ブナの沢旅ブナの沢旅
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2012.11.03
小田倉沢~津室沢下降
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2012年11月3-4日

 

今シーズン最後の沢旅(沢泊)となった。各地の山で降雪の知らせが相次ぐ中、沢泊りには遅いような気もしたが、今年中にこれまで増水のため2度も敗退している小田倉沢へ行きたかった。そして足尾銅山の歴史の一端につながる津室沢の集落跡を見てみたいと思った。

沢歩きをしていると古の山の暮らしの面影に遭遇することがある。そんなきっかけから高桑信一氏の「古道巡礼」を愛読し、「足尾根利山の索道」にはとりわけ大きな関心を抱いた。津室沢は沢登りのガイド本で二つの大滝をもつ隠れた美渓と紹介されているが、関心はむしろ歴史遺跡の探索にあった。穏やかながら変化にとんだ小田倉沢で紅葉と焚火を楽しみ、翌日は津室沢を下る「古道巡礼」で歴史の一端に触れる。シーズンの沢旅を締めくくるにふさわしいテーマではないかと考えた。

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当日の朝沼田駅で待ち合わせ、泙川の奈良集落跡へ向う。いつもの広場に車を止め、廃屋の裏から植林帯に入って驚く。伐採のための広い作業道が作られ、泙川にくだる踏み跡がわからなくなっていた。

前回の記憶をたよりに適当に斜面を下り、それほどロスもなく川原におりてまずはホッとする。泙川は明らかに水量が少なく、一番深いところでも膝下程度で水流も弱い。渡渉できたとたわいもなく喜び、荒涼とした広河原を小田倉沢出合へ。

あいにくの曇り空だが、紅葉が美しい。しばらく水涸れした広河原をすすむと水流があらわれ、谷筋が狭まって沢らしくなる。いくつかのナメ小滝を越え沢が左に曲がると8m滝となる。左岸から巻き上がると両岸が立ったゴルジュとなり、すぐに樹林越しに20mの大ゼンが見えてきた。スダレ状の美しい滝だ。

2年前の夏はものすごい水量で大釜が渡れず引き返した。さすがに今の時期は水量が少なく、大釜はまるで水たまりのようだ。ここで敗退したことがウソのよう。釜を横切って左岸から取り付き、手がかりの少ない上部は残置ロープに頼って滝上へぬけた。

思わず歓声をあげたくなるほどのすばらしいナメが沢幅一杯に広がっており、頭上は今が盛りとばかり紅葉が美しい。3度目の正直というが、今度こそ大丈夫という安堵感も相まってホクホク度は最高潮。この時期の遡行記録は見当たらなかったが、紅葉を愛でるならば、まさにベストタイミングだ。しばらくヒタヒタとナメを進むとゴーロに変わる。両岸はひらけてテンバ適地が随所に見られる。

900mあたりからゴルジュとなり、2段5m滝を越えると側壁は見事な柱状節理となる。右にトラロープのかかる12m滝は傾斜の緩い左壁から越える。6m滝を右岸から巻き、深い淵をもつ6m滝も左から越えるとゴルジュは終わる。

ゴーロ状の小滝をいくつか過ぎると再び両岸が狭まり深い淵にはばまれる。左壁の中段に浅いバンドがあるが、ホールドがないため一歩踏み出すところが難しい。空身でトライしてみたが、無理することはないと諦める。少し戻って左岸を高巻き、懸垂で沢床におりた。

ゴルジュの中の1115m二俣を左へ進み、いくつか小滝を越えると10m滝があらわれる。シャワーをいとわなければ登れそうな滝だが、右岸を小さく巻き上がる。滝上は時々ゴーロ状の小滝があらわれる程度の穏やかな渓相になる。日の短い時期なので遅くとも4時には遡行を切り上げたいと、テンバを探しながら進む。1300m付近のテンバ適地が目標だったが、1250mの左岸にこじんまりとした平たい草地があったのでここで遡行を終えることにした。ちょうど4時になっていた。

2人で手分けをしてテント設営と薪集めを行い、暗くなる前に盛大な焚き火を囲んで3度目の正直に乾杯した。さすがに夜は冷え込んだが焚き火を去りがたく、暗闇の中でメラメラ燃える炎を無心の境地で眺めながら今年最後の焚き火を心ゆくまで楽しんだ。

 

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夜外にでるとキラキラ光るものが舞っていた。どうも雪がちらついたようだが、翌朝には消えていた。いつものようにのんびりと朝食を取り7時過ぎに出発。すぐに最後の10m滝があらわれる。左岸のガレ斜面から巻いて滝上にでると渓相が一変し、日本庭園風の穏やかな渓となる。両岸がひらけ、至る所にテンバ適地の台地が広がる。

早くも源頭部の雰囲気となり、1350mからは右岸の一段上が緩やかな台地状の平坦地となる。興味がてら斜面を登ってみると平坦地はそこだけが植林になっていて山道の名残が認められた。このあたりがかつて植林の苗木を栽培していたという中小屋の跡地なのかもしれない。ということは、沢に下る山道は沢を横切って延間峠に続く古道なのか。にわかに歴史探索モードのスイッチが入る。

当初は1410mの奧の二俣から1504m西の鞍部に抜ける予定だったが、少しルートを変えてみることにした。沢を離れて緩やかな斜面を鞍部の方向に進むとカラマツの伐採地となり、所々に酒ビンや陶器が散乱していた。いかにもかつての作業場という感じだ。少し標高が高くなったからか、昨夜の雪が残っていた。コンパスで方向を合わせて進むと最後は窪となり、その先が鞍部だった。

反対側は津室沢の源頭部が緩やかな斜面で落ちている。一点の曇りもない青空が広がり、雑木林の紅葉が黄金色に輝いている。つぎなる目的地はレンガ造りのボイラーがある津室の原動所跡だ。燦めく紅葉に見とれながら鞍部から北にのびる明瞭な山径をたどる。

途中山の上からガサガサと賑やかな音が聞こえてきたと思ったら、何十匹ものサルの集団がものすごい勢いで山径を横切って斜面を走り下っていった。興味深い光景だったが、鉢合わせにならずによかったと安堵する。

山腹をトラバースしながら緩やかに下っていくと径はガレ沢手前から二手に分れる。ここから枝尾根をジグザグ下っていくと眼下にレンガ造りの小さな小屋が見えた。思わずやったーと声を上げる。広い平地の片隅にぽつんとお目当ての構造物が何十年もの歳月を経てたたずんでいた。

ザックをおき、しばらく原動所跡の遺跡見学。レンガ造りの構造物は人が入れるような出入口はなく、釜戸の焚口のような小さな穴があるだけだ。よくわからないがボイラーに関係しているらしい。他にも原動所跡と思われる構造物の台座や崩れたレンガの山などが数カ所点在しており、一大作業所であったことがしのばれる。

誰かが見つけて吊るしたと思われるプレートには、津室停車場と書かれていた。そう、ここはかつて足尾銅山に燃料となる薪を供給するために張り巡らされた空中索道(スキーリフトのような仕組み)の原動所だったのだ。

2年前に立ち寄った平滝集落跡から山上の津室、小田倉沢を横断して延間峠、そして集積地である砥沢へと索道は続き、最後は銀山平に送られたという。日本の近代化を支えた歴史の一端を、このような山奧で沢登りを楽しみながら触れることができた喜びを感じないではいられない。

崩れたレンガは苔蒸し、木の実はいつしか立派な木となり根をはってレンガに覆い被さっている。なんだか諸行無常の響きを感じてしまう光景だ。そんなレンガを手に取って裏返してみるとローマ字が書かれてあった。よく見るとSHINAGAWAと読める。品川レンガだ、とYさん。そういえば品川って耐火煉瓦のメーカーでIRの仕事したことがあるよ、と私。チョットした発見が嬉しく、まるで小学生の課外授業のよう。

ちなみに、かつての品川白煉瓦は耐火煉瓦の国産化で成功を収め、最近復元が終了した東京駅の赤レンガ(こちらは建築装飾用)はすべて品川白煉瓦製だという。帰宅二日後に東京駅構内で赤レンガに触れたとき、津室沢で対面したあの赤レンガと同じ出自だと思うと感慨深く、歴史の光と影を見る思いがした。

 

 

 

しばらくタイムトリップの時間を過ごした後、沢に下ると途中に石垣の跡が認められた。津室沢は小さな小川風情だ。しばらくはなにもない穏やかな沢を下って行くと、所々の左岸台地に集落跡と思われる無木立の平坦地が広がっていた。

沢に燦々と陽が振りそそぎ、カエデの紅葉が目を見張るほど鮮やかだ。しばらく下ると前方右手に1344mの丸山が見えて来た。南東鞍部の丸山峠は津室と平滝集落をつなぐ索道が通っていたところだが、現在は廃道となってたどるのも容易ではないらしい。

丸山峠に突き上げる枝沢出合いを過ぎるとようやく前方が切れ落ち、滝上にでた。上段の3mを右から巻き、下段の10mは左岸の巻き道から下った。最後はほとんど垂直に近い壁を下るが、幸い木の根が格好のホールドとなり見た目ほど悪くなかった。両岸が立って険しい雰囲気となり、再び滝の落ち口へ。いよいよ津室沢の45m大滝だ。左岸の壁には多くのシュリンゲが巻き付けられた残置支点があり、トラロープが掛かっていた。興味本位にトラロープにつかまって下をのぞいてみたが、上段の一部しか見えず、それ以上の冒険はやめた。

さてと、核心の高巻きだ。ここで2人とも初めて沢用のアイゼンを使用。Sugiさんはゴム製のチェーンアイゼン、私は軽アイゼンと形状が似たバンド状のアイゼンだ。少し戻って右岸の傾斜の緩い窪に取り付き、かなり登ったところで踏み跡にそって隣の尾根にトラバース。

さらに尾根を登ると木に赤ペンキと赤テープが見えて来た。そこまで登ると下降のトラバース道となり、下降点からはトラロープが張られていた。残置ロープがなくなった所からは補助ロープを木に掛け替えながら、落ち葉で滑りやすい急斜面を下って沢におりた。

少し上流に目をやるととてもエレガントで美しい大滝が楚々と水を落としていた。滝を眺めながら休憩とする。うまく高巻くことはできたが、それでもかなりの時間を費やした。懸垂すれば簡単なのだろうが、少なくとも30mロープ2本分は必要で荷の負担が大きい。

滝下からは沢幅一杯のナメが続き、気持ちがよいところだ。5m、7mの幅広滝を右岸から巻き下り、沢が右にまがると再び両岸が立った滝の落ち口となる。最後の25m3段滝だ。少し戻った右岸から斜面を這い上がると上にはトラロープがかかっていた。

少し登ると左手に小尾根の張り出しが認められたが、斜面の上には何カ所か赤テープが見える。こちらの方が下りやすいのかもしれないと思い、赤テープにしたがう。けれどかなり登ったところでテープはなくなり、下降路がよくわからない。適当に斜面をトラバースしていくと窪状の斜面となった。等間隔に木が生えているのでロープを木に掛け替えながら下っていくと泙川本流の川原が見えて来た。

傾斜も多少緩いように見えたので、途中からはロープなしで下る。斜面をトラバースしながら下っていくと上からラクッ!という声が聞こえた。sugiさんは自分の真上には居ないはずだし、足場の悪い斜面で振返ることもできなかったのでそのまま下ると、すぐに背中に衝撃を受け、つんのめって転げ落ちた。

幸い立木にぶつかって止まったが、1人で起き上がることができずしばし宙ぶらりんの状態となる。手助けしてもらい、起き上がるとたいしたこともなかったので、そのまま慎重に下って川原におりた。赤テープに惑わされてとんだ大高巻きとなったが、ここはやはり最初に目にとまった小尾根を下るべきだった。

多少精神的な動揺もあったので川原で一休み。左側の背中と膝が痛んできたのでゆっくり歩いて三重泉沢にはいり、橋の手前の斜面をひと登りして林道にでた。あとは林道をとぼとぼ歩けばいいだけだが、けっこう長い距離だ。Yさんに先に戻ってもらい、進めるところまで車で迎えに来てもらうことにした。

もともと下山時の林道歩きは辛いものだ。今回は不測の事態が起きてしまいなおさら辛いはずなのだが、沿道の紅葉の美しさに随分と慰められた。最後は車と合流し、上毛高原駅から帰途についた。

こんな風に最後は事故を起こしてしまったが、それほど大事に至らずに幸いだった。事故の顛末記は別途掲載する予定だが、紅葉と焚き火と歴史探索の沢旅はとても充実したもので、そのことに何ら影を落とすことはない。変な言い方だが、シーズンをしっかり締めくくったあとの出来事でよかったと思う。

 

 

 

 

3日 駐車広場9:40-小田倉沢出合10:20-1250mテンバ16:00

4日 テンバ7:10-1504m西の鞍部8:50-原動所跡9:25/10:00-大滝下12:30/12:45-泙川本流14:05/14:20-林道14:50