ブナの沢旅ブナの沢旅
▲トップページへ
2013.04.13
舟鼻峠〜転石峠〜駒止峠〜戸板峠〜黒岩山〜七ヶ岳
カテゴリー:雪山

2013年4月13-15日

 

一ヶ月前に歩いた舟鼻峠から神籠ヶ岳では地味ながらしみじみといい山旅ができた。そこで心の炎が消えないうちに、今度は舟鼻峠から西へのびる茫漠とした山並を越えて駒止湿原を縦断し、駒止峠、戸板峠、保城峠を越えて七ヶ岳まで足をのばしてみることにした。佐藤勉氏の記録を手がかりに、ブナの沢旅バージョン、我が南会津の山旅へ・・・

==============================

前夜、那須塩原駅でピックアップしてもらい、会津高原尾瀬口駅へ向かう。駅につながる建物は夜間も開放されており、我々が到着後にやって来たパーティは中でテントを張っていた。翌朝目覚めると周囲の山々は真っ白だった。前日かなり雪が降ったようで、ひょっとして今回も霧氷が見られるかもしれないと期待する。念のため車のフロントガラスに15日まで入山する旨のメモを貼り付け、始発の電車で田島駅へ向かう。「八重の桜」の大きな写真が張られたピカピカの観光列車は我々2人だけを乗せて出発。なんとも贅沢な旅立ちだ。

田島駅におりると予約したタクシーが待っていた。前回同様、舟鼻トンネルを抜けたところでおろしてもらい、ワカンをはいてトンネル脇の斜面を登る。最近は気温が高い日が続いていたので雪の具合が気になったが、さすがに豪雪地帯。そんなに易々と雪どけにはならないようだった。昨日の降雪のおかげで山はきれいに雪化粧して迎えてくれた。天気も上々。ワクワクせずにはいられない。

雪で覆われた林道に乗り上げて南へ進むとすぐに開けた広場のような舟鼻峠へ。道路脇の杉の大木の下に石像と供養塔がコンクリートの覆屋に収められていた。奥会津の東西を結ぶ舟鼻峠は古くから開かれた峠道で、農民一揆や戊辰戦争などの要路だったという。今回は五つの峠を越える山旅だ。それぞれの峠に人々の暮らしの歴史があるのだと思うと興味深い。

南側から緩やかに張り出した尾根を登ると峠からジグザグにのびる林道に乗り上げる。少し傾斜が増すが更に尾根を直登すると再び林道が横断する。振り返ると1ヶ月前に歩いた三引山から横山方面が眼下に広がる。あのモコモコとしたブナの雪原を歩いたのだと思うと、いとおしさがこみ上げる。

ここから上は地図で崖マークがあるのでしばらく林道をたどり、傾斜が緩んだ所で舟鼻山の山頂雪原へ進む。4月も半ばだというのに霧氷が言葉にならないほど美しい。ブナは伐採林だと思っていたが、部分的に原生林も残っている。とても山頂とは思えない広がりで、視界がないといっぺんに迷いそうだ。

コンパスで方角を確認しながら森の中をひたすらさまよい歩く。わずかに盛り上がった1230mからは北西にのびる尾根を鞍部まで下ると右手に湿原マークの広い雪原を見下ろす。ここでザックを下ろしてしばらく休憩後、西から張り出した緩い尾根を登る。ずっとブナ林がつづく。細い二次林にまじって大木も点在している。1203mポコの北側を通り、左手の谷筋を意識しながら西南西に進む。北側にはこんもりと盛り上がった御前ヶ岳が近い。

1162mで南に方向を変え、尾根を下って広い鞍部にでると待避地点と書かれた標識があり、林道に出合ったことを知る。ここから林道伝いに沢筋を進む予定なのだが、すぐに道が判然としなくなり方向に迷う。目の前の地形と地図の現在地がよくわからずGPSがなかったらお手上げだ。50年近くも前に地図とコンパスだけで歩いた佐藤さん達は凄いと、これから何度もつぶやくことになる。

しばらく沢筋をすすみ1172mと1140mの鞍部に乗り上げる。1140mの広い尾根を西に進み、緩やかに高度を下げて転石峠へ。ここにも湿原マークがあり、実際湿原の一部が水面を出していた。近づくと水面がボコボコと音を立てている。長い眠りから覚めて大あくびでもしているようで春の兆しが感じられた。湿原を横切って南に延びる沼尻川右岸尾根に乗り上げると美しいブナ林が広がる。

対岸に石ぼろ山が近づくあたりで尾根は緩やかに西に曲がり1080m鞍部となる。ここからは尾根と谷筋の地形が判然としなくなる。地図では湿原マークが点在するが、ひたすらコンパスを頼りに西へ向かって緩やかなブナ林のアップダウンをくりかえす。1142mの顕著なポコは南側を巻いて進むと、これまでよりも規模の大きな湿原が雪の間から姿をあらわしていた。

湿原と小尾根のミルフィーユみたいな地形がつづき、冗長に感じる頃ようやく駒止湿原の北端である水無谷地の一角にたどり着く。といっても冬の湿原は、ただひたすらだだっ広い雪原でそれ以外になにもない。それでも舟鼻峠からパズルのような尾根を歩いて湿原にたどり着いたという達成感と喜びは大きく、それで満足だった。

カンカンと照りつける太陽の下で広大な雪の原を歩くのは楽でなく、照り返しの熱さと疲れでバテ気味になりながら駒止湿原入口へ降り立つ。入口には立派な案内板と春夏秋の草花を紹介したカラー写真の表示板が並んでいた。あれっ、冬の写真がないね、などといいながら広い雪道を下っていくと、スノーモービル禁止ときびしい罰則規定を表記した看板が高々と掲げられていた。あの広大な雪原だ。きっと過去にスノーモービルを走らせた不謹慎な人たちがいたのだろう。

初日は駒止湿原までが目標だったので、行動を終えることもできたが、まだ時間に余裕があるので駒止峠をめざす。しばらくは旧289号線をたどるが、道は小高い雪堤となって積雪量の多さをうかがわせる。昭和村への道をわけると広い平坦地があらわれる。ここはかつて駒止茶屋があった場所だ。この峠道が使われていた時期の茶屋は、冬期の悪天の際には宿泊施設としても使われていた助け茶屋でもあったというが、駒止バイパスの貫通により、その長い歴史に幕が下ろされた。

すぐにあらわれる駒止峠は開けたカール状の源頭部にあり、とても穏やかな雰囲気が感じられるが、元々は田島と南郷を結ぶ険しい峠であり、冬の峠越えは困難を極め遭難が多発したのだという。少し休んでから南へ向かう林道へ進み、1200mの見晴らしのいい平坦地で長い初日の行動を終えることにした。

 

 

 

 

翌朝も朝から快晴だ。春の日は長く、5時前から明るいことに驚く。今日はどんなコースを歩くことになるのか楽しみだ。七ヶ岳に登る3日目の月曜日が曇りと霧の予報なので、2日目もできるだけ先に進むつもりで6時に出発する。ここから戸板峠までのコースは細かな尾根と谷が四方に入り交じり、地図ではとても複雑に見える。

林道を少し進んで右手尾根の傾斜が緩そうな所から窪を登り、マイクロウェーブ基地が建つ小尾根へ。今でも使われているのか新しく立派な施設だ。1208mポコにあがると舟鼻山の特徴的な長く平らな尾根が目にとまる。朝の空気は澄んでいて遠く飯豊連峰の山並もはっきり見える。どこを見渡しても穏やかな山並が広がる。

1967mから南に向かって小屋沢の広いカール状の源頭部に下る。ここからは佐藤氏の記録にならい沢筋をたどって1272mに登る。沢への下降点が不明瞭なので、とりあえず東から張り出した尾根にのると道型があらわれホッとする。地図にもある破線の道だ。しだいに雪で覆われた沢に近づく。二俣で水が出るが、ちょうど渡渉点に雪堤があって難なく対岸に渡る。

沢筋は一部水が流れていたがワカンがゲタとなり濡れずにすんだ。駒止トンネルの上を通過して1272m 手前の鞍部から斜面を登って尾根に戻る。ここからはなんとものびやかで緩いアップダウンをくり返す。1334mの平頂から下って登り返したところで次のピークをショートカット。1370mポコに進むと伐採の手が入っていない美しいブナ林が広がりうれしくなる。すぐに林道が接近するので意外だったが、少し進むとカラマツの植林となる。林道をたどるとだだっ広い雪原の鞍部となり、戸板峠に降り立った。

田島側からこの峠に至ると前方に突然真っ白な大戸沢岳があらわれ思わず声がでる。きっと古の旅人も同じだったに違いない。峠の表示板がとれた枠組だけがぽつんと立っていた。ここまで順調に進めたので長めの休憩を取る。

戸板峠南側の広い尾根を登り1403 mと1430mの鞍部から沢筋へ下る。対岸の南東に張り出した小尾根を登り返して黒岩山の西峰と東峰の鞍部にでる。ようやく標高も1400m台まであがると針葉樹が点在するようになる。ここで初めて下りのトレースがあらわれる。スパイク長靴のトレースなのできっと地元の人だろう。

小さなポコを越えてひと登りすると1440m の黒岩山東峰に着いた。標識やテープ類はいっさいない地味な山頂だが、予定よりもかなり早く到達できたことがうれしい。暑いので木陰でゆっくりと昼食の休憩を取り、2日目の目標地点である保城峠へ下る。トレースの主は保城沢沿いの道を登って来たようだった。

保城峠とはロマンチックな響きの名前だが、会津藩主、保科家の姓をとったものともいわれており、木地師の切り開いた峠だという。七ヶ岳の記録は1926年7月に慶応大学山岳部が最初だといわれている。その時彼らは保城峠から大平山をへて七ヶ岳を往復しているが、藪でかなり苦労したらしい。ここはそんなクラシックルートの出発点なのだ。まだ昼をまわったばかり。天気がいいうちにできるだけ先に進むことにした。

保城峠から七ヶ岳に登るためには六つの峰を越えなければならないが、1ヶ月前に舟鼻峠から三引山へ向かう途中で見えた山並は、いずれも丸みを帯びた穏やかな山容だった。七ヶ岳は七番目の峰であり、これは裏七ヶ岳連峰だと命名。さあ、心してアップダウンに備えようと気持ちを鼓舞して出発する。

最初の1518mは南側をトラバース気味に通過する。尾根上は雪が薄く、岩と藪と針葉樹のミックスで、これまでと雰囲気が違う。どの峰も北面の登りは明るいダケカンバが混じるブナ林が広がるが、下りの南面は針葉樹との混合林という明瞭な違いが興味深い。1528m に登るとたかつえスキー場が見えた。ついにここまで来たかと感慨深い気持ちになる。山頂から下る南側に雪庇の壁ができており、下るのに一苦労する。

地図では四つ目の峰だけ大平山と記載されているが、樹林に囲まれた平凡な山頂だった。かなり疲れが出て来たので、夕食用のおかずを食べてエネルギー補給する。1602m への登りは100mほどもあり最初は傾斜もきつくてヘトヘトになる。この斜面のブナは大木が多く、雪もたっぷりついていてとてもいい雰囲気なのが救いだった。だだっ広い山頂の一角にたどり着いたところでギブアップ。疲れたところにヘビーな食べ物を胃に入れたことが裏目に出て気分が悪くなってしまった。

さっそくテントを張って夕食までの間横になって休むことにした。これまでも何度か経験あることで、疲れすぎたところにお酒を飲んだり食べたりすると気分が悪くなる。疲れすぎるまで行動するのがいけないのだが、どうも貧乏性で早くに行動を終えることができない。1時間ほど休んだおかげでかなり回復したが、食事は控えて早々に就寝とする。

 

 

 

予報通り夜中から雪が降り出し、中からテントをたたくと雪がザザッーと落ちる音がする。朝までに5㎝ほど積もったが、なんと5時頃にはやんで青空が広がり始めた。予報をチェックすると昨日までの悪天予報が晴れマークに変わっている!やったーと小躍り。体調も完全に回復した。

朝一番の仕事は急斜面を120mほど下るので、初めて軽アイゼンをつける。念のためピッケルも取り出し、慎重にジグザグにくだるが、雪が締まっているので心配するほどではなかった。広い鞍部で一息つき、1638mへの最後の登りとなる。これまでの里山風情から、しっかり山に登る雰囲気になる。

会津駒方面の真っ白な山並を始め、四方の展望がさえてくる。針葉樹の低灌木を越え、ようやくフィナーレに近づいたと思いきや、スキー場のリフトや小屋があらわれ一瞬意表をつかれる。そして大笑い。この3日間誰にも会わず人工物も何もない山を歩きとおして山頂についたら、そこはリゾートだった・・・なんか笑えると思った。

早朝の澄んだ空気の展望は最高だ。高原山地から武尊山、燧、駒から丸山岳につづく稜線、さらに浅草岳と鬼ヶ面の黒々とした岩壁、守門の大雪庇、すべて見えるので驚いた。もちろん目の前には豪快な山容の荒海山と男鹿山塊の山々、枯木山が近い。会津の山がみんな見える。

ザックをデポして七ヶ岳本峰へ向かう。すでに十分満足したが、山頂を踏んで神籠ヶ岳から七ヶ岳の大縦走を締めたいと思う。山頂付近は雪がまったくない。これまで歩いて来た山域とは気象条件が違うようだ。もう一度360度の展望を楽しみ、これまで歩いた丸山岳方面の山並を一つずつ目で追った。そしてまたあの白峰に登りたいと思う。

西峰に戻る途中、南尾根の丸山から沼の平をへて中山峠にくだる尾根をまじまじと観察。できれば丸山から中山峠に下りたかったからだ。けれど丸山直下の垂直に近い急斜面をくだることと、中山峠からの長い林道歩きが不安だったので、安全なスキー場からの下山とした。

リフトトップに戻るとすぐに幅広の管理道路があらわれる。これで下山は楽チンだ。展望を楽しみながら下って行くと沿道斜面にフキノトウがあらわれる。さっそく袋とナイフを取り出し、フキノトウを摘みながらノンビリ下る。スキー場はすでに閉鎖されているので途中からゲレンデの真ん中を快適に下り、タクシーで会津高原尾瀬口駅に戻った。

 

 

13日 舟鼻トンネル口6:40-舟鼻峠7:00-舟鼻山8:30-転石峠11:30-水無谷地13:45-駒止湿原入口15:00-駒止峠15:40-1170m幕営地16:10

14日 幕営地6:05-1334m8:30-戸板峠9:45-黒岩山東峰11:33/12:00-保城峠12:22-大平山14:55-P1602m幕営地15:40

15日 幕営地6:30-七ヶ岳西峰7:45-七ヶ岳8:30/8:45-たかつえスキー場入口11:40