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2018.08.11
山の日に「山を思う」を読む
カテゴリー:雑記帳

著作権の切れた作品をインターネットで公開している「青空文庫」には、山に関する作品も多数公開されています。私も、何年か前に木暮理太郎の「山の憶い出」上・下に収録の55作品を入力して青空文庫のボランティアデビューをしています。読んだことがあるという方もいらっしゃるかもしれませんね。

今回は、石川欣一の「山を思う」(山渓山岳新書)が公開されました。ジャーナリストの石川欣一(はバリバリの岳人とは違うのであまり馴染みがないかと思いますが、趣味の登山で数多くのエッセイを残しており、飄々とした人柄を思わせる、今読んでも古臭さを感じさせない軽快な文体が私のお気に入りなのです。山岳著作には、他に「可愛い山」(白水社1987年6月)も公開されています。

没後50年間の著作権保護期間が切れているわけですから当然古い時代の作品です。だからこそ、今振り返ってみて興味深いエッセイも多いのです。たとえば、清水トンネルが建設されているころの土合周辺の状況や、トンネル建設と山の関係など、普段よく訪れる場所だけに面白かったです。ちなみにその部分を、長い長い地下階段を下りながら紹介してみましょう。

清水隧道

(上)
先ず第一に数字をあげる。清水隧道は六百五十万円の工費を投じ大正十一年の夏から着手したもの、総延長が三万一千八百三十一呎八、これは九七〇二米に当る。こゝに世界の主な隧道所在地や長さを列記して見ると(単位米)
シンプロン(アルプス)    一九、七三〇
サン・ゴタルド(同)     一四、九九〇
レッチベルグ(同)      一四、六〇六
アプリ水道(アペニン)    一二、七三〇
モン・スニ(西アルプス)   一二、二三三
アールベルグ(墺)      一〇、二七〇
リッケン(スイス)       八、六〇三

という具合だから、清水隧道はアールベルグとリッケンとの間に入り、世男第七位、アプリを除けば第六位になる。現在日本で一番長い笹子隧道は四六五六米で第廿五位、生駒山は三三八〇米で第丗六位、また難工事で有名な丹那は七八〇七米、出来上れば七米の差でフランスのピレネーの上に位し、清水、アプリを入れて世界で十五番目のトンネルになる。

このトンネルが出来て、上越南北両線が結びつくようになると、現在信越線による上野長岡間の距離が約六十マイル短縮される。と同時に信越線は海面上最高基面高が軽井沢三〇八六・四四呎であるのに、上越線は土合土樽間の二二三〇・七八呎で、その最急勾配に非常な差があるから、線路換算延長は上越線において百六十四マイルの逓減を見ることになる。この他、こまかい数字を羅列すればきりが無いが、この位にしておこう。トンネルの両端にそれぞれ一つづつのループがある。そしてその各々が二個のトンネルから出来上っている。突然ループといってはわからぬ人もあるかも知れぬが、これはレヴェルの著しく異なる点へ出る一つの方法で、俵藤太に退治された百足のように、山をくるりと一巻きまき、より上方の地点で今来た線路の上に出るのである。現在では鹿児島線に大きなのがあるが、今度はこれが二つ出来る。またトンネルは、北線に現在の終点越後湯沢からトンネル入口の土樽信号所まで約九マイルの間に二つ(ループをなすもの)南線には水上駅から土合信号所まで約七マイルの間にループをなすトンネル以外に二つある。

はじめ東京鉄道事務所の好意になる地図を見た時、湯沢の方のこのトンネルループの存在理由が了解出来なかった。湯沢から中里を経て土樽信号所まで、魚野川の相当に広い平地で極めてゆるい上りであるにも拘らず、線路は正面山の麓の平沢部落まで来て急に東へ折れ、この平地を横断して魚野川の流域の右の山裾を走り、中里の部落から再び川を越し、松川第二トンネルで用もない山のどてっ腹にもぐり込み、ループをなして松川第一トンネルに出現し、三度魚野川を越して土樽へ行っている。真っすぐに行ってしまったらよさそうな物をと思ったが、三国峠を越して湯沢へ行き、軽便鉄道――それは魚野川に沿って、いわゆる真っすぐに走っている――の窓から工事を眺めながら土樽まで行って来て、さて改めて工事中の線路を朱で書き込んだ地図を見るに至って、はじめてこの疑問が氷解した。即ち線路は平沢から松川まで、正面山東側の急な斜面からの雪崩を避けて東方へ逃げ、土樽信号所と近いレヴェルに達するために松川第二トンネルでループをなし、再び雪崩を避けるため松川第一トンネルで山の裾を抜け、恐ろしく高い鉄橋で魚野川を渡って一直線に土樽へ向っているのである。このような例は諸所にあるだろう。気がつかずに走ってしまえばそれまでの事だが、また専門家の眼からは当然のことだろうが、素人はこんなことに気がついて、ちよっといゝ気持になる。

(下)
上越の国境には相当に高い山が並んでいる――と、こう書いていわゆる微苦笑をもらした。高い山脈があるからこそ、それが国境になったのだ。それはとにかく、西南方の稲包山から東北方の朝日岳にいたる山脈中の、最も低い場所を求めて、人が山越をしたのは当然のことである。然し山の横腹に穴をあけるとなれば、山の高低は敢て問う所ではない。かくて清水隧道は一九七八米の茂倉岳の直下を、遠慮会釈もなく一直線につらぬいているのである。だが何ゆえ、特にこゝを選んだのか。

廿七日朝、水上まで汽車、そこから自動車みたいにガソリンで動く軽便鉄道で土合の建設事務所へ着いて、次席技師の内田氏にあった時、この点を質問した。すると、それには色々技術上の問題もあるが、何はとまれ、土合、土樽間が四点で見通しのつくことが、この上もない強みだとのことであった。即ち土合の信号所から茂倉岳の頂上が見え、頂上から山中のある一点が見え、そこからは土樽信号所が見下せるという。これは一つの啓示であった。

所で、土合へ来て驚いたのは、狭い谷を埋めつくした家である。湯檜曾にも鉄道関係の人は多数いるが、これは昔ながらの部落であった。しかるに土合は大正十一年この工事がはじまるまでは、人家とて碌にありはしなかったのが、いまでは二千人ばかりが集っていて、病院、学校、倶楽部等があり、この附近では最も文化的設備がとゝのっているのだが、さて隧道が貫通すると、あとには信号所が残るだけで、またもとの山猿の遊び場になってしまう。これは土樽とても全く同様である。

思いがけなかっただけに面白かったのは、糞尿焼却装置である。いさゝか話が尾籠になるが、これだけの人類の糞尿が、狭い湯檜曾川へ流れ込んだ日には、岩魚ややまめばかりでなく、下流に住む人々までが、とても生きてはいられまい。そこでゴ式焼却器という、大きな釜をそなえつけ、すべてこゝで処分してしまう。

学校は先生三人に生徒百六十五人の複式教育。生徒は日本中から来ていて、朝鮮人の子供も多い。教室に電燈が下っているので、夜学でもするのかと思ったがそうではなく、冬は屋根まで雪に埋ってしまうので、こういう設備がしてあるとのことであった。高等科の子供は湯檜曾へ通うのだが、トロッコなので、一つには工事中の岩石等が飛んで来るのを防ぐため、頑丈な金網が張ってあり、子供達は鶏みたいにその中に入って学校へ行く。越後側の土樽も、先生、生徒の数は偶然ながら土合のと殆んど同じである。

内田さんの案内で隧道の一番奥まで、約一万四千尺入って見た。途中坑口から九千尺ばかりの所で、素敵な勢いで水がふき出している。大正十五年十一月、こゝまで掘って来て断層に逢い、猛烈な噴水のために工事を中止して別に九千呎に近い排水隧道をつくった。今隧道入口の左手に盛んに水を吐き出しているのがそれである。

隧道の一番奥の光景は、物凄いものであった。六名の鑿岩夫、六名の「さき手」以下数名が濛々たる岩粉、轟々たる音響の中で鑿岩機を使用して、固い岩に穴をあけると、その後ではマイヤーホーレーが不気味な恰好で岩屑をすくい上げる。二尺乃至二尺五寸間隔で五尺ほどの深さに四個穴をあけ(これを真ヌキという)その周囲に廿四個小さいのをあけると、ダイナマイトを填めて先ず真ヌキを爆破させ、丗秒位してから周囲の廿四を同時に爆破させる。そこで坑内の空気を吸い出し、新鮮な空気を送り、あらためて鑿岩機の活動がはじまる。たゞ今のところ現場交代で四交代、昼夜兼行、工事を急いでいる。

一時間ばかりいて坑外へ出たら夏の日ざしに目がくらんだ。事務所の前に給料をもらう人達が列をつくっている。ふと、今日はわが社でも月給と上半期のボーナスとが出る日だなと思った。

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