかなブナの森へ戻ったところで急に脱力状態に!歩けないんですよ。こんなことは初めての経験でした。もうホウホウの態でテントに戻り倒れ込んでしまいました。たくさん睡眠をとって回復したから大丈夫だったけれど、携帯も通じない、人と会うこともない奥深い山域に一人で入ることの是非を少しばかり考えさせられました。

まあ、そんなこんなでようやく念願がかない、一人テント泊も板についた?し、教訓も得たしと、一人ならではの得るものの多いブナの巡礼となったのでした。

山は今日20日から大荒れの模様です。無事に念願を叶えることができた幸運に感謝するとともに、今日4月20日のこの日を静かに祝いたいと思います。おめでとう〜

詳細は後日の記録で。

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コメント

  1. ノラ より:

    ブナの沢旅さん 初めましてノラといいます。先週山毛欅沢山を往復した者の片割れです。そしてそちらのテントの脇を通って城郭朝日山に登って降りられたのは「激籔の隙間」を主宰する仕事人さんです。「激籔の隙間」で検索して見て下さい。上は私のブログのURLです。それではどこかでお会いするかもしれませんが失礼します。

  2. akiko より:

    ノラさん、初めまして。

    お知らせのコメントありがとうございます。
    私もトレースやテントの主が気になり、検索をしたところでした。
    城郭朝日山は行く人もまれなので、すぐにヒットしました。激薮の仕事人さんは
    かねてからすごい人だと思ってました。
    ノラさんのブログも拝見しましたよ。私は薮愛好家ではありませんが、積雪期の藪山は好きです(笑)
    いつかどこかでお会いできたらいいですね。

  3. もときち より:

    こんにちわ。南会津にかかわるこちらの写真集を見て懐かしく思い、かつて歩いた山々とコースが出てくるので 思わず心を揺すられてしまいました。村杉岳から撮ったと思われる猿倉山や、今回の山毛欅沢山~城郭朝日や、高幽山~丸山岳などは数十年の時を超え、まるで昨日のようで懐かしさに溺れてしまっております。昔は「写ルンです」だったので、こちらのきれいなデジタル写真集に惹き込まれました、ありがとうございました。

  4. akiko より:

    もときちさん、

    どうして南会津の山々は人の心を揺するのでしょうね。
    <・・・数十年の時を超え、まるで昨日のようで懐かしさに溺れてしまっております。>という、
    この言葉に、今度はわたしが心を揺すられてしまいました。
    南会津では、佐藤勉さんの『我が南会津』がわたしの「バイブル」です。数十年前に歩かれたということは、
    同じ時代ですよね。当時の南会津をたくさん歩かれているというのは興味深いことですし、
    出来たらお話を聞きたいくらいです。
    写真集をみて、懐かしく思ってくださった方がいること知り、とてもうれしく思います。
    コメントをありがとうございました。

  5. もときち より:

    お返事ありがとうございます。うまくは言えないけど、、、「胎内回帰」の概念に似てると思うんです。一回り違いの佐藤勉さんらが所属していらした「南会津山の会」の当時を思えば・・・、いま現在との大きな違いは「交通の便利さ」これだけだと思うんです。栃木県境のどうってことのない枯木山に立つのでさえ、当時は歩いて歩き続けてようやっと麓に至ったわけですから・・・感慨も一入でしたでしょうし。昭和29年当時の銀山平付近の略図なんかを見ますと、一時代との落差を「近代開発の波」の一言では語られないようです。田子倉と銀山平に一筋の生活路があっただなんて信じられない話です。

    バイブルという意味でなら「南会津山の会」の重鎮、川崎精雄さん 望月達夫さん 中西 章さんらの南会津の山に遊ぶ情念に全てが語られていると思います。一節「http://tabilogue.exblog.jp/19794025/」。。。これに続く 成田安弘さんや 森澤賢次さん、佐藤勉さんなどの出稿があったためだと思います。むしろ、かつてサロン風な論壇の集いを一般外部に向けて解放されたものが「我が南会津」であったり、会津山岳会「すかり」であったり、郡山山岳会「南会津の東部の山、西部の山と谷1,2」であったり、峡彩山岳会、新潟山岳会の会報紙誌であったと思っております。

    すべては繰り返され、今に至るものと理解しております。

  6. akiko より:

    もときちさん
    察するに私もほぼ同年代だと思いますが、この半世紀で、山は変わらないのに、人の暮らしぶりは大きくかわりましたよね。私の山歴は浅いですが、交通機関やITが進歩したおかげで遅ればせながら、先人の歩いた山をたどることができる恩恵にあずかっています。

    山行のトレースでは佐藤さんの本を嘗め尽くしましたが、紀行文では川崎精雄さんが心の師匠です。おこがましいですが、川崎さんのような紀行文を書けるようになりたいと、愚直に文章記録を書き続けています。遅れてきたおばさんなので、「すかり」はじめ、山岳会の会報や「南会津山の会」の重鎮の方々の山の本はあらゆるルートで買いあさりました(笑)。

    「いろりばた」のデジタル化には以前から注目していました。ようやくそれが、もときちさんと結びつきました。てっきり南会津山の会のメンバーかと思ってましたが、以前掲載されたものが消されていたのは、著作権の関係なんですね。実はこっそりコピーして取っておきました。

    あらためてブログを拝見したのですが、今年の1月25日には面白山高原駅でニアミスだったんですね。私は始発の電車で到着して南面白山から大東岳へ向かいました。だからまた、どこかでお会いすることもあるかもしれませんね。山のことになると話がつきないのですが、これからもよろしくお願いします。