休養の日曜日ー新編会津風土記を読む

12月26日

11月中旬に風邪をひいてから、完治しないまま仕事と山行を続けていました。今年の風邪の特徴は長引く咳。先日の谷川岳もゴボゴボ(コホコホでなく濁った咳)しながらのチャレンジでした。そんなわけで、さすがに今週末は休養とあいなりました。

山に行かない休日は、地図をながめたり山の本をよんだりして山の世界へトリップしましょう。最近ブナの沢旅では「会津学」がちょっとしたブームになっていて、じつは最近思い切って復刻版の「新編会津風土記」全五巻をネットの古本サイトで購入しました。

新編会津風土記は1803年から1809年にかけて会津藩により編纂された藩領に関する地誌で、江戸時代に編纂された各地の地誌のモデルとなった、日本を代表する地誌といわれています。

会津藩の行政組織は大まかに郡ー組ー村となっていて、風土記は村ごとに、原野や水利、土産、神社・寺院、古蹟、山川などの項目ごとに記述がされています。全体的には官製台帳のようなもので無機質なトーンなのですが、昔の会津の山村民俗をかいま見ることができる貴重な資料です。

全部読むことはできないし、退屈しそうなのですが、山川の項目になじみの山の記述を見つけるとワクワクします。たとえば、丸山岳は記述がなかった(それ自体が当時の認識を示している)のですが、朝日山とならんで黒谷川を落とす梵天嶽がありました。「雑木多し」とあるのは藪が濃いということで、人が登っていたのかと意外ですが、きっと沢から登ったのではないかと想像が膨らみます。

浅草岳は、朝草山または鬼面山としてかなり詳細に記載されています。また「八十里越え」は境澤峠(最高標高点で会津と越後の境界とあるので、鞍掛峠のことか?)と呼ばれ、相当の難路とある。そのため旅人は必ず数日の糧を持ち、頂上には村民が小屋を構えて炊事食器を常設していた・・・など。また、未丈ケ岳は越後国の名で、会津では「四時雪を戴く」大鳥嶽として記載されています。

これまで行った山について、少し斜め読みしただけでも興味をそそられる記述がでてきて、これから追々地図を片手に読んで見ようと思っています。

南会津を中心に5万分の1地図を9枚つなげてときどき眺めているのですが、新編会津風土記にある絵地図と村の情報を書き入れたり、尾根筋をたどり、面白そうな沢の水線を入れたりと、楽しみ方はいくらでもありそうです。そうして作った自分の地図をもとに、会津の歴史を感じながら自由に山行プランを作りたいと願っています。

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