ブナの沢旅ブナの沢旅
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カテゴリー:雑記帳
2014.01.08
ホームページを刷新しました

ようやく新しいホームページができ上がりました。これまでのでこぼこながら手作り感あふれたホームページ(?)に不満があったわけではありませんが、きっかけはパソコン環境の移行でした。

いろいろと事情が重なって、10年ほど使っていたWindowsベースのパソコンを再びMacに戻すことに決めました。そこで問題となるのがホームページの移行でした。今まではWindowsベースのソフトを使っていたのでMac環境では使えないのです。

大変な作業だろうなあと思いましたが、どうみてもMacの方がフォントはきれいだし、継承したいろいろな機能が使えて便利だし、今使っているマシンはそろそろ買い替えないといけないし・・・

ということで、自分であれこれやってうまくいかずにノイローゼになるよりはと、知人に頼んで作ってもらうことにしたのでした。2度に渡って我が家に出向いてもらい、現状把握から、こちらの要望のヒアリング、サンプルページをベースにあれこれ改訂、調整を加えました。

今までのシンプルさをできるだけ保つようにすっきりと仕上げました。一度でき上がれば作業は今までよりも簡単で、リストやカテゴリー分類もみな自動的にできあがります。なんて、いまどきブログはそれが標準機能のようで、今まで旧態依然のやり方だっただけのことなのですけどね。

まだ100%の完成版ではありませんので、使いながら微調整することになるでしょう。けれど2014年の新年から新しいホームページで山行記録を掲載したかったので、公開することに決めました。

2013年以前の記録はまだ移行を始めたばかりです。古い記録は旧ホームページをご覧ください。しばらくは新旧HPの並行運用となります。ゲストブックは気軽に誰でも投稿できるので、リンクをはって従来のものを引き継ぎました。これからはもっと訪問者の声が聞ければうれしいなあと思います。

そして最後に、いろいろと注文に応えて素敵なサイトをつくってくれたEijiさん、どうもありがとう!まだしばらくフォローアップをお願いしますね。



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2013.08.19
鳴岩川シラナギ沢(sugi単独)@八ヶ岳

2013年8月19日

メンバー:sugi

 

沢始めの内唐府沢から2か月近く。事情があったとはいえ問題だと、一人で行ける近くの沢を探した。見つけたのが、一昨年、天狗岳に突き上げる河原木場沢に行った際に気になった、隣のゆったりした源頭部を持つシラナギ沢(別名治郎兵衛沢)だ。あまり記録はないが、難しいところはない初級の沢だ。

硫黄岳、横岳方面への登山口となっている桜平まで車で入る。三井の森の別荘地を抜けると道路は唐沢鉱泉方面と桜平方面に分かれる。以前より悪路が改善されているが、それでも慎重な運転が必要だ。

駐車場の手前から道路の両側にはすきまを見つけた車が沢山駐車している。お盆明けだがさすが八ヶ岳。駐車場からゲートを抜けて少し歩くと道は木の橋でシラナギ沢を横切る。標高はもう1880mだ。

家から沢靴を履いてきたので、履き替える手間もなくそのまま入渓する。どうということのない緩やかな流れを少し行くと、堰堤が二つあり、それを越えると谷が狭まり両側から岩壁が迫ってくる。左岸は崩落が進み、岩もろとも落ちてきた倒木が散乱し、荒れた雰囲気だ。細かく砕けた岩が白っぽく、沢の名前の由来だろうか。

滝らしい滝もなく進んでいくと、2050mあたりでナメが現れうれしくなるが、すぐに終わってしまう。左岸からきれいな滝を落とす二俣、左に進むとしばらくして大滝が現れる。唯一の滝と言っていいが、ハングしており登れないので、左岸の尖塔のような大岩を右から回り込み滝上に出る。ざらざらした急斜面だが問題はない。ここまで1時間半ほど、まだ8時だ。

滝上からはおだやかな小川になり、まもなくそれも消えて2160mあたりで涸れ沢となる。八ヶ岳の沢は涸れてからのほうが長い。振り返ると茅野市街、中央アルプスが。これまで日陰だったが、谷が広がり朝日が当たりはじめ急に暑くなってきた。正面に堂々とした根石岳が見えてくる。八ヶ岳の中では目立たないが、根石岳だけが切り取られるとなかなかなもの。

さらに進むと左手に切れ落ちた西天狗南面が見え、小さく人影も見えてくる。ハイマツを避け、ザレ場を選びながら登って行ったが、最後に少しだけハイマツの薄い藪につかまった。それを抜けたところが稜線の登山道だった。10時、3時間半の遡行だ。

何もない沢だが、多すぎるハイカーの登山道を避けたバリエーションの一つと考えれば、静かな山旅を楽しめる。

根石岳、夏沢峠を経て桜平に戻った。

稜線10:00-根石岳山頂10:20-桜平12:20



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2013.02.16
越後奧三面-山に生かされた日々-を観て

 

ようやく、ようやく見る機会を得た。民族文化影像研究所の映画作品「越後奧三面-山に生かされた日々-」は、朝日連峰の懐奥深くに位置する奧三面が、ダム建設により閉村してダムの湖底に沈む直前の、人々の山と共に暮らす姿を四季それぞれの影像を通して綴った記録だ。

影像による記録作業は1981年から村が閉村に至った1985年秋まで行われ、145分という長編記録映画にまとめられて各地で上映された。高い評価を得ていくつかの映画賞も受賞しているようだ。もう30年近く前に制作されたものだが、その存在を知ったのは数年前のこと。沢登りや雪山であちこちの山間地を訪れ、その土地の歴史や山の暮らしに関心を持つようになったからだ。

以前から三面には特別の響きを感じていた。沢登りを始めたばかりの頃、若い頃に険谷遡行に情熱を傾けていた沢やの先輩から三面の沢の話をきいたり写真を見せてもらったことがあった。それ以来、自分には無縁ながらも三面に憧れと畏敬の念を抱くようになっていた。

その三面には一方で、何百年も前から人々が集落を形成し、山と共に暮らして来た歴史があった。縄文遺跡も出土しているという。あんな険しい山奧に・・・と思うが、広大なブナ林に囲まれた奧三面の集落は、豊かな山川の恵みを受け、マタギの集落として山を敬い山に生かされた生活を送ってきた。

影像は、厳しい自然とともに自然の豊かさとそれを享受する人々の知恵を、冬の始まりから季節毎に克明に記録。ある意味究極のエコライフだと思いながら、最初から最後までぐいぐい引き込まれた。2時間半があっという間というより、もう終わってしまったという寂しささえ感じた。そして今見た記録映像の集落とその暮らしは、とっくの昔にダム湖に沈んでしまったのだと、切ない気持ちになった。(なにを、いまさら・・・なのですが・・・)

民族文化影像研究所はその後も影像記録をとり続け、「第二部-ふるさとは消えたか」を完成させている。家々の取り壊しから、閉村、集団移転した人々のその後の暮らしぶりなどを実に11年にわたって記録したものだ。いずれ、この作品の再上映も行われるのではないかと期待している。

ダム湖で沈んだ集落は日本全国至る所に存在する。沢登りでもダム湖にお目にかかる機会がよくあるが、それぞれに奧三面と同じ運命をたどった人々の自然と暮らす営みがあったことを忘れないようにしたい。その上でこれからも暢気に遊ばせてもらおうと思う。

山にかかわるようになったからこそ出会えたことを、心からうれしく思えた日だった。



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2013.01.16
掘り出し物の「日本の名山」全集

 

最近、出版社ぎょうせいが1983年から84年にかけて出版した「日本の名山」全12巻をネット古書店で手に入れた。30年前に出版されたこの「名山シリーズ」は、今では見られなくなったとても立派な箱入りB5版の、山岳写真集と見間違うほどすばらしいカラー写真満載の書で、価格も立派な2800円。

一見すると、収集家がガラス入りの書棚に飾るために買いそうな全集だ。お堅い行政、法規関係や教育図書の出版社ぎょうせいが、なにかの記念かきっかけで大盤振る舞いをして出した全集に見える。きっと売れ行きも悪かったのだろう。今でもネット古書店で二束三文の値で売られている。

とまあ、一見さんざんな印象を与える装丁なのだが、そんな本をなぜ全巻そろえたのか。昨年南会津関係の山の本を集めているとき、安さにつられて「尾瀬・日光と南会津」の巻だけバラで購入したのがきっかけだった。さすがに高価な本だけあって写真は豊富できれいだし、今では見られない貴重な古い写真も掲載されている。
目次を見ると、執筆者も多彩で実用的なガイド本とは一線を画し、多面的な切り口の紀行文や随筆、エッセイ風に紹介されている。故平野長英氏が尾瀬の山と登山家との交流の歴史を綴っているように、それぞれの山の歴史やかかわった人物に焦点が当てられているのが興味深い。
へえ、けっこう面白そうではないかと、もう一冊、「飯豊・朝日と東北の山」を買った。そしてはまってしまった。藤島玄の「飯豊を歩いて半世紀」のエッセイから始まり、「飯豊道」ですっかりファンになった五十嵐篤雄氏の「二王子岳から北股岳へ」、知る人ぞ知る「マタギ-狩人の記録」の戸川幸夫は「秋田マタギの山々」、登山家で随筆家、村井米子の「朝日連峰の杣人とブナ林」など自分のツボにはまるような内容満載なのだ。一方では地元の先鋭的な山岳会による黒伏の岩場の登攀史や登山道のない時代の和賀岳、三面口ルート開拓踏査行など、興味が尽きない。

監修者は今西錦司と井上靖で、編集委員は羽賀正太郎、白籏史朗ら。とくに羽賀正太郎が中心的役割を演じた印象をうける。出版の趣旨や編集後記などはいっさいなく、ある意味いさぎよい。ぎょうせいは金は出すが口はいっさい出さない方針だったに違いない。だって、どう見ても商業ベースで採算がとれる構成にはみえないし、だからこそ、しぶくて筋が通った山の本になったのだと思う。

こうして思い切って全巻そろえることにした。日本の名山シリーズなんて、自分にはほとんど馴染みのない山域の馴染みのない山ばかりなのだが、読み物としてきっと面白だろうという予感。これから少しづつ目を通していくつもりだ。連載の「人物登山史」「山と温泉」「山と文学」も興味深く、山人生ではいまだ思春期にある自分にとってはあれもこれも目新しく新鮮なのだ。日本の山ってホントすばらしい~

30年前の出版なので、即席の登山情報にはならないが、山の歴史は変わらない。山と人の関わりの歴史や文学は時代を超えて輝き続ける。ネットには山の情報があふれているが、「ファーストフード」的なものがほとんどだ。そんな時代のなかで、ちょっとカビ臭いものの、先人の知見を見つけてうれしくなった。だから、ちょっと紹介がてら感想を記してみた。

 



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2012.12.31
2012年のブナの沢旅

今シーズンの雪山は天候の巡り合わせが悪いこともあって、2011年とくらべると全体として地味な山行となった。そんな中で最も印象深かったのは3月初旬の船形連峰の縦走だ。冬の船形は遠く3度目の挑戦だったが、ブナの霧氷に覆われたたおやかな山並みの稜線漫歩は「ブナの沢旅」らしい雪山となった。

ただ、5月連休の神室連峰が悪天で撤退となったのは残念だった。毎年この時期になけなしの3日間の山行を続けてきたのに今年はかなわなかった。大きな宿題として心残りであり、また出直したいと思う。

沢シーズンでは再び楢俣川に入って後深沢から尾瀬を見下ろす稜線に立ったことが印象に残った。楢俣川から尾瀬へは他にもいくつか魅力的なルートがあるので、毎年入渓したい山域だ。

そして今年の夏に、ようやく沢からたどる和賀岳が実現した。大鷲倉沢は変化にとんだすばらしい登路となった。やはり日数をさいた沢ほど思い出深くなるもの。3日間を確保することさえ難しいのが現状だが、来年こそはまだ経験していない3日以上の長旅を計画したい。

また今年は、雪山と沢で単独のテント泊を実現させたことは自分にとって大きな前進だった。来年は肩肘をはらずに単独行を楽しめるようになりたいし、縦走もしてみたいと思う。

けれど挑戦すればリスクも高まる。落石による滑落骨折事故を起こしてしまった。初めてのことだ。幸い大事に至らずにすんだが、リスク管理、安全対策について多くのことを考え、学ぶ貴重な機会となった。

経験も体力も技量もそれほどない「けっこうな年齢」の自分が、今年も憧れの沢や雪山を実現させることができたのは、ひとえに同行してくれた山仲間のおかげなのだ。どれもかけがえのない山行だと感じている。

だから(ブログ仕立てで軽妙な口調で記した方が今風なのは重々承知のうえで)、これからも愚直なまでに丁寧に記録に残して大切な宝物にしていくつもりです。

一緒に山に行ってくれたみなさまへ、アリガトこれからもヨロシク!!



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2012.11.16
リハビリ開始で山歩きの原点へ

 

津室沢で骨折してから3週間。当初から普段の生活にはとくに支障はなかったけれど、咳やくしゃみがでると悶絶したり寝返りが打てない辛さがあった。それもようやくおさまりはじめた。

この3週間は、ある意味幸いにも仕事に忙殺されて山のことを考える余裕もなくあっという間に過ぎた。当初は医者の言いつけ通り4週間後の月末に山行を再開する予定にしていたが、日曜日のあまりにもいい天気に誘われて、少し近くを歩いてみることにした。まだ標高差があるところは自信がないので、手軽に行ける鎌倉の裏山へ。

じつは鎌倉こそ、山を始めるきっかけとなった思い出深いところなのだ。ちょうど10年前の秋だった。それ以前はほとんどworkaholicの状態で週末に遊びに出かけるなんて余裕はなかった。ところが2002年に入り仕事や家庭の事情が大きく変わった。以前よりもフリータイムがふえたのはいいのだが、家にいると悪いことばかり考えてしまい落ち着かなかった。

気晴らしがしたくて鎌倉のガイドブックをパラパラめくり、ハイキングコースに目がとまった。天園コースは2時間!そんなの歩けるわけなーいと、つぎのページへ。なになに、葛原ケ岡と裏大仏コースはそれぞれ30分。うん、これなら大丈夫そう。ザックなどなかったので買い物袋を肩にかけ、1時間ほどあるいて大仏さまに対面したときの爽快感。いまでもよく覚えている。

なんてことのない裏山歩きだったが、すべてが新鮮で興味深かった。頭をからっぽにして目の前の景色にいちいち感心したっけ・・・まあ、こんなところから山歩きがはじまったわけです。楽しさに味をしめ、その後鎌倉から三浦半島方面の低山へと足をのばしたが、まだ丹沢のような「本格的な山」などとても無理と、関心の対象にもならなかった。今思えば、いじらしいほど慎重に山歩きという未知の世界に入っていった。そして翌年の4月にようやく大山に登った。来年の4月1日は10年という節目の記念日だ。それからは我ながら「怒濤の快進撃」。あっという間にブナに恋して沢を愛し「ブナの沢旅」を立ち上げた。

10年前のこんなきっかけを思いだしながら、久しぶりに天園コースを歩いた。すぐに歩き終わってリハビリにはもの足りなかったので、往復しようと戻って途中に踏み跡のある尾根を下ってみた。どの地図にも点線さえ記されていない道だったが、途中の崖下には洞窟社が点在し興味深かった。きっとこんなところが他にもあるのだろうなあと思わせる「発見」だった。なんか、老後の楽しみを見つけたような気がしてニンマリ。

普通に歩くのはまったく問題なかったが、まだ完全に痛みは取れていないので、少しずつ負荷を増やしながら調整していこうと思う。できれば12月中に雪山を踏んで年が越せればいいな。雪山は、越後や会津、東北に行けたらいいな。こう書いているうちになんだかまた元気がわいてきた。



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2012.11.10
落石による滑落事故顛末記@津室沢

11月4日午後1時半頃、津室沢の3段25m滝を高巻いて沢に下降中、背後から落石を受けて転倒、滑落し、第八肋骨を骨折して全治4週間の診断を受けた。具体的な状況については曖昧なところが多いが、事故情報はできるだけ共有することが望ましいと思い、顛末を記すことにした。

3段25m滝は下降の場合、滝下がすぐに泙川本流に出合うほぼ最後の滝だ。赤テープにしたがってある程度登ってから右方向にトラバースすると眼下に泙川本流の川原が見えた。そこで急斜面ではあるが、立木に補助ロープをかけかえながら下っていった。ある程度下ったところで傾斜が緩んだので、一足先にロープなしで左にトラバースして小尾根状の斜面に移動。そこからさらに少し下ったところで、落石を知らせる叫びが聞こえた。

トラバースしたので同行者は自分の真上にはいないはずだと思い、そのまま下り続けようとしたところ、ほんの2,3秒後に背中に大きな衝撃を受けた。落石の直撃だった。ドーンと突き飛ばされるように体が倒れて一回転したあと斜面を滑り落ちた。落石はザックにあたったため痛みとかはなく、一回転しているときも暢気なもので、「あれっ、なんだか平気だわ、どこも痛くないわ」と心の中でつぶやいていたことを覚えている。

どのくらい滑落したのかは不明だが10m前後ほどだろうか。滑り落ちながら前方に立木が見えたので、木を手がかりにして止まろうと膝を曲げて足裏で踏ん張る姿勢をとった。ドスンという衝撃音と共に滑落は止まった。ところが衝撃の弾みで上半身が逆さになってしまい、苦しい姿勢なのに起上がれない。ザックを捨てようとバックルをはずしてみたが、手の位置が悪くて肩からはずすことができない。諦めて大声で助けを呼ぶのとほぼ同時に同行者が降りてきて、引っ張り上げてくれた。

この間、自分は訳のわからないうちに転げ落ち、あれこれ考える余裕などなかったが、一回転して転げ落ち視界から消えそうになった様子を目撃していた同行者の方が恐ろしい思いをしたのではないか。あとで聞くと、手助けして起き上がるまではヘリを要請しなければならないかと思ったそうだ。

態勢を立て直し、一息入れるととくにひどく痛む所もなかったので、そのまま慎重に斜面を下って川原に降り立った。ここで落石の状況を聞いた。石の大きさは20センチ程度とのこと。石は同行者の足下ではなくすこし右の位置から斜め左に落ちていき、気付いたときはすでに2人の距離の中間にあったという。具体的な位置関係の記憶は定かでないと言うが、ロープを片付けたところから私がトラバースした方向へ進んでいる最中に落石が発生した。作業中か移動の際に間接的に浮石を誘引したのかもしれないし、そもそも自然発生の落石かもしれない。

やはりまったく無傷はあり得ず、しだいに左の背中と左の膝に痛みが出て来たが、なんとかザックを背負ったまま歩くことはできた。かなり時間がかかりそうなので同行者に先に戻ってもらい、車が入れるところまで迎えに来てもらうことにした。

最初は枯木を杖代わりにしてトボトボ歩いていたが、むしろ背中の痛い部分を手で押さえつけるようにして歩いた方が早く歩けることがわかった。車に合流後は着替えをすませ、洗濯物以外の山道具はすべて宅配便で送ってもらうことにした。ザックを軽くできたおかげでなんとか無事に帰宅し、翌日整形外科医で診断を受けた。

レントゲン診断の結果肋骨が1本折れていたが、医者からはこの程度ならたいしたことはないがしばらくは動かないようにいわれた。肋骨はもともと骨折しやすく、咳のしすぎや疲労などでも折れる場合があるらしい。

事実関係はざっと以上のとおりだが、自分としてもいくつか反省点がある。まずは2人とも落ち葉が積ったザレ斜面を下るさいの落石の可能性や危険性をほとんど頭に入れていなかった。あとでロープを出したあたりの写真をみると大きな石が点在している。落石の認識があれば、離れて行動することはしなかったはずだ。

もう一点は、ある程度下ったところでもう大丈夫と油断してロープ下降をやめてしまったことだ。あの時ロープで下っていれば落石の方向を確認でき衝突を回避できたかもしれない。事故というのは気の緩みの隙を突いて起こるものだと頭ではわかっていたはずなので悔やまれる。

けれど今回のような場合、落石を回避する方法が他にあったのかどうかよくわからない。ラクの声を聞いてからあっという間に落石をうけたので、とっさに避けることができたかどうか、かえって振返っていたら体の正面にあたっていたかもしれない、などと思ってしまった。

今回は骨折とはいえ、それほどの大事に至らずにすんで幸いだった。そして多少手荒な形ながらも貴重な教訓を得ることができた。この体験を無駄にせず、これからも気を緩めることなくリスク管理を万全に整えながら、今まで通りの遊びを続けていきたいと思うのだった。



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2012.02.16
オオカミに捕まった週末

山に行くつもりで用意していたのに、前夜オオカミに囚われてしまい翌日の山をすっぽらかしてしまった。当事者は本人だけなので人に迷惑をかけたわけではないが、なんのこっちゃ・・・小倉美恵子著「オオカミの護符」を読み始めたら引き込まれてしまい、ハイキングの時間が惜しくなったのだ。

川崎市宮前区にある土橋の古い農家で生まれ育った筆者が、自宅の土蔵に貼られていた「黒い獣の護符」に疑問を持つところから話が始まる。祖父母はその獣をオイヌさまと呼んでいたという。そして謎解きのような過程をへて「武蔵国」に広がっていたオオカミ信仰にたどり着く。

舞台は三峰神社や御岳山の御嶽神社へと広がる。奥多摩から奥秩父一帯にはかつてニホンオオカミが棲息しており、オオカミ信仰と符号する。また、三峰神領のお百姓は多くが和名倉山に畑を持ち、出作りと呼ばれる焼き畑を行っていたという。痩せた土地で作物を確保しなければならない山の暮らしでは、古来から焼畑は重要な農法だった。そしてオオカミは、イノシシやシカなどの獣から作物を「守ってくれる」ありがたい存在だったのだろう。そういえば、狼はけものへんに良いと書くよなあと、はじめて意識した。

今年の正月に、宮崎県椎葉村で今でも焼畑農を営んでいる、くみこおばばの1年を追ったドキュメント番組の記憶が新しい。今でも焼畑が行われていることに驚き、千年来変らない山の暮らしぶりに感動をおぼえた。同時に、せっかく実った作物が一夜にしてイノシシや鹿に食べられてしまう現実も写しだされた。

三峰神社の護符は猪鹿除け目的で発行されたのが最初だったという。西洋では悪者のイメージが定着しているオオカミだが、日本ではとくに山で暮らしてきた人々には神と祀りあがめられてきたのだ。

なぜか昨年はフクジュソウのオオドッケから始まり、浦山の冠岩沢、秋には市ノ沢から和名倉山、長沢背稜と、まさに「武蔵国」のニホンオオカミの生息地を歩いたのだと思うと訴える力も増してくる。ぐいぐい引き込まれていたところ、たまたま昨日の夜、NHKのETV特集で「見狼記~神獣ニホンオオカミ」という番組が放映された。山の暮らしを守った見えない力としてオオカミ信仰が紹介されると同時に、現代にオオカミをよみがえらせようとしている人たち、山でオオカミを見たという目撃者の証言などが紹介された。

その真偽はさておき、目撃情報は飛竜山や浦山川周辺に集中していた。ここで再び、そういえばと、荒沢谷に狼谷という名前の支流があることを思いだした。ガイド本には「狼の棲息が伝えられるロマンあふれる谷」と紹介されている。これまで気にとめなかったが、ようやくその意味がわかった気がした。

すべてが断片的で皮相的な理解だが、山・自然と人とオオカミの関係を少し知ることができた。これから奥多摩や奥秩父の山をもっと深く感じられそうな気がする。山には行かなかったけれど、山のおかげで広がる世界をまたひとつ感じることができた週末となった。そして、いつか荒沢谷狼谷を歩いてみたいと、またまた妄想がふくらんだのだった。



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2012.01.16
ある遭難死を悼む

いつも記録を楽しみにしていたmoto.pさんが滑落死したことを知り、いまとても動揺しています。年末から山梨県北杜市の沢にアイスクライミングに出かけ消息をたってしまったところ、年明けに遺体で発見されたとのことです。

誰でも「お気に入り」としてブックマークをつけているサイトがあるはずです。私も山関係でいくつかのサイトを「お気に入り」箱に入れています。その一つに「moto.pバリエーションしましょ」というタイトルの興味深いサイトがあります。

記録は一見型破りでアナーキーに見えますし、文章もおちゃらけ風に書いているのですが、かなり緻密でしっかりとした信念と技量を持っている人に違いないと注目していました。もちろん面識はありませんし、山の趣向も経験もレベルも違いすぎるのですが、ときどき私も行けそうな鼻歌交じり風の沢の記録もあるので参考にしていました。毎週山に行って必ずタイムリーに記録をアップしているので、いつも今度はどこへ行ったのかな~と楽しみにしていたサイトでした。

それなのにお正月明けでも一向に更新がなく、気になっていました。このところは毎日覗いていたのですが、表紙の画面はクリスマス連休の、しかも山仲間の追悼山行の記録でストップしたまま。さすがに悪い予感がして、もしやとBBSを覗き、心臓が止まりそうになったのでした。遺体発見の新聞報道は1月6日付けとなっていました。

もっと早く気付けば良かったと思うのですが、きわどい山行をしながらも慎重な人だと思っていました。けれど事故というのは誰にでもどんなときにでも起こりうることであり、ましてや単独のアイスクライミングは相当リスクも高い遊びです。最悪のことが起こってしまいました。

単独行の危うさをあらためて感じさせられました。昨年矢筈岳ですれ違った人が遭難したのも、単独でなければ必ず助かったはずだといまだに確信しています。年末に大室山茅ノ尾根を歩いたときも1ヶ月前に同じ尾根を歩いて行方不明になった単独者の情報を求めるチラシが何カ所かに貼ってありました。同じく年末に単独で丹沢の沢に入った人が滑落死しています。

けれどだからといって「危ない山行」をしない方がいいとは思いません。山を楽しむ人は、それぞれの山行形態に見合うリスクをよく理解し、リスク管理をしっかり心がければ、ハイリスクハイリターンの山を楽しむことができるのです。

Moto.pさんに何が起こったのかわかりません。 「冬場は、ちょっとしたことで、命を落としますから覚悟を持って臨みましょう。」これが彼が発した最後のメッセージだというのはなんという運命のいたずらでしょう。

これまで楽しい記録をたくさんありがとうございました。安らかにお眠り下さい(合掌)



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2012.01.16
「懐かしき南会津」~今年はもっと南会津へ!

 

年末に注文していた本が元旦に届いた。最近は元旦でも配達するのかと意外だったが、今年最初に手にした本が佐藤勉著「懐かしき南会津」であったことは、今年のブナの沢旅の想いを象徴しているようだ。

著者はかつて南会津に多くの先駆的な足跡を残しており、その記録は「我が南会津」としてまとめられている。その時に目にした山村風景や人情については山行記録の性格上あまり語られなかったが、大きく変った山里を目にして「穏やかで美しかった」当時の山村風景の写真を残したいと願った。それが「懐かしき南会津」として本になった。とくに今ではほとんど消滅してしまった茅葺屋根の山村風景の写真が多く掲載されていて興味深い。戦後の高度経済成長の時代に至っても南会津は最後まで残された「秘境」だったのだ。

南会津と口にするだけで特別な気持ちがわいてくる、不思議な魅力を持った山域。何年か前、ようやく手に入れた「我が南会津」を地図を広げてむさぼり読んだ。残雪期の縦走や沢の遡行記録のすべてが憧れの対象となった。私にとっては南会津のバイブルなのだ。その補遺ともいうべき写真記録集が出たことを心から歓迎したい。

昨年は東北に足繁く通ったが南会津の山には行けなかった。春山の計画をしたが天候不順で流れた。7月と9月の台風で会越方面は壊滅的な被害を受け入渓、入山ができなくなった。 丸山岳に登るために春と秋に歩いた黒谷林道が崩落したことを知り愕然とした。そうしたこともあって足が遠のいてしまったが、今年は昨年の分を取り戻せるくらいに訪れたいと願っている。「懐かしき南会津」はそんな気持ちをあらためて思い起こさせてくれた。



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