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かつて戊辰戦争で新政府軍と戦った長岡藩の家老河井継之助は、長岡城の攻防戦で負傷し会津若松へと敗走しました。その敗走路である八十里越の里が見える場所で、継之助が「八十里、腰抜け武士の越す峠」とつぶやいたと言われていることはよく知られている逸話です。
本来なら沢納めの時期なのですが、何しろこちらも肩を「負傷」している故障者なものですから沢はあきらめました。けれど歩くのは大丈夫なので、どうしても山に泊まりに行きたいと思い、八十里越を思い立ったのでした。
八十里越は10年近く前に歩いています。その時は新緑まばゆい山旅でした。日がながい時期だったので、日帰りで越後から只見に抜けました。とても印象深い山歩きだったので、今度はゆっくりと2日かけて紅葉の時期に歩きたいと思ったものでした。それからはや10年という月日が流れました。故障者となったおかげとでもいえるでしょうか。
天気もまずまずで、紅葉の最盛期は過ぎていましたがなかなか味わい深い山旅となりました。落葉のおかげで前回は新緑に覆われて見えなかった山並みの展望がたくさん得られて新鮮でした。おかげでいろいろな変化が感じられ、八十里越は秋がいいと思いました。前回ハグしたブナの大木にも再会できてうれしかったです。
なぜか山にいる時は肩の痛みをあまり感じないのですよね。だからって無理しないようにいたわりながら歩いたので、2日間たっぷり時間がかかりました。だからかえって味わい深い山旅になったともいえるわけで、今も余韻をかみしめているところです。
詳細は後日に。。。
同じ場所でとった新緑は2008年6月1日のもの、紅葉は2017年11月1日のものです。
こんにちは。 間違って足尾の沢へコメント入れてしまい済みません。
紅葉のブナ林きれいですね。
昔はこの峠道を会津から越後に『からむし』を背負って運んだのでしょうか?。
本、高桑 信一さんの古道巡礼に、八十里越―会津と越後を結んだ歴史の街道記録が
載っていました。地名・山名もイメージ出ないので斜め見しました。
同じ本に、米沢街道、大峠―海と山をむすぶ生命線、塩の道 記録も有り、こちらは
興味深く読みました。この本、ルート略図等イラストが柔らかく良いです。
オラの在所、①長井~小国町(西山新道)、②小国町~村上市(柳生戸街道)で海に出ます。
塩の道、絹の道とも言われています。 ※絹(あおそ・からむし)
②ルートの県境付近に烏帽子岩が有り、岩峰を巻くようにトラバースします。
11月末に目の手術を受けます。年内の登山は禁止になり更に目なので、本、PCと好きな
3つがダメになるようで、それを思うと今からユウウツな気持ちになります。
オラの在所は白くなってきました。
これからの天気は関東が良いですね。山を楽しんで下さい。
okusanさん
コメントをありがとうございます。この欄があることを忘れてしまいそうなほど久しぶりのコメントをいただいたのでうれしかったです。
八十里越では、あらためてしみじみといい山旅ができたと思いました。
「古道巡礼」は好きな本で、仙北街道などは触発されて歩きました。できたらみんな歩いてみたいと思っていて、okusanさんの在所の塩の道、絹の道も興味深いですね。最近は歳のせいか、ますます歴史の古道に惹かれます。
私も来月初めに目の手術です!しばらく山にいけなくなりますが、その間に季節はすっかり雪山になりますね。それまでにぜひブナの霧氷に会いたいと思うのですが、なかなかタイミングがむずかしいです。またのぞきに来てくださいね。