ブナの沢旅ブナの沢旅
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カテゴリー:雑記帳
2018.12.07
恒例の体力測定山行

かつて山岳会に所属していた頃は、雪山が始まる11月下旬から12月にかけて歩荷訓練が恒例になっていた。今はさすがに歩荷はやらないが、年に1~2回はトレーニングを兼ねて大倉尾根を歩いて年々衰える体力の様子を図っている。

今年も丹沢山を往復してきた。最近は標高差の少ない沢歩きが多かったのでどうかなあと多少不安だった。トレーニングのつもりだったので淡々と歩いたのだが、標高700m前後のモミジの紅葉がとてもきれいだった。今年は暖かい日が多かったせいだろうか。例年よりも紅葉の時期が遅いようだった。久しぶりに富士山の展望もあり、気持ち良く歩くことができた。

大倉尾根から丹沢山は10年以上にわたるコースタイムを記録しているので、経年的な変化がわかる。当然だが、特にこの数年は足取りが遅くなっている。日帰り装備で塔ノ岳までなんとか3時間以内をキープしたいと思う一方、ゆっくりでも歩き通せることができればいいという気持ちもある。10年間でコースタイムの差が30分というのは、そんなものかなと。

丹沢山へ向かう登山道では大規模な木道整備が行われていて、作業者用の仮設宿舎までできていてびっくりした。かなりの予算がついているようで、何か新しい計画が策定されたのかもしれない。丹沢山にもたくさんの資材が置かれていて、みなさんが写真をとる標識の周りにもどっさり。初めて来て記念写真を撮る人にとってはちょっと目障りかも、なんておもったりして。

なんとか想定内の時間で丹沢山に着いた。ガスをだしてお蕎麦をつくり、下山は足が痛くならないようゆっくり歩いたり、午後の残照の紅葉に足を止めたりして大倉にもどったのは4時半をまわってしまった。それでも、久しぶりにたくさん歩くことができて気持ちが良かった。

 

大倉8:10-塔ノ岳11:20-丹沢山12:30/13:10-大倉16:35



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2018.11.28
思い出の沢(1)東のナメ沢

あのねー、新人だからってレベル落とすのいやなの。それにねー、このまえ一人で行って来たけど、大丈夫だよ。といわれ、釜ノ沢へも行っていないのに、2年目にして東のナメ沢へ。4段300mのナメ大滝が核心というか、この沢のすべてです。

最初は沢靴で取り付きましたが、すぐに傾斜がましてフリーズしてしまい、泣きそうになって引っ張り上げてもらってテラス状のバンドへ。ここでフラットシューズに履き替えようとしたらmasaちゃんが月星印の運動靴を取り出し、これいいよ、履いてみたら、と言います。

そう、彼はどんな沢でも山でもこの運動靴なのです。わざわざ予備を持って来てくれたらしいのですが、もちろんno thank  you 。フラットシューズに履き替え、さあこれからが本番と、気合いを入れました。

さすがにフリクションが良くきいて快適です。トップロープでも思い切りが入りますが、フリクションを信じてエイッ!と大きく声を出しながら登って行きました。結構大丈夫なことがわかると、怖さと面白さがミックスして自虐的な快感となっていくから不思議です。振り返ると大滝のナメがはるか下まで見渡せて、爽快この上ありません。

調子にのっていたらmasaちゃんに、じゃあリードしてみたらといわれてトライ。すごい傾斜ですが、信じる者は救われる・・・という感じで、フリクションの神様を信じて登りました。少しだけだけれど、リードできて嬉しかった。

そのあと少し登ったところで再びリードを試みたのですが、今度は傾斜がありすぎてどうしても登れずにギブアップ。そこを越えると最後の2ピッチくらいは傾斜が緩み、楽しく登っていよいよフィナーレへ。やったぁーとバンザイポーズ。

でも、これからが長かったのですよ。大滝上は普通の沢で、水もほとんど涸れ気味です。暑さでへとへとになってしまい、鶏冠山直下の尾根に抜けるまでに3時間もかかってしまいました。

鶏冠尾根を下るのは恐ろしげだったのですが、最初は踏み跡が明瞭な樹林の道でした。岩尾根に出たところから岩峰を振り返るとなかなかの迫力。一ヶ所懸垂するところがあるとガイドに書かれていたところでも、リーダーはすたすた降りてしまいました。ええっ、ロープで懸垂しないのー、このままじゃ降りられないよーと訴えても聞いてくれません。

これくらいクライムダウンできないようじゃ、会でやっていけないというのです。もう泣きそうになりながら、手足を教えてもらって這々の体で着地。やれやれ、大滝よりもここが核心でした。

太陽が沈み始め、最後は時間と競争するように駐車場に戻り、ぎりぎりでヘッドランプを使わずにすみました。かなりチャレンジで時間もかかりましたが、振り返ってみれば、なかなか得難い楽しい経験となりました。masaちゃん、ありがと!

 

 

 

 

(2006年8月)



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2018.11.21
房総のナメ沢ワンダーランド

晩秋になると房総半島の沢に関心が向きます。一時は毎年通い、水仙の梨沢から始まり、キンダン川、土沢〜四郎治、折木沢、三間川、高宕川などを遡行。みんな2010年前後のことで、まだ記録もあまりありませんでした。

その後少し間があいて昨年再開し、養老川を歩きました。いずれも穏やかなナメと川廻し、素掘りのトンネル、「チバニアン」で有名になった海底隆起の断層が特徴的。一般の沢登りの範疇には入らないけれど、バリエーションハイキングとしてユニークな存在です。

さらに低山ながら複雑な地形と、地図にも出ないほどのヤセ尾根のアップダウン、そこに縦横に張り巡らされた作業道。以前読図をしながら歩いて地形と地図が結びつかず、キツネにつままれたような気持ちで引き返したこともありました。以前、房総の山でハイキングのパーティが道迷い遭難したことがニュースになったほどです。あるベテランの岳人は、一年に一度は房総の山を歩いて読図トレをするのだとか。

それほどに房総の山や沢はあなどれないワンダーランドなのです。今年は紅葉には少し早かったのですが最初から最後までナメの沢を歩いてきました。まあ何もないただのナメ沢なのですが、初めての沢はみな新しい発見がありますし、温泉成分が湧き出ていたりもしました。

イージーで終わると思いきや、登山道に出るために取り付いた尾根が緩そうな地図のイメージとは違ってスリリング。やっぱり房総の沢は侮れない。だから面白いと思ったのでした。

  



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2018.11.17
明治中期に利根川水源を目指した「利根水源探検紀行」の著者探し

利根川本谷といえば、沢やが一度は遡行を目指す憧れの険谷だ。今から124年前の1895(明治27)年9月、群馬県にその利根川水源探索を試みた一行がいた。そしてその記録は「利根水源探検紀行」として後世に残されている。

最初に掲載されたのは明治の総合月刊誌「太陽」の創刊号。翌年には「太陽」の出版社博文館から探検もの二本立てとして「台湾生蕃探検記」に収録された。これは国会図書館のデジタルライブラリーで一般公開されている。また1942年には川崎隆章編「尾瀬と檜枝岐」にも収録され、1988年には復刻版が出されている。同書には一回目の目的不達をうけて結成された群馬県利根水源探検隊による1926年の大利根水源紀行も掲載されているので、合わせて読むと興味深い。

「利根水源探検紀行」の著者は渡邊千吉郎。とても格調高い文章で緊迫感溢れる探検隊の行動が逐一記されている。たちまち引き込まれて一気に読んだ。この記録を青空文庫に入れて公開したいと思った。明治中期に成人であることから没後50年が経過して著作権も消滅していると思われるが、著者については当時群馬師範学校の教師だったということだけで歿年を確定する情報は得られなかった。こうした著作物は「孤児作品」と呼ばれ、著作権処理の情報がないために利用することができずに忘れ去られてしまうのだ。

そこで現在文化庁が進めている著作者情報が得られない作品利用を促すための「裁定制度」を利用してみることにした。実際の運用は文化庁が権利者団体に委託している。従来の裁定制度は手続きが煩雑で使い勝手が悪かったけれど、使いやすくするための実証実験が行われており、その担い手であるオーファンワークス実証事業実行委員会のサイトで手続きをした。費用も手続きもすべて申請者に変わって代行してくれるので、申請書に著者名と作品名、使用目的などを記入するだけだ。もちろんネット検索で事前調査でも不明であることが前提となる。この申請は基本的に受理され、文化庁の最終裁定結果を待っているところ。

一方で、図書館のレファレンスに相談したところ、できる範囲で調査をしてくれるとの申し出をうけた。2週間後連絡をもらい資料を見ながらの説明を受ける機会をもった。原資料ではないが、明治期の教育に関する研究論文の資料として群馬師範学校教員名簿があり、そこに渡邊千治郎の名前があった。千吉郎ではなかったが、千治郎はその後徳島師範学校長となり、教育者として活躍し勲章を授与されていた。そのために教育家名鑑に記載があった。滋賀県出身で滋賀高等師範学校で博物学を卒業後群馬師範への赴任となっている。また、別の教育関連の研究論文では渡邊千治郎の生年と没年が記載されており、1942年没とあった。

状況証拠資料から、渡邊千吉郎は渡邊千治郎と同一人物と推測した。利根水源探検紀行においても、博物学を学んたため山野を跋渉する経験ありと自己紹介している。素人眼にはこれで十分な情報と思えるが、100%の確証ではない。文化庁の解釈では100%の確証がないと同一人物とは認めないのだ。

やはりすでに申請済みの裁定制度を利用することにしたが、なぜ渡邊千吉郎になったのかが興味あるところだ。「太陽」誌に掲載された際に本名を伏せたのか、紹介した記者が間違えたのか。推測の域をでないが、古い雑誌や書籍では漢字の間違いはよく見られる。(さすがに名前はどうかと思うけれど。。。)

この雑記帳記事を読む人には退屈な話を長々と書いたけれど、著作者の調査や裁定申請のプロセスを経験したことは興味深い経験となった。そこでこの体験をメモしておきたいと思ったわけである。「利根水源探検紀行」はすでに基本的入力はすんでいるので、裁定が下り次第入力申請するつもりだ。また、同時に1926年の「大利根水源紀行」も公開したいと考えている。こちらは著者が群馬県利根水源探検隊という団体名なので、発行から50年で著作権は消滅する。

これからも、山岳関係の古い紀行文を青空文庫にいれてまとまったジャンルにしたいと夢を抱いている。みなさんからも、この分野の著作権が消滅している埋もれた古い作品で青空文庫に収録したいというものがあれば知らせてください。ただし、とても残念なことに、今年の12月30日をもって著作権の保護期間は現在の50年から70年に延長されます。ますます死蔵作品が増えるのではないかと危惧しているところです。



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2018.10.06
八幡平大深沢のナメ沢三昧の沢旅

ようやく八幡平の沢旅が実現しました。夏から何度か予定しつつ悪天にはばまれ延び延びになっていたのでした。それでも台風の合間をぬって日程を短縮したコンパクトなものです。今回のこだわりは、以前から関心のあった関東沢の左俣を組み入れることでした。一般的なのは葛根田川から大深沢への継続遡行のつなぎで歩かれる右俣ですが、10年近く前にみた記録で左俣がとてもいいらしいことを知って以来、いつか。。と思っていたのでした。

平凡な右俣とはちがい、予想以上にすばらしい沢でした。さらに天狗湿原を横断して東ノ又のハイライトを歩き、まだ遡行していない北ノ又を遡行する周回ルートです。大深沢源頭のナメ沢3本をナメ尽くしたといえるかもしれません。最後の藪漕ぎもふくめ短くも充実したみちのくの沢旅となりました。詳細は後日の、とりあえずの速報です。

 

 



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2018.08.11
山の日に「山を思う」を読む

著作権の切れた作品をインターネットで公開している「青空文庫」には、山に関する作品も多数公開されています。私も、何年か前に木暮理太郎の「山の憶い出」上・下に収録の55作品を入力して青空文庫のボランティアデビューをしています。読んだことがあるという方もいらっしゃるかもしれませんね。

今回は、石川欣一の「山を思う」(山渓山岳新書)が公開されました。ジャーナリストの石川欣一(はバリバリの岳人とは違うのであまり馴染みがないかと思いますが、趣味の登山で数多くのエッセイを残しており、飄々とした人柄を思わせる、今読んでも古臭さを感じさせない軽快な文体が私のお気に入りなのです。山岳著作には、他に「可愛い山」(白水社1987年6月)も公開されています。

没後50年間の著作権保護期間が切れているわけですから当然古い時代の作品です。だからこそ、今振り返ってみて興味深いエッセイも多いのです。たとえば、清水トンネルが建設されているころの土合周辺の状況や、トンネル建設と山の関係など、普段よく訪れる場所だけに面白かったです。ちなみにその部分を、長い長い地下階段を下りながら紹介してみましょう。

清水隧道

(上)
先ず第一に数字をあげる。清水隧道は六百五十万円の工費を投じ大正十一年の夏から着手したもの、総延長が三万一千八百三十一呎八、これは九七〇二米に当る。こゝに世界の主な隧道所在地や長さを列記して見ると(単位米)
シンプロン(アルプス)    一九、七三〇
サン・ゴタルド(同)     一四、九九〇
レッチベルグ(同)      一四、六〇六
アプリ水道(アペニン)    一二、七三〇
モン・スニ(西アルプス)   一二、二三三
アールベルグ(墺)      一〇、二七〇
リッケン(スイス)       八、六〇三

という具合だから、清水隧道はアールベルグとリッケンとの間に入り、世男第七位、アプリを除けば第六位になる。現在日本で一番長い笹子隧道は四六五六米で第廿五位、生駒山は三三八〇米で第丗六位、また難工事で有名な丹那は七八〇七米、出来上れば七米の差でフランスのピレネーの上に位し、清水、アプリを入れて世界で十五番目のトンネルになる。

このトンネルが出来て、上越南北両線が結びつくようになると、現在信越線による上野長岡間の距離が約六十マイル短縮される。と同時に信越線は海面上最高基面高が軽井沢三〇八六・四四呎であるのに、上越線は土合土樽間の二二三〇・七八呎で、その最急勾配に非常な差があるから、線路換算延長は上越線において百六十四マイルの逓減を見ることになる。この他、こまかい数字を羅列すればきりが無いが、この位にしておこう。トンネルの両端にそれぞれ一つづつのループがある。そしてその各々が二個のトンネルから出来上っている。突然ループといってはわからぬ人もあるかも知れぬが、これはレヴェルの著しく異なる点へ出る一つの方法で、俵藤太に退治された百足のように、山をくるりと一巻きまき、より上方の地点で今来た線路の上に出るのである。現在では鹿児島線に大きなのがあるが、今度はこれが二つ出来る。またトンネルは、北線に現在の終点越後湯沢からトンネル入口の土樽信号所まで約九マイルの間に二つ(ループをなすもの)南線には水上駅から土合信号所まで約七マイルの間にループをなすトンネル以外に二つある。

はじめ東京鉄道事務所の好意になる地図を見た時、湯沢の方のこのトンネルループの存在理由が了解出来なかった。湯沢から中里を経て土樽信号所まで、魚野川の相当に広い平地で極めてゆるい上りであるにも拘らず、線路は正面山の麓の平沢部落まで来て急に東へ折れ、この平地を横断して魚野川の流域の右の山裾を走り、中里の部落から再び川を越し、松川第二トンネルで用もない山のどてっ腹にもぐり込み、ループをなして松川第一トンネルに出現し、三度魚野川を越して土樽へ行っている。真っすぐに行ってしまったらよさそうな物をと思ったが、三国峠を越して湯沢へ行き、軽便鉄道――それは魚野川に沿って、いわゆる真っすぐに走っている――の窓から工事を眺めながら土樽まで行って来て、さて改めて工事中の線路を朱で書き込んだ地図を見るに至って、はじめてこの疑問が氷解した。即ち線路は平沢から松川まで、正面山東側の急な斜面からの雪崩を避けて東方へ逃げ、土樽信号所と近いレヴェルに達するために松川第二トンネルでループをなし、再び雪崩を避けるため松川第一トンネルで山の裾を抜け、恐ろしく高い鉄橋で魚野川を渡って一直線に土樽へ向っているのである。このような例は諸所にあるだろう。気がつかずに走ってしまえばそれまでの事だが、また専門家の眼からは当然のことだろうが、素人はこんなことに気がついて、ちよっといゝ気持になる。

(下)
上越の国境には相当に高い山が並んでいる――と、こう書いていわゆる微苦笑をもらした。高い山脈があるからこそ、それが国境になったのだ。それはとにかく、西南方の稲包山から東北方の朝日岳にいたる山脈中の、最も低い場所を求めて、人が山越をしたのは当然のことである。然し山の横腹に穴をあけるとなれば、山の高低は敢て問う所ではない。かくて清水隧道は一九七八米の茂倉岳の直下を、遠慮会釈もなく一直線につらぬいているのである。だが何ゆえ、特にこゝを選んだのか。

廿七日朝、水上まで汽車、そこから自動車みたいにガソリンで動く軽便鉄道で土合の建設事務所へ着いて、次席技師の内田氏にあった時、この点を質問した。すると、それには色々技術上の問題もあるが、何はとまれ、土合、土樽間が四点で見通しのつくことが、この上もない強みだとのことであった。即ち土合の信号所から茂倉岳の頂上が見え、頂上から山中のある一点が見え、そこからは土樽信号所が見下せるという。これは一つの啓示であった。

所で、土合へ来て驚いたのは、狭い谷を埋めつくした家である。湯檜曾にも鉄道関係の人は多数いるが、これは昔ながらの部落であった。しかるに土合は大正十一年この工事がはじまるまでは、人家とて碌にありはしなかったのが、いまでは二千人ばかりが集っていて、病院、学校、倶楽部等があり、この附近では最も文化的設備がとゝのっているのだが、さて隧道が貫通すると、あとには信号所が残るだけで、またもとの山猿の遊び場になってしまう。これは土樽とても全く同様である。

思いがけなかっただけに面白かったのは、糞尿焼却装置である。いさゝか話が尾籠になるが、これだけの人類の糞尿が、狭い湯檜曾川へ流れ込んだ日には、岩魚ややまめばかりでなく、下流に住む人々までが、とても生きてはいられまい。そこでゴ式焼却器という、大きな釜をそなえつけ、すべてこゝで処分してしまう。

学校は先生三人に生徒百六十五人の複式教育。生徒は日本中から来ていて、朝鮮人の子供も多い。教室に電燈が下っているので、夜学でもするのかと思ったがそうではなく、冬は屋根まで雪に埋ってしまうので、こういう設備がしてあるとのことであった。高等科の子供は湯檜曾へ通うのだが、トロッコなので、一つには工事中の岩石等が飛んで来るのを防ぐため、頑丈な金網が張ってあり、子供達は鶏みたいにその中に入って学校へ行く。越後側の土樽も、先生、生徒の数は偶然ながら土合のと殆んど同じである。

内田さんの案内で隧道の一番奥まで、約一万四千尺入って見た。途中坑口から九千尺ばかりの所で、素敵な勢いで水がふき出している。大正十五年十一月、こゝまで掘って来て断層に逢い、猛烈な噴水のために工事を中止して別に九千呎に近い排水隧道をつくった。今隧道入口の左手に盛んに水を吐き出しているのがそれである。

隧道の一番奥の光景は、物凄いものであった。六名の鑿岩夫、六名の「さき手」以下数名が濛々たる岩粉、轟々たる音響の中で鑿岩機を使用して、固い岩に穴をあけると、その後ではマイヤーホーレーが不気味な恰好で岩屑をすくい上げる。二尺乃至二尺五寸間隔で五尺ほどの深さに四個穴をあけ(これを真ヌキという)その周囲に廿四個小さいのをあけると、ダイナマイトを填めて先ず真ヌキを爆破させ、丗秒位してから周囲の廿四を同時に爆破させる。そこで坑内の空気を吸い出し、新鮮な空気を送り、あらためて鑿岩機の活動がはじまる。たゞ今のところ現場交代で四交代、昼夜兼行、工事を急いでいる。

一時間ばかりいて坑外へ出たら夏の日ざしに目がくらんだ。事務所の前に給料をもらう人達が列をつくっている。ふと、今日はわが社でも月給と上半期のボーナスとが出る日だなと思った。

もっと読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001380/files/50461_65464.html

 



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2018.07.16
東黒沢〜ウツボギ沢左俣遡行雑感

連日の猛暑で早くも夏バテ気味。ゆったり納涼沢歩きと焚き火をしてリゾート気分を味わおうと、近くて良い沢の東黒沢からウツボギ沢へ行ってきました。ネックは下山路の白毛門なのですが、その欠点を補って余りある良さがあるので、致し方なしです。

6月末に谷川岳から縦走してナルミズ沢やウツボギ沢の雪渓状況を稜線から確認した限りでは、ウツボギ沢はもう大丈夫。8年前は軽いザックで日帰り遡行しているところです。あらためて昔の記録を読むと、難しくなくて沢のいいとこ取り満載の沢だと絶賛していました。今回は沢泊2日を使うのですから楽勝と思ったのですが。。。

それほど余裕がなかったのには、ちょっとショックでした。ザックが重いとか、沢が滑っていたとか、言い訳してもそれだけでは説明がつかないわけで、やっぱり体力とバランスの低下なのでしょう。でも、東黒沢では久しぶりに沢ソーメンをしてくつろいだし、ウツボギ沢出合のテンバでは小さいながら焚き火で美味しい食事ができたので、結果オーライです。それにしても超人気のナルミズ沢出合のキャンプ場のようなテンバには枯れ木がほとんどなく、ナルミズ沢を少し進んだ登山道に入ってなんとかかき集めた次第です。これから泊まる人はどうするのだろうと思ってしまいました。

一つショックだったのは、東黒沢のかつては泳ぐほどの瀞が年々浅くなってはいたものの、今年目にしたのは倒木で完全に埋まってしまった無残な姿でした。また1000mを超えてからは荒れ模様で気分的に疲れてしまいました。

ウツボギ沢はまだ健全でしたけれど、やはり滑っていましたね。そんなこんなで白毛門についたのは日帰りの時とそれほど変わらない時間でした。さすがに沢中は涼しくて快適だったけれど、はやり暑さにやられ、這々の体で下山。東黒沢で思いっきり水浴びして生気を取り戻し、もうゴメンだ〜といいながら帰路についたのですが、ゲンキンなもので、もうそんなことも忘れてしまいました。やっぱり山って不思議です。

 

 

 



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2018.07.11
Back to the basics @葛葉川本谷

一番最初に行った沢が葛葉川本谷でした。最初のドキドキはすぐにワクワクに変わり、ただひたすら楽しかった記憶しかありません。それは山歩きを初めてすぐに単独の限界を感じて山の会に入った直後のことでした。いっぺんに沢に魅せられて翌年には沢の会に移り、しだいに自分のやりたい沢登りの形がはっきりしてきました。物理的な制約があって会に行きにくくなり、次第に自分で計画していくようになり、会をやめてよちよち歩きの「ブナの沢旅」を始めたのでした。

って、いきなり話がそれましたが、葛葉川というとそんな思い出があるのです。短い沢ですが、たくさん登れる滝やちょっと頑張る滝が続く超がつく初心者に人気の沢だということは言うまでもありません。単独でも何度か遡行しているほど気に入っている沢です。沢旅の要素はないのですが、トレーニングとして、暑い時の水遊びとして、うってつけです。

行ったのは7月初めですが、あれから西日本の集中豪雨が発生し、甚大な被害状況が連日報道されています。そんな中で沢の計画を立てたり記録を書いたりする気力が失せていたのですが、ようやく重い腰を上げた次第。

現在トップページのリニューアル作業をやっている最中(といっても、知り合いに頼んでのこと)なので、記録更新は完了後におこないます。今回は雑記帳に簡単に、と思ったら元来おしゃべりなので、書き出したら沢初めの由来にまでさかのぼってしまいました。。。

最近は体力とともにバランスも悪くなっているため、以前より沢がこわく感じるのですよね。だから今回も慣れ親しんだ葛葉で避暑を兼ねたトレーニングをして水に慣れよう(いまさらですが。。)というわけです。そこでいつもはささっと巻いて避けていたシャワー必須のF1を登ろうということに。もちろんトップロープつきで。。

F1だけでなく水に積極的に入って久しぶりに随分と濡れて気持ち良かった。このくらいの沢がいいとしみじみ思ったりもして。だからback to the basics の心境なのです。

ほぼいつも通りに進んで終了点についたのですが、小尾根に乗るところが年々崩壊して土壁のようにいやらしくなっています。あそこが核心だなあなどと思っていたところ少し先にテープがあって、こちらですよ〜と指し示している新しい踏み跡がありました。よくわからないけれど、こちらに入ることにしたところ、途中で多少コースがずれたようで、遠回りして植林帯の作業道に合流。情けない気もしたけれど、まあ違う景色がみられたからよしとして大倉に下山しました。

 

 

 

入渓10:30-登山道14:30

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2018.06.30
これが本当の馬蹄形縦走@谷川連峰

こんな表題をつけて、従来知られている「谷川馬蹄形縦走路」とは一味違うルートなのかと期待させてしまったら、ごめんなさい。でも屁理屈をいえば、土合から登ってぐるっと回って土合に下山したのでは、馬蹄形にならないじゃないですか。馬蹄形というのはラフにいえば楕円形の底辺があいている形をいいます。だから、今回の縦走路は、文字通りの馬蹄形、つまり天神平から出発して土合に下ったというわけです。なあ〜んだ、ですよね。おまけに、今回はテント泊ではなく小屋泊りです。もう、こだわっていたら縦走などできないのです。

今サッカーのワールドカップで日本が2大会ぶりに決勝進出したということで日本中が大騒ぎしています。わたしもポーランド戦をハラハラしながら観ました。1-0で負けていてもうダメかと思っていたら同じ組のコロンビア対セルビア戦でコロンビアが先制点をあげ、情勢が変わりました。西野監督は決勝進出を優先させて、時間稼ぎの不甲斐ない試合運び戦術で負けながら目的を達成する道を選びました。

話がそれてしまったけれど、つまり目的達成のために(ルールを守りながらも)手段を選ばないという考え方をどうとらえるかということです。山登りごときに、えらく大業なものいいですけれど、自分の中ではそれくらいの気持ちを感じたわけでした。

山歩きをしている人なら誰でも一度は歩くコースだというのがよくわかりました。とても気持ちのいい素晴らしい縦走路です。泊まり組の方が少ないくらい、たくさんの日帰り単独登山者とすれ違いました。「日帰りですか〜、先にもいましたよ〜」と声をかけると「もう、ばてちゃって。。」とおっしゃるものだから、「大丈夫ですよ、ロープーウエィあるうちに着けますよ」というと、すかさず「ロープーウエィを使う気はないんでね〜」自分のレベルでものを言ってしまったようで「そうですよねー、失礼しましたあ〜」と訂正。「ばてちゃって。。」も不本意にも若者に抜かされたということなのかもしれません。そんなことを面白がりながら、ゆるりとお花なんかを愛でながら、最後は暑さでひーこらいいながら、楽しい馬蹄形縦走をおえました。

今回の縦走でもう一つ関心があったのはナルミズ沢やウツボギ沢の残雪状態でした。今年は融雪が早いといわれていましたが、ナルミズ沢の源頭部は奥の右、左俣ともまだ相当残雪に覆われていました。ウツボギ沢は右俣にはけっこう見られましたが、左俣は登山道からは緑一色で雪は見えませんでした。下部のゴルジュっぽいところはどうかわからないけれど左俣ならもう遡行できそうな感触でした。

ところで山小屋泊まりはどうだったかというと、ザックの軽量化はできたけれど失うものも多かったような。。。こだわりとは別に、やっぱりテントが好き!と、テント泊の良さを再認識するという結果になったのでした。だって静かで自由だし、食事はおいしいし、シュラフは快適だし。。。あとは体力ですね!!

 

 

 

(だいたい)天神平9:15ー蓬峠16:00//5:00ー朝日岳9:30ー土合橋15:20



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2018.06.20
体力測定の丹沢主稜ワンデイハイク

ここ数年は五月の花の時期に体力測定を兼ねて丹沢主稜を日帰り縦走している。体力が低下しているのは年齢的に当然として、時間をかければ歩けるかどうかも気になるところ。一昨年は日帰り縦走はこれで最後かもしれないと思いながら歩き、昨年は歩かなかった。無雪期は沢旅がメインとはいえ、やはり山は歩けてナンボの世界。沢歩きもバランスが悪くなっている。重いザックを背負っての沢泊まりは緩やかないわゆる癒し系といわれる沢でも、疲れが残るようになっている。

と、不安をいいだしたらきりがない。山に行かない日がつづくとこんな心配ばかりしてしまう。だから最近はトレーニングを兼ねて歩くことの重要性を痛感している。そんなわけで、一度はもういいかなと思った丹沢主稜を、今年はブナの沢旅メンバーと歩いてみることにした。以前、六月中旬に歩いて暑さでばてて足がつってしまったことがあり、歩くなら五月と決めていたのだけれど、幸いこのところ気温が低めで当日も曇り空。稜線歩きは天気がいいにこしたことはないが、今回は歩き通すという目的にかなった天候だ。

バスでは西丹沢自然教室から歩き始めるのが遅くなるので、前回からは谷峨からタクシーで1時間を稼いでいる。これまでの経験だと、檜洞丸までのコースタイムと体調でその日の具合がわかる。あまり張り切りすぎないように最初はゆっくり目のペースで歩く。途中で早々と下山してくる男女パーティがいたので「もう下山ですか〜」と声をかける。すると渋沢から歩いて来たという。夜中に縦走したのかと聞くと頷いていた。これだけでも驚いたのに、女性の足元をみるとサンダル履きの裸足!さらに驚いて若い人はすごいねー。より自然に。。。とのことで、まさに縄文ガール。いま流行っているのかな。

いろんな人がいろんな楽しみ方をしているものだと感心しながら、我々中高年(中高年というより、そろそろ高年)パーティもそれなりに順調に出発点の檜洞丸へ。展望はなかったが、一瞬青空が広がり気持ちが前向きになる。

花の時期は終わっているが、ブナの樹林帯を歩くのも気持ちがいいものだ。花といえば、地味だけれどヤマボウシがたくさん咲いていた。毎年このコースを歩くのも、丹沢のよさが感じられる尾根歩きだから。気温は13~14度と例年よりは低いため、歩くのにはちょうどよかった。3〜4月の雪山縦走の時の方がよほど気温が高かった。やっぱり今年の天候はなんだかおかしい。

天気が良くないからか、蛭ヶ岳はし〜んと静まり返っていた。いつもならここで靴を脱いで長めの休憩をとってから後半にそなえるのだが、寒いし風もでてきた。まずまずの調子を喜んで、後半の東丹沢へ。実際の距離はここから大倉までの方が長いのだが、気分的には下山開始だ。見えない展望に、天気ならばここでこうで、ああでと仲間に解説しながら誰もいない丹沢山へ。

塔ノ岳まで行けばもう登らなくてすむ。下山のめどもたったのでいつものように尊仏山荘に立ち寄り、コーヒーでくつろぐ。喜ぶのはまだ早いけれど、なんとかなったねとホッとするひとときを過ごし、長い大倉尾根をくだった。

これからは今まであまりしたことのない縦走も組み入れたいので、時間をかければまだまだ歩けると思えてよかった。普段は坂や階段がつらいとだらけているのに、よくこれだけ歩けるものだと妙に感心してしまう。普段は出せないパワーを引き出す山ってすごい魅力があるからなのだろう。

 

 

ツツジ新道登山口7:40ー檜洞丸10:25ー臼ヶ岳12:05ー蛭ヶ岳13:30ー丹沢山15:05ー塔ノ岳16:20ー大倉19:00(休憩時間含む)



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