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2021.03.18
遠い昔峠道だった枯木山
カテゴリー:雑記帳

遠い昔下野国(栃木)から会津へ抜ける道の一つに、湯西川から枯木峠を越える道があったという。江戸時代の下野國全圖には湯西川の西、花和から北に延びる尾根に尾根道が記されている。国境は「枯木峠の峯から荒海嶽の尾根」。ということは田代山からの尾根が合わさる枯木山南の肩が枯木峠と言われていたらしい。「新編会津風土記」では「道殊に嶮しく牛馬を通ぜず、高手原村(湯西川の一集落)と峯を界ふ」と険しいながら人の往来が示唆されている。枯木山は大毛無山とある。

湯西川温泉の猟師宿の山口久吉氏は、枯木道峠 について「この道は、高手と花和から北側の山道を登り、山の神の峰に出て峰筋を北上し、石休道から楢の木休道、そして悪志沢と木の沢の峰筋に出て、この峰を北上して枯木山の麓を通り、岩代國湯の花温泉に出る峠道であり、私の伯母が若いときこの山道を通って、湯の花から里帰りした峠道でもあった。」というとても興味深い文章を残している。実際に地図でこの峠道がどのように付けられていたのかなかなか想像しにくいが、険しい道だったことは確かだろう。

枯木山について歴史のほんのさわりをなぞっただけだけれど、名も知られざるこんなに奥深い山にも人々の営み、交流の足跡が残されていたことを知った。当たり前のことかもしれないが、何も知らずに登るよりも何倍も染み入る山旅ができる。

「ふくしま百山紀行」の奥田博氏は枯木山を「無名で、奥深い、何の取り柄もない、偉大な山」ゆえに「会津らしい山の代表」だと記している。なのに後年改版された「新福島百山紀行」では「何らかの形で道(あるいは道形)」のある山という尺度から27座を入れ替え、登山道の無い枯木山が消えてしまったのは残念だし「会津百名山ガイダンス」にも掲載されていない山だけれど、だからこそ会津の山好きには一種「憧れの山」であるのかもしれない。

今シーズンはじめてそんな枯木山を訪れることができた。そして予想以上にブナが多く展望の良い山だった。

 



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