ブナの沢旅ブナの沢旅
▲トップページへ
2015.04.17
山毛欅沢山〜城郭朝日山
カテゴリー:雪山

2015年4月17-19日

 

4月に入ってしばらく仕事の都合で山に行けなかった。それは前からわかっていたので時間がある3月にせっせと山へ通った。そして一段落したら一人でテント山行しようと、行きたい山域ごとにプランを立てた。

どのプランもいずれは実行したいが、しばらく間があいて体力的に多少の不安があることと、3日間の天候をみて南会津の山を最初に選んだ。

ブナの沢旅をテーマに「自力山行」を始めたのが2006年の秋。そして初めての残雪期となる2007年4月に2泊3日で初めて南会津のブナの山稜を歩いた。あのときは膝を痛めて強行したこともあり、山毛欅沢山から恵羅窪山の往復にとどめ、三本山毛欅峠から小立岩に下った。恵羅窪山からは遠くかすかに城郭朝日山のピラミダルな山頂を見渡した。ブナ街道北端の山は遠い存在だったが、いつかきっと行きたい山となった。

翌年も同じ時期に同じ山域を選んだが、このときは北に向かうのではなく、三本山毛欅峠から南方向の坪入山〜窓明山〜家向山のブナ山稜を歩いた。やはりブナの森が素晴らしいコースだった。

2010年4月には尾白山から古町丸山を踏み、山頂から山毛欅沢山の尾根へと続くブナの山稜を歩いた。「ブナ街道」の主稜線に劣らずブナ林が美しかった。

そして2012年4月、ようやく一人で雪山テント山行をしたのもこの山域だった。安心感を得るため馴染みの山を選んだのだ。このときも恵羅窪山までだったが、途中で話を交わした先行者が城郭朝日山を往復していた。トレースがあるよといわれ、もう1泊すれば足を延ばすいい機会だったのにと少し残念に思った。

なんだか長い前置きになってしまったが、振り返ってみても城郭朝日山がいかに遠い、気になる存在だったことか・・・

4月までは会津高原尾瀬口からのバス始発が11時なので、朝食をとって7時前の遅い出発となる。前回もそんなことを書いたけれど、何かが違う。3月半ばから上野東京ラインが開通したため東海道線の終点が東京駅ではなく宇都宮や高崎や知らない駅名になっている。仕事帰りにゆったり東京駅から座ることもできなくなって内心ブーブー言っていたが、今回唯一メリットを見つけた。ささいなことではあるけれど、東武鉄道に乗る北千住まで行くのに上野で乗り換えるだけで簡単に行けるようになった。

会津高原尾瀬口から乗客は自分一人の貸し切りバスに乗り、鳥井戸橋で降ろしてもらう。3年ぶりだが深瀬沢沿いの復旧護岸工事はまだ続いているようだった。雪堤に乗って様子をみると事前情報通り倒壊した橋は付け替えられていた。あっさりと対岸へ渡り、前回決死の覚悟で徒渉した下流の伊南川出合を見下ろす。雪解けで水量が多く、よくこんな所を徒渉したものだと我ながら感心しながら支度をする。

例年よりも2週間ほど時期が早いこと、今年は豪雪だったことなどで、尾根の取り付きから雪がついている。適当に雪を拾いながら急斜面に這いつくばって尾根に乗る。初日は雨予報がでていた通り、気温も低くてどんよりとした空模様。前回は徒渉の心労と暑さで早々と疲れてしまったが、気温が低いことが幸いして快調だ。

尾根に乗ると一帯が雪面となる。いつも目に止まる小さな石の祠は雪に埋もれていた。途中から小雨模様となり風もでてきた。どんよりとうら寂しい雰囲気だけれど、明日はきっと晴れると信じているので大丈夫。登るにつれ雨が霰のような雪に変わり、尾根がうっすらと雪化粧。

1200mあたりから伐採二次林が終わって太いブナ林となる。天気がよければ左手に大戸沢岳から三岩岳、窓明山の白くたおやかな山並みが臨めるのだが、何も見えない。初日はアプローチと割り切って淡々と尾根を登る。

前回テントを張った1380mで立ち止まる。時計をみるとまだ4時前だ。前回よりも1時間早い。今回も5時をメドにテントを張る予定だ。山毛欅沢山が近づくが雪庇が割れているのがわかる。バスの運転手さんに聞いた所では、今年は雪が多かったけれど融けるのも早いと。

稜線に乗り、小手沢山方向へ向かう。風はますます強まり、行く手のブナ林に樹氷がついて墨絵の世界を見るようだ。こうなると、心細いというよりも目の前の幻想的な光景に吸い込まれる。

ポコを2つ越えた鞍部が広々としてテンバによさそうだったが、風の通り道になっていた。とはいえ風は西側の谷から吹き上げているのでどこも風がつよい。諦めて尾根から少し下った平地を整地して手を打つことにした。今回は軽量化のために自立式のツェルトにしたが、補助ロープでしっかり固定して中に入ると思ったよりも温かく快適だった。せっせと水をつくり温かい食事でくつろぐ。

joukagoasahi2

風は夜中まで吹き荒れた。最初は不安だったが、ここまで来てじたばたしてもしょうがないと、居直るようになったら気持ちが楽になった。少しは眠れたようで、気がつくと鳥の鳴き声が聞こえる。とても心が和み明るい気持ちになる。風もかなり収まって青空の気配。

二日目はザックを軽くして城郭朝日山までピストンの予定だ。シュラフもそのままで片付け不要なのはなんて楽チンだろう。身も心も軽やかに出発する。

晴れているが春霞で山並みがかすんでいる。目の前のポコをこえるとすぐに小手沢山だ。山頂は帰りに寄ることにしてトラバース気味に西に向かう尾根を進む。幾度も小さなポコを越えながら緩やかに波打つブナの雪尾根を進む。3月に何度かあるいた谷川連峰のような展望の華やかさは微塵もないし変化にも乏しい。ブナしかない山だけれどブナがある。これだけのブナの回廊がある山を他に知らない。

恵羅窪山ののっぺりとした山頂についた。大きく枝を広げたブナが目印だ。そういえば前回は心細いからと小さなぬいぐるみを連れてきて、一緒に写真をとったっけ。もちろん今回は一人立ち。西側は小手沢を挟んで火奴尾根が近い。その後ろに会津朝日岳から丸山岳に続く尾根が連なる。まだ歩いていない尾根だが、鋸歯は黒々としている。丸山岳は丸い山頂だけしかみえないが、梵天山から高幽山、坪入山と続く稜線が一段と真っ白に連なり、そそられる。

2009年4月はいつもより早く開通した黒谷林道を進んで火奴山から丸山岳に登った。2013年には窓明山から丸山岳を往復した。どちらも思い出深い素晴らしい山行だった。ブナ街道を歩くといつも丸山岳を探してしまう。また行きたいなあ〜。もう一つ歩きたいコースがあるのだ。

またまた脱線。丸山岳に郷愁を抱きつつ今回の目的地へ向かう。いよいよここからが、まだ歩いていない未知の山域だ。ワクワクしながら緩やかに尾根を下る。ここから城郭朝日山まではポコを六個も越えて行く。

しばらくはゆったりとしたブナの尾根が続く。ほんとうに行けどもいけども手つかずのブナ林が広がる。けれどそんな安穏とした光景が最後まで続くわけでないことはわかっている。1446mポコにのると城郭朝日山がはっきりと姿をあらわす。東側は雪が落ちて急峻な崖。手前のポコは薮で黒々としている。いよいよだなと思う。

少し下ると痩せた尾根筋はヤブとなるが、東側の雪堤がまだ歩ける状態だ。ところどころ亀裂がある所はヤブに逃げる。この雪堤もたぶん5月の連休まではもたないだろう。鞍部から見た1353mポコは岩峰のヤブで手強そう。西側の雪面をトラバースして進む。傾斜はあるが雪面が締まっているのでアイゼンが効く。それでも不慣れなために緊張の連続となる。今まではこういう場面ではいつも同行者に先行してもらっていた。ここだって、あとに続けばそれほど大変な所ではない。もっと慣れなくちゃと思う。

最後は少し登り返して鞍部にもどる。ここからは雪がついた疎林の斜面を登る。もう少しだ。西面は山頂下までブナの疎林だが、伐採後の二次林だ。やっとの思いでたどり着いたというのにここだけが二次林とは。たしかに城郭朝日山は黒谷川の倉谷からの方が入りやすいし、地図でも城郭沢左岸尾根の途中まで経路が記されている。隣の広河原沢にはワイヤーの残置があったという記録もある。

疎林帯を越えると無木立の真っ白な斜面となる。東側は雪庇が張り出しているので大丈夫と思えるあたりを山頂とみなして登頂宣言!標高はこれまで越えてきたポコとたいして変わらないのに山頂は独立峰のように360度の展望だ。会津朝日岳の先に浅草岳や会越の山並みが広がる。最後はそれなりに大変だったので感慨もひとしお。ついに一人で来てしまった。やればできるものだし、強い想いが報われた気がする。しばらく山頂でぼんやり山を眺めていたが風が強いので長居ができない。さあ、そろそろ戻ろうと、腰をあげる。

帰路も油断はできない。往路は西面のトラバースに迷いがでて所々降りたり登ったり。そこで帰りは傾斜の緩そうな斜面まで下ってから水平移動することに。途中小さく張り出した尾根に引き込まれてしまったが、なんとか二つのヤブ峰を巻き終えたときはホッとした。

緊張が解けたせいか疲れがどっとでて足取りが急に重くなる。1446mへの登り返しが辛い。けれどこれから何度もポコを登り返さなければならず、そのたびにゼイゼイ息が切れて立ち止まる。こんなことは初めてだ。自分では意識していなかったけれど、緊張疲れが加わったようだった。

幸い時間はたっぷりある。気持ちを落ち着かせ、ゆっくりゆっくり我が家をめざす。小手沢山のダケカンバに挨拶する余裕はなく、パスして最後のポコに乗り上げた。赤いツェルトがポツンとブナ木立の間に見えた時はどんなに安堵したことか。ああ、帰って来ることができたーと心から思った。

相変わらず風は強く固定ロープは4本とも外れていた。踏ん張ってくれてアリガト。食事まで少し横になって休むことにしたが、すぐに眠りこけてしまい気がついたらあたりは真っ暗。このまま朝まで寝てしまいたい誘惑にかられたが、無理して軽くうどんと果物だけを口に入れてから就寝。

joukagoasahi3 joukagoasahi4

とても穏やかな朝を迎えた。よほど疲れていたのかテント泊ではめずらしく明るくなるまでぐっすり眠った。体調も回復したと思うが、大事をとって帰路の予定を変え来た道を戻ることに決めた。そうと決まれば急ぐことはないと、昨晩予定していたビーフンをつくり、野菜や肉を頑張ってたいらげた。

パッキングを済ませ出発する。なんだか名残惜しい。住めば都ではないけれど、たった2晩でも安らぎを与えてくれた小さなおうちの跡をいとおしく思う。

山毛欅沢山に向かう。1525mポコに乗ると、ここで引き返したらしい2人の明瞭なトレースがあり、山毛欅沢山の山頂下には別に単独者のテントが見えた。やはり昨日の土曜日に人が入っていた。もちろん3日間誰にも会わなかったしトレースもなかったが、ここで初めて人の気配。

山毛欅沢山も雪庇が張り出した山頂だが、一部が大きく割れている姿は初めてだった。稲子山から坪入山への緩やかにうねったブナ街道を目で追う。体調が万全ならば昨日のうちに小沢山まで進み、稲子山を越えようかなどと欲張った妄想案もなくはなかった。

トレースが小沢山方向についていたので、三本山毛欅峠から来たのだろうか。もう8時をまわっていたので不在だろうと思いつつテントに近づいて声を掛けてみた。やはり留守。

ザックをデポした所に戻り、鳥井戸橋への尾根を下る。南面なので早くも雪が腐り始め、出だしの急斜面がアイゼンでも滑る。こんな時は前日のしっかり蹴り込まれたトレースがありがたかった。

駅に戻るバスは9時半の次は午後2時近くまでない。すこし早出をすれば無理なく朝のバスに乗ることもできたが、温泉で山旅をしめたかった。車がないとこんなときは不便なのだが、そこは考えよう。時刻表とにらめっこして決めた。12時過ぎの檜枝岐行きのバスにのって日帰り温泉につかり、ちょうど1時間で折り返して来るバスで駅へ戻ろうと。

緩やかな尾根はどんなにのんびり下っても早い。時間調整のため途中で小一時間ほど休んで送別会。たまにはこんなゆるゆる歩きもいいものだ。それでも小一時間ほど間があるので停留所のある大原まで移動する。沿道にはちらほらフキノトウ。

停留所前の庭先で作業をしていたおじいさんに挨拶をすると質問攻めにあう。山の話をすると城郭朝日山は知らなかった。この辺りの集落で認識されている山は恵羅窪山までのようだ。城郭朝日山は只見側の黒谷集落の山なのだと改めて感じた。事情を話すと、誰かいれば車で南郷にある温泉まで連れていけるのだが、といってくれた。その言葉だけで十分だった。フキノトウが摘める小さな沢の場所を教えてもらい、バスの時間までビニール袋一杯摘んだ。

日曜だというのにふたたび誰もいないバスに乗り檜枝岐村へ。まだ観光シーズン前なので沿道も閑散としている。駒ヶ岳登山口で下山した登山者やスキーヤーの姿が見えた時、ああ自分はほんとうに静かな山奥に行ってきたんだなと思う。

運転手さんと相談してバス停から近い温泉の駒の湯に立ち寄ることにした。「1時間後に戻ってきますね」「お待してます」と言葉を交わしてバスを降りた。

joukagoasahi6 joukagoasahi7

17日 鳥井戸橋12:20−稜線16:30−テンバ16:55
18日 テンバ6:15−恵羅窪山7:30−城郭朝日山9:50(帰路は記録せず)
19日 テンバ7:20−山毛欅沢山8:00−(時間調整の休憩1時間)−鳥井戸橋10:50