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山行記録に転載
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スポーツの日の連休なか日、朝思い立って逗子の「三浦アルプス」(カッコ「」をつけないと恥ずかしくなる名称なので。。でも鎌倉にも同様の名称があってご愛嬌かな。)を歩いてみました。逗子駅からバスを利用して登る仙元山が出発点。標高は低いけれど眼下の逗子湾からは富士山の展望がよく、丹沢山系の山並みがつらなります。海岸では何かのイベントなのかヨットがたくさん出ていて壮観でした。
「三浦アルプス」にはいくつかコースがありますが、トレーニングのつもりでよく歩くのは乳頭山から東逗子駅に抜ける南尾根コースです。低山ながらいくつもポコを越えるためけっこう歩きがいがあります。先月七ヶ岳を歩いたばかりなので、これは「三浦七ヶ岳」っていえるかもと思ったり。
意外と花も多いのですが、今回とくに目を引いた中央が青い実の牡丹色?のような花を咲かせる木でした。初めてみたけど、わからなかった。いつも観音塚の石像の前で休み、ドングリの並木尾根を登ります。意外と照葉樹の大木が多く、冬の陽だまりハイキングも楽しんでます。
もうすぐ登りのゴール乳頭山という小径にさしかかったとき一羽のチョウチョウに目が止まりました。あっ、アサギマダラ。サラシナショウマの花にとまって一生懸命蜜を吸っていたのかな。近づいても逃げません。渡りのチョウだからそろそろ南に渡っていくのでしょうが、仲間はいないのかな、はぐれたのかな、などいろいろな思いが巡りました。
逗子の裏山で思わぬ出会い。うれしくなってちょっと書いてみました。では、これからみちのくの沢旅へ。紅葉の沢をの〜んびり歩いてきます。
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先週の南会津の雪山では仲間のクラック転落というハプニングがあり、最近は毎週山に出かけていた疲れもあるようなので山はお休みとした。なんて言いながら、雪山も久しぶりに好天の日が続くようだと気持ちがソワソワする。だからといって一人ででかけるのも習慣がとぎれて尻込みする。以前は一人で雪山にも行ったのになあ。
そんな気持ちを察してか、仲間が軽いハイキングに行こうと提案してきた。まあそれも悪くないねとすぐにその気になる。今の時期は花粉症を避けたいので2年前の今頃歩いて好印象だった三浦半島の岩礁散策路の続きをリクエストして調べてもらい半日ほどのウォーキングを楽しんだ。
電車とバスで家から1時間半ほどなので朝もゆっくり出発する。海の近くまで住宅街なのだが、一歩踏み入ると開放的な岩礁の海岸線が続く。関東ふれあいの道なので、道標は整備されところどころが公園になっている。ガイドブックには半島一美しい海岸線と描かれている荒崎から和田名浜だ。
岩礁は房総半島の沢や沢の側壁に見られる洗濯板のような凹凸の形状をしており、太古の昔は海だった時に堆積した硬い凝灰岩と柔らかい砂岩・泥岩の層により形成されているという。乾いたところはフリクション抜群で開放的に広がる海を見ながら爽快な岩礁ウォーキング。
出発点荒崎の「夕日の見える公園」は、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する豪族三浦家の荒次郎吉澄の居城跡跡といわれており、幕末には幕府の命を受け彦根藩が砲台を築いたところでもあるとのこと。なるほどね〜と、興味深い。
もちろん雪山で行きたいところはたくさんあるけれど、たまには趣向を変えてみるのも悪くない。コース料理で言えばソルベのような箸休めかな。狭い日本の小さな地域ながら、同じ季節に雪山へ、海へと多様な自然を楽しめるなんて愉快だなと思う。
長井バス停9:10ー荒崎ーソレイユの丘ー和田名浜ー矢作入口バス停13:40
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滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』といえば江戸文学を代表する一大雄編であり、近世日本文学においても屈指の傑作として歴史に名を留めていることは広く知られています。けれどなにしろ一大長編作品であり、作品名は教科書で習って知っているけれど、実際の物語の詳細は知らないというのが一般的かと思います。
わたしも子供向けの絵本かなにかで読んだ程度なのですが、ひょんなことから富山へハイキングに行くことになり、にわかに興味をかきたてられたのでした。偶然「伏姫籠穴」の存在を知ったのは、通行止めの認識がなく取り付いた登山ルートをたどったからでした。登山道は上部で崩壊が激しくその上途中まで間違って沢を登ったりとかなりアドベンチャーだったのですが、怪我の巧妙とでもいえるのか、今回の南房総ハイキング最大の収穫を得たのでした。
登山口手前には「伏姫籠穴」と書かれた立派な門柱があり、詳細な説明書きを読んでその存在を知りました。門をくぐって杉林の奥に続く小道に導かれ登っていくと立派な八角形の「伏姫舞台」があります。八本の柱には「八犬士」の名前が書かれていました。さらに奥へ上ると古い石柱に「伏姫籠穴」と彫られた洞穴があり、入り口の真ん中に大きな白い珠が安置されていました。なにやら神秘的な雰囲気を感じながらさらに洞穴の奥に入るとそれぞれ「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」の文字が書かれた黒い珠が並べられていました。
里見家の伏姫が愛犬「八房」と暮らし、のちに懐妊したという籠穴です。八房は姫を取り戻しにきた許婚者により撃ち殺されてしまいますが、伏姫は身の潔白を証明するために自害します。この時姫が持っていた護身の数珠から八つの玉が八方へ飛び散り、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持つ八犬士が誕生してくることになる。。と、かなり端折った言い草ですが、物語の始まりの重要な要素なのだと知りました。
入り口の彫板には「伏姫」自らの言葉による物語りが彫り込まれていました。部分的にかすれていてその場では読みにくかったので画像をとり、パソコンに取り込んで拡大して筆写してみました。以下は出所(南房総市の観光案内の一環)を明記した上での引用です。(一部のルビは省略してあります。)
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伏姫籠穴
伏姫籠穴へ遠路ようこそお越し下さいました。私は里見義実の娘、伏姫でございます。
皆様もご存知と思われます、里見八犬士の母でございます。
ここ籠穴に、愛犬「八房」と永遠の眠りについて、どれほど長い年月が過ぎたことでありましょう・・・。
思い起こせば、「八房」の背中に乗せられ、この山中に辿り着いた時は、私が十六の歳でありました。
ここは富山の山中であり、昔はいつも深い霧が立ち込めた昼なお暗い、人も訪れぬ深山幽谷の地でありました。
夜ともなると、邪悪な悪霊や妖怪が群れ集まり、谷に不気味な叫びが響き渡る阿修羅の世界に変貌するものでございました。
それはそれは言葉では言い尽くせぬ恐ろしい地であり、来る日も来る日も恐怖と孤独に耐え忍ぶ毎日でございました。
私は傍らに「八房」を座らせ、一心に法華経を唱え、心の恐怖と戦う暮らしを続けました。いつしか読経は、富山に木霊し、谷の濃霧を祓い、この谷に明るい陽光が射し入り、闇の悪霊たちも次第に姿をかき消したのでございます。
伏姫と八房の終焉
私が十八歳を迎えた秋の出来事でございます。
ある日、山中で見知らぬ不思議な童子に出会いました。童子は私に妙な言葉を告げるのでした。「お前さまは懐胎をした。体内の子は八つ子である。一旦は形無くして生まれ出よう。その子らは智勇に富み、未来はかならづや里見家の危難を救うことであろう」と・・・
そして数日が過ぎた日、私をこの籠穴から救出せんがため、探索に訪れた父義実の忠臣、金碗大輔が私と八房を見つけ、私から八房を引き離すべく放った鉄砲の一弾は、八房を打ち抜き、さらに私の胸元を貫いたのでございます。
けなげにも八房は私を危機から守るがように私の身体を被い、悲しげな啼き声を最後に息を立ったのでございます。
その時でありました・・・なんと、童子の予言通り、肌身離さずもっていた私の数珠が身体から放れ、それは眩く八つの珠となり、天空に向かって飛び散ったのでございます。私は薄れゆく気の中で、その美しい光り輝く八つの珠が、遠くへ飛ぶ様子を確かに見ておりました。
ああ、それはなんと美しい光景でありましたことか・・・・・。
富山も辺りも黄金のように光り満ち、籠穴には一条の光りが差し込みました。私と八房は温かな光りに包まれ、無常の幸せを感じたものでした。
こうして私と八房は、ありがたくもみ仏のお側にゆくことができたのでございます。
伏姫と八犬士
私と八人の子供についてお話しをいたしましょう。
光り輝く美しい八つの珠が私の子供たちであり、後に八犬士となったのでございます。
天空に飛び散った八つの珠には、それぞれ「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」という八文字が刻まれていたそうです。子供たちの名前に、この文字がつかわれておりました。
犬江新兵衛仁(いぬえしんべいまさし)
犬川壮助義任(いぬかわそうすけよしとう)
犬村大角禮儀(いぬむらだいかくまさなり)
犬坂毛野胤智(いぬさまけのたねとも)
犬山道節忠興(いぬやまどうせつただとも)
犬飼現八信道(いぬかいげんぱちのぶみち)
犬塚信乃戊孝モ(いぬづかしのもりたか)
犬田小文吾悌順(いぬたこぶんこやすより)
子供たちの活躍は「南総里見八犬伝」の八犬士として書き記されており、正義のために勇猛果敢な働きを為したことは、多くの人々にもご存じのことと思われます。
さらに童子の予言は言い当て、後に子供たちの活躍は、里見家再興に奏し、里見義成より領地と姫を授かり、朝廷からは官位を賜わるなど、名誉と富を受けたのでございます。
あとがき
この世で子供たちの顔を見ることや、共に暮らすことは叶いませんでした。しかし、役を終えた子供たちは、私と八房が眠るこの籠穴に集い、終生見守ってくれたのでございます。
私は、里見家に生まれ、母として、世に誇れる八人の子を残し、そして愛する八房と共に、この祠に永眠できたことを、心から幸せと思っております。
ほこらに置かれた白い珠は、私と八房と八人の子供たちの「心」と思し召しください。
私共は、国の安泰と自然と人々の営みと、そして皆様の幸福を、いつの時代も永久に、この籠穴でお守りしております。
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丹沢へ出かけるのさえおっくうで家にいるつもりでいたけれど、のんびり朝食をとって外を眺めているうちにやはり歩きたくなった。そこで電車一本30分以内で駅から歩けるハイキングコースを物色したところ、円海山・大丸山が目に止まった。円海山はふもと峰の歴史が面白そうだ。昔から「峰の灸」として知れ渡っており、最盛期には一日3000人もの治療者を迎えたという。江戸時代前期の開山と伝えられる山号が円海山の護念寺の第五世順誉万随上人が、夢の中で本尊から霊灸を授かり、モグサと線香による灸治療をはじめたのが評判になったためとのこと。(以上、分県ガイド「神奈川県の山」124頁より)門前に灸治療に訪れる人のための旅館が数件残っていたらしい。一方大丸山は横浜市の最高峰!とのこと。
というわけで、面白そうだとでかけてみた。光洋台の駅から歩き始めた。ガイドの記述がわかりにくくて少し迷うことさえも楽しみながら、あった、「峯の灸」の赤い看板!辺鄙な山道を行くととても立派なお寺、護念寺へ。寺からハイキングコースの小道に抜けるショートカットでちょっと藪漕ぎまでして、これも楽し。市民の森広場に着くと大勢のハイカーがテーブルでくつろいでいた。いかにも市民の森という雰囲気でいい感じ。ここでランチタイムとする。カップラーメンをすすり、コーヒーを入れてお菓子をほおばる。のどかで平和な気分になる。これからは少しずつこんな風な山歩きに移行していくのだろうな、それもわるくないな、なんて思う。
さて、次は大丸山だ。よく整備された尾根道をいくと、ここは武蔵と相模の国境で「鉄の道」という標識板があった。かつて「たたら師」(鉄職人)が通った道なのだという。なるほどね〜。「神奈川の森50選」の標識もあり、どのあたりかなあ〜なんて思いながら進んで大丸山への長い階段を登る。開けた「山頂」で展望もいい。ガイドでは樹木に囲まれていて眺望はないが。。と書かれていたけれど、その後伐採をして景色をよくしたのだろう。横浜市の最高峰、といっても156. 8mとかわいい山だ。
時間もたっぷりあるので天園に向かう。つぎは鎌倉市の最高峰へ。鎌倉市にはいると道の整備状況がガラリと変わる。横浜市内はあくまで市民の森的位置付けで公園のような整備だったけれど、鎌倉市になると一応ハイキングコースっていう雰囲気でその違いが面白い。鎌倉によく見られる切り通しも何箇所かあったりして「本格的な」山歩きとなる。おなじみの大平山は鎌倉市の最高峰、といっても159m。横浜市より2.2m勝っている。建長寺分岐の展望ベンチで最後のおやつタイムをとり、明月院にくだって北鎌倉駅に着いた。ぜんぶで4時間半とちょうどいいあんばいだ。
天園コースは時々歩いているが、横浜自然観察の森方面の矢印が気になっていた。今回ひょんなことから繋いで歩くことができて面白かった。こんな風な0.7食ハイキングコースがまだたくさんありそうで、ちょこちょこ開拓してみたくなった。(0.7食ハイキングっていうのは、最近はやりの0.7食、おやつ以上食事以下の小腹を満たす食べ物で、山歩きにも当てはまると思った次第です)
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11月に入り沢歩きもそろそろ終盤を迎えつつあります。あまり水に浸かりたくない晩秋といえば西上州の沢。昨年は11月に碓氷川本流と谷急沢へ行きました。紅葉もちょうど見頃です。朝発でも無理なく周回できる短めの沢でまだ遡行したことのない沢へ行って来ました。
西上州は妙義の山に代表されるように小ぶりながら岩峰そびえ立つギザギザの山並みが目を引きます。そんな山並みの沢ですから両岸が覆いかぶさるような柱状節理の岩壁で、一見恐ろしげなゴルジュもあるのですが、中はナメが楚々として流れていたり、柱状節理の岩壁を沢床にしたようなナメが続いたりと、なかなか興味深い沢でした。
後半はちょっとした岩登りも楽しみ穏やかな源頭部へと導かれます。せっかくなので尾根に詰めてからは展望の山頂まで足を延ばして紅葉の山並みを堪能しました。下山は沢下降となりますが、下降点までの登山道は午後の陽を浴びた紅葉のプロムナード。沢下降といってもほとんど山肌を下って林道にあがり、紅葉に彩られた鋭峰を見上げながら戻りました。
道平川を最初に紹介したのは故広田さんですが、最近出版されたガイド本に初級の沢として紹介されたため、私のような沢歩き派をふくめて遡行者が増えているようです。まずは、写真速報にて。
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(検索した記録が表示されない場合は、以下を読んでください)
「ブナの沢旅」の記録を閲覧される場合に注意していただきたい問題が発生しています。最近、山行記録を作成する際にURLリンク名(パーマリンクというらしいです)を変更しました。これまでは何もしていなかったので、日本語の記録のタイトル名が付いていました。そのために場合によってはリンク名がとても長くなっていました。そのせいかどうか他のサイトで自分の記録のリンクを貼っても正しく表示されない問題が発生していることに、今ごろ気づきました。最初は原因がわからなかったのですが、本来パーマリンクはシンプルかつアルファベットがのぞましいとのこと。
そんなわけで「ブナの沢旅」サイト内の個々の記録のパーマリンクを変更したところ、外部の各種検索エンジン(googleとかyahoo)で表示された記録が表示されなくなってしまいました。新しい記録は最初から変更済みなので問題はないのですが、過去の記録がひっかかります。考えれば当然かなと思うけれど、変更するときは情けないことにそこまで意識が及ばなかったというしだいです。そこで、お手数なのですが、そんな場合は「ブナの沢旅」の年度別またはカテゴリー別のページから当該記録を引き出していただければ問題なく閲覧できます。写真はこれまで通りクリックすれば拡大できます。
ホームページの構成は相変わらずシンプルだし、自分で変更もできないため、ずっとこのままです。でも最近は写真メインだったり動画だったりの記録が多いなか、できるだけ文章で記録を残したいという気持ちは変わらず続けるつもりです。やはり残るのはtextだという信念もあります。ただ、昔の岳人のような、写真をほとんど掲載せずに文章だけで山行を引きつけるような紀行文には到底至らず、最近は不足を補うかのように写真も増えている状況です。年齢的にかなりくたびれてきてはいますが、まだ夢や憧れは持ち続けているつもりです。これからも「ブナの沢旅」をご愛顧いただければうれしいです。
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楢俣川本流を最後まで詰め上げ稜線の向こうの景色を見てみたいという、ささやかな思いを抱いた三日間の沢旅でした。当初は南田代まで下る計画でしたが初日の楢俣川遡行にかかった時間から早々とタイムオーバーの予感。けれど穏やかにきらめく沢を歩くだけで充分に感じられたため、二日目は稜線にでて時間があれば赤倉岳を行けるところまでと大幅に予定を縮小し、あくせくと目標達成、なんて無粋なことはヤメにしました。
楢俣川本流は以前奥ススケ沢出合まで歩いており、ゆったりとした川の流れとナメ小滝と森の調和が美しい沢でした。これまで支流の沢は幾つか遡行しているけれど、いつか本流を最後まで詰めてみたいと思い続けていたのでした。稜線までも予想以上に時間がかかりました。けれど赤倉岳の稜線は予想以上に紅葉が見ごろで今回の沢旅で一番印象に残りました。赤倉岳山頂は間近でしたが、手前の小ピークに広がる草原があまりに気持ちがよくここでもう満足と、しばらくピクニック気分に浸ってのんびりまったり幸せな時を過ごすことができました。
ちょっと藪をかき分けて稜線の北側にでるとこちらは湿原の名残のある草地で、北東方向にぽっかり空いた空間、大小の湿原が二つ見えました。地図に照らし合わせると中ノ沢の下田代(?)でしょうか。正面には平ヶ岳が大きく、以前訪れたススケ峰湿原も見えました。後方には至仏山が存在感たっぷり。なじみの山々と辿った沢を思い出しているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。三日間とも晴天に恵まれ、ようやく実現した楢俣川本流遡行でした。けれど体力の衰えは明らかで、もう来ることはできないだろうとも感じ、さよなら、ありがとうの楢俣川でもありました。
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懸案の山旅を数日後に控えたある穏やかな日、足慣らしにもならない丹沢の低山大野山へゆるふわハイキングへ。谷峨駅から吊り橋を渡ると世界が変わります。山道に入ると突然鳥がぎゃーっとものすごい声で飛び出してきて、こちらも負けずにキャーッとびっくり。すると道端に雛が2羽取り残されていたのでした。そうだったのか、驚かせて悪いことしたな〜と思い、ゴメンね、なにもしないから、すぐに行くからと親鳥が隠れているらしい草むらに声をかけて通過。
すると今度はメェーというヤギさんの声。こちらは驚く様子もなく人懐こそうなのでこんにちわ、って声をかけると寄ってきて写真撮るからこっち向いてっていうと、ちゃんとポーズを取ってくれました(ように見えただけ。。)ひとしきり山道を登ると展望が開け最近は珍しく富士山もくっきりと見えてきました。さらに登ると、木彫りのウサギとフクロウがいてご愛嬌の標識に「スカイツリーと同じ高さ634m」なんて書いてあります。
山頂近くなると車道を横断するのも承知の上。富士山の展望を背に山頂にとうちゃく。700mちょっとの低山でも丹沢と富士山の展望がいいファミリータイプのお山です。誰もいない公園のような山頂でコンビニこだわり?のラーメンを食べてシュークリームとパイナップルのデザート、コーヒーでお腹いっぱい。こんなハイキングもいいものだなあと心から思えたのでした。大きな桜の木の下で捕まってくださいと言わんばかりの枝が低く伸びていたので、お約束?の木登りポーズ。
帰りは山北駅にでる道を下ると、なんと大倉の登山口にいる丹沢クリステルが妹と並んでいました。キャサリンっていうんですね。どうでもいいけどうれしい出会いでした。あんな、こんなで、あ〜あ楽しかったと山北駅に着きました。
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