ブナの沢旅ブナの沢旅
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カテゴリー:雑記帳
2011.12.31
2011年のブナの沢旅

月並みな言い方だが、あっという間にまた1年が過ぎた。今年は東北大震災とその後の原発事故という大惨事を抜きにはなにも語れない。そんなことを念頭に置きながら振返ってみた。

ブナの沢旅は、東北のブナの森に魅せられたことがきっかけで立ち上げた山行のコンセプトであり、仲間との「同人」として出発した。2011年10月で5周年を迎えるので、今年はもっと原点の東北へ行きたいと思い、新年の雪山は南八幡平の乳頭山へ。

もう一方では、武尊山周辺に何度か足を運び、仲間の念願である獅子ケ鼻から武尊山へと繋いだ。4月には仙ノ倉北尾根やマナイタグラ山稜にも挑戦。5月の連休には憧れの矢筈岳に立つことができた。天候と仲間に恵まれ、とても充実した雪山シーズンとなった。

震災後にやってきた沢登りのシーズン。今年はもっと東北へ、という気持ちをさらに強くした。6月初旬には2週つづけて仙台の二口山塊へ。シーズン始めに何度か訪れているブナの美しい山域だ。

それ以降は7月と9月の台風被害など全体に天候不順が続き、計画の多くが変更を余儀なくされた。泊まりの沢も少なかった。そんな中で8月初めにふたたび南八幡平の葛根田川へ。小和瀬川と繋いだ沢旅はやはり東北の沢の美しさを存分に感じさせてくれたのだった。

9月には岩手へ向かった。宮沢賢治の世界が広がる小空滝沢。小さな沢だが、大きなイマジネーションを与えてくれた。沢の楽しみ方や切り口を広げるきっかけになりそうな予感がした。

季節は巡り、ふたたび雪山シーズンを迎えた。雪山始めは東北の船形山へ。容易には登らせてもらえない山ゆえ縁を感じざるを得ない。

こうしてざっと振返ると、計画変更を繰り返しつつも、ブナの沢旅は新境地を開きながら歩みを進めているように思える。まだまだ夢の途上だが、夢を持てることは幸せなこと。来年はどんな沢旅、山旅ができるのだろうか。夢を共有し、支え、行動を共にしてくれるすべての仲間に感謝すると共に、どこかにきっといるはずの新しい仲間を期待して新年を迎えたいと願っている。

みなさま、良いお年を♪



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2011.11.16
冠岩沢のブナ倒れる!

ショックです-涙、涙、涙・・・

5月に訪れた冠岩沢の埼玉一のブナが倒壊したことをあるサイトで知りました。おそらく9月の台風のときだと思います。

枝が折れるならまだしも、あれだけ胴回りの立派なブナが根元から崩れてしまうなんて・・・・きっと樹木の中はすでに満身創痍だったのでしょう。

とても残念ですが、自然の摂理にはなにものも諍うことはできません。長い間地に根を下ろして踏ん張ってきて、ついに力つきてしまったのでしょう。

もう実際に視ることはできないけれど、私の目にはしっかりと焼き付いています。ほれぼれする姿でした。写真をたくさんとったことが、せめてもの慰めです。

長い間ほんとうにご苦労様でした(合掌)



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2011.03.21
ブナの沢旅と東北 (東北大震災について思うこと)

「ブナの沢旅」は東北のブナの森から生まれました。そしてその後、四季折々の表情に会いに何度も足を運んでいます。今年だけでもすでに3回雪のブナの森を歩きに行きました。3月彼岸の3連休は、船形連峰の縦走を予定していたところでした。

今その東北が、未曾有の大災害に見舞われています。あらためて言うまでもありませんが、多くの命が失われ、命が助かった方々も困難な状況に置かれています。

そんな状況にあって自分に何ができるのか。考えても無力ですが、山行を取りやめた交通費などを含め精一杯の義援金を寄付したり節電など、身近にできることから始めました。山を愛する人たちの多くは同じ思いで山行をひかえ、節約した交通費やガソリン代などを寄付しているのだと思います。

これから復興に向け気の遠くなるような道のりでしょう。けれど、人間はいざというときには自分で意識していない底力を発揮できるのだと信じています。一度は絶望の淵に追い込まれても、諦めなければ道は開けるのだと信じています。

状況は違いますが、もっとも身近な家族が長年の不治の病の末に死期を間近にしたところで、諦めきれずにあがき、すべてをなげうち一縷の希望を託して長い再生の道を求め、ついにやり遂げたという体験をしました。その体験を通して人生のとても大事なメッセージを得たのでした。決して、決して最後まで諦めてはいけない!ということを。

だから信じています。生き延びた被災者の方々の底力を。生きていればどんな未来も希望も描くことができます。諦めなければ、まわりにはサポートしてくれるシステムがあり人々がいます。みんな応援しています。

このような状況の中ではまだ山へ行く気持ちではありませんが、もう少し落ち着いたら近くの山歩きをしてみようと思います。山に咲き始める花、芽吹きを始める木々に命の力強さと巡り来る春の息吹を感じるために。

そして再び、東北でブナの沢旅ができる日を心待ちにしています。



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2010.12.26
休養の日曜日ー新編会津風土記を読む

12月26日

 

11月中旬に風邪をひいてから、完治しないまま仕事と山行を続けていました。今年の風邪の特徴は長引く咳。先日の谷川岳もゴボゴボ(コホコホでなく濁った咳)しながらのチャレンジでした。そんなわけで、さすがに今週末は休養とあいなりました。

山に行かない休日は、地図をながめたり山の本をよんだりして山の世界へトリップしましょう。最近ブナの沢旅では「会津学」がちょっとしたブームになっていて、じつは最近思い切って復刻版の「新編会津風土記」全五巻をネットの古本サイトで購入しました。

新編会津風土記は1803年から1809年にかけて会津藩により編纂された藩領に関する地誌で、江戸時代に編纂された各地の地誌のモデルとなった、日本を代表する地誌といわれています。

会津藩の行政組織は大まかに郡ー組ー村となっていて、風土記は村ごとに、原野や水利、土産、神社・寺院、古蹟、山川などの項目ごとに記述がされています。全体的には官製台帳のようなもので無機質なトーンなのですが、昔の会津の山村民俗をかいま見ることができる貴重な資料です。

全部読むことはできないし、退屈しそうなのですが、山川の項目になじみの山の記述を見つけるとワクワクします。たとえば、丸山岳は記述がなかった(それ自体が当時の認識を示している)のですが、朝日山とならんで黒谷川を落とす梵天嶽がありました。「雑木多し」とあるのは藪が濃いということで、人が登っていたのかと意外ですが、きっと沢から登ったのではないかと想像が膨らみます。

浅草岳は、朝草山または鬼面山としてかなり詳細に記載されています。また「八十里越え」は境澤峠(最高標高点で会津と越後の境界とあるので、鞍掛峠のことか?)と呼ばれ、相当の難路とある。そのため旅人は必ず数日の糧を持ち、頂上には村民が小屋を構えて炊事食器を常設していた・・・など。また、未丈ケ岳は越後国の名で、会津では「四時雪を戴く」大鳥嶽として記載されています。

これまで行った山について、少し斜め読みしただけでも興味をそそられる記述がでてきて、これから追々地図を片手に読んで見ようと思っています。

南会津を中心に5万分の1地図を9枚つなげてときどき眺めているのですが、新編会津風土記にある絵地図と村の情報を書き入れたり、尾根筋をたどり、面白そうな沢の水線を入れたりと、楽しみ方はいくらでもありそうです。そうして作った自分の地図をもとに、会津の歴史を感じながら自由に山行プランを作りたいと願っています。



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2010.10.01
5年目を迎えたブナの沢旅とHPの引っ越し

10月1日

10月1日はブナの沢旅にとって二つの意味で節目となる「記念日」です。4年前のこの日、奥森吉のブナの森でささやかに「ブナの沢旅」を旗揚げしました。

当時はまだ沢を中心に活動する山岳会に入会して1年半ほどしか経過していませんでしたが、いろいろな事情で山行に参加できなくなり、これからの方向について迷っていた時期でした。

そんなとき、山仲間のSさんに背中を押してもらい、ささやかでも自分で沢の世界を切り開いていこうと、未熟ながら思い切った決断をしたのでした。

その後、自分でも行けそうな沢を一生懸命探して調べて実行し、試行錯誤の繰り返しで少しずつ経験を積み重ねてきました。その中で、情報を集めて計画し、実行することの楽しさを覚えるようになり、記録にとどめたいという欲求がわいてきました。そこで手軽にはじめられるブログを開設しました。

しばらくブログを続けていくうちに、もっと写真を掲載したい、きちんと記録を残したいと思うようになりました。けれど私にとってホームページの作成はとても高い障壁で、諦めていました。そこでSさんもメンバーである、ブナの沢旅のホームページ開設という大義を掲げて作成を引き受けてもらい、2年前の今日10月1日に「ブナの沢旅」HPを立ち上げたのでした。

あれから2年、ブナの沢旅を通して記録の数もふえ、HPとしての体裁もしだいに整って来ると同時に、ある意味自分のアイデンティティを投影する場にもなってきていることに気づきました。それなのに実態はHPの運用を人に丸投げ状態です。忸怩たる思いが強まり、現状を変えたいと思うようになったのでした。

そしてようやく最近になって行動を起こしました。HP作成ソフトを購入し、マニュアルと首っ引きで格闘苦戦すること2日半。ふうっ、なんとか体裁ができあがりました。やればできるものなんですね。今のシンプルな体裁が気に入っているので、ミラーイメージを作りました。

そのために一見なんの変化もありませんが、アドレスが変わりました。(http://bunanosawatabi.com)

なんとか10月1日の2年ごとの節目に間に合ってよかった。この夏にはようやくGPSも手に入れ、苦手意識の強いIT環境を向上させました。これらは今では、安全でより充実した山行に欠かせないツールです。少し前の自分なら信じられないことですが、山の世界をもっと追求したいという強い願いに突き動かされたのでした。

ブナの沢旅は5年目に入りました。これからも心のおもむくままに自由に、山で、沢で、遊びたい。この間、ほんとうにわずかですが新しい仲間もできました。想いを共有できる仲間は、きっとまだどこかにいるはずです。そんな人達と知り合いたい。そして一緒に山に行きたいと願っています。

 



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2010.01.18
磐越西線車窓の山旅

1月18日

 

突然ですが、お気に入りの山々を遠望できる磐越西線を新潟から郡山までつないでみました。ただ電車に乗って車窓から山を眺めるだけの日帰り旅行なんて普段なら思いつかないのですが、週末に仙台遠征に利用した「大人の休日」切符をフル活用してのことでした。

今回の同行者は母です。新潟出身の母は、磐越西線に思い出がたくさんあるようで、懐かしいと喜んでくれました。今まで聞いたこともないような話も飛び出し、興味深い旅行となりました。新潟と福島の20万分の1を片手に、9時過ぎに新潟を出発。

五泉を過ぎると、雪で覆われた田んぼの向こうに菅名山塊、先週縦走した五頭連峰が見えてきます。ほんとうに里山的距離感なのですが、登り詰めた稜線は予想外の素晴らしい世界が広がっていることを知ったばかり。猿和田、馬下駅からは登山口に歩いていけるため、以前時刻表を克明に調べたことがあるました。村杉温泉から登った話をすると、母はあそこに動物園があって、昔行った写真が家にあるというのです。ほんとぉ~。さっそく近々見せてもらうことにしました。

地図を興味深そうに見ながら、そういえばと、母の口から新事実が。父は昔2万5000分の1地図を大量に集めていて一等三角点のことをよく知っていたとのこと。へ~え。どうも机上登山を楽しんでいた雰囲気です。それを聞いた私は目を輝かし、その地図は今でもあるかと聞いたところ、畳の下敷きにして残ったものは捨ててしまったと言われ、ガックリ。戦後間もない地図とのことで、今見たらきっと面白いはずなので残念。

そして、三川駅から登ったという麒麟山の話に。聞いたことがないけれど、地図でみると阿賀野川が大きく蛇行して麒麟の頭のような地形になっているところにある小山で、毎年紅葉狩りのハイキングを楽しんでいたとのこと。さらに地図の東赤谷を見つけ、ここは親戚付合いをしていたお隣の実家があるところで遊びに行ったことがあると懐かしそう。昔は鉱山があったとか、戦後の食糧難のときに山の恵みや蜂の子を分けてもらったなどと、思い出話が続々と出てきます。赤谷はかつて飯豊の玄関口。ここに遠いご縁があった話を聞いてうれしくなりました。

進行方向右手の彼方には小ぶりながら真っ白な山並みが見えます。日本平山から鍋倉山方向かな。渋い沢登りが楽しめる谷沢川の源流部から続くこれらの山の山腹には素敵なブナ林があるのです。いつか行けるかなあ~。そして津川駅は、これまた興味深い遡行が期待できる室谷川が流れ込む玄関口。心に秘めた矢筈岳も室谷川沿いの林道がアクセスとなります。

内陸に進むにつれ、雪も深まっていきました。日出谷駅に入ったら、車窓のラインまで雪があってびっくり。地図を見ると真北に蒜場山があります。ここから残雪期に飯豊主稜線まで縦走することが「飯豊族」の憧れになっているようです。大日岳へ続く水晶尾根の基点、実川や一度行ってみたい湯ノ島小屋も日出谷から入ります。

左手の山並の奥に真っ白な山が見え始めました。飯豊の前衛、会津百名山の高陽山でしょうか。ブナの原生林が多い山であり、集落も近いので、雪の季節に登って見たいな。しだいに沿線は開け、飯豊の玄関口、山都駅へ。去年三国岳に登ったときに初めて降り立ったことが記憶に新しい駅です。山都から郡山への帰路で、高く真っ白に連なる飯豊の山並が見渡せたことがとても印象的だったので、今回も期待していたのですが、残念ながら飯豊は雲の中でした。

喜多方を過ぎると雄大に開けた高原状の光景が展開します。夏はキスゲが美しい猫魔ケ岳がゆったりと裾野を広げ、見入っているうちに終点の会津若松駅へ到着しました。途中大雪による徐行運転のため20分ほど遅れたので、若松での滞在時間は2時間弱。少しあわただしかったのですが予定通り武家屋敷を見学し、食事をして駅にもどりました。

郡山までは快速会津ライナーで1時間。赤ベコのキャラクターがかわいいな赤い列車で、思わず記念写真。ほとんど貸しきり状態の車両で車窓の旅も終盤を迎えます。列車は猫魔ケ岳の裾野を回り込むように走るため、いろいろな角度からの展望が楽しめます。続いて磐梯山が大きく迫ってきますが、スキー場の白いラインが何本も引かれていて不自然さを感じました。

川桁山も会津百名山のブナの山。この山も駅から登れるので頭の片隅リストに入っています。地元の人たちは冬も登っているのか、興味があるところです。そして郡山に近づくと、安達太良の山並が白くかすんで見えてきました。そういえば、遡行した杉田川も石筵川も湯川も郡山が基点でした。

1日中電車に乗りっぱなしでしたが、地図を見ながら右に左に山を眺めていたらあっという間に時間が過ぎました。磐越西線の車窓の山旅は予想以上に楽しく、この地方にまつわる母親の思い出話を聞きながら親孝行もできました。

 



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