ブナの沢旅ブナの沢旅
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2012.11.30
湊川高宕川~高宕山~宇藤原
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2012年11月30日

 

リハビリをかねて2年ぶりに房総半島の沢に行った。低山でも山頂が踏める沢を探し、房総の名峰と言われる高宕山に突き上げる高宕川を遡行してみることにした。遡行の入り口となる「T秘境」とは、はたしてどのようなところなのか。

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当日の朝最寄りの駅でピックアップしてもらう。骨折してすぐにリハビリ第一弾は房総の沢に行きたいと伝えると、すぐに送迎付きで付き合ってくれると言ったのだ。

高速に乗れば、目処をつけていた高溝の集落は1時間半ほどの近さだ。さらに高宕川沿いの細い林道を進んで行くと、ネットで見慣れていた「T秘境」の入口である素堀のトンネルが見えて来た。思わず、わあっーと声がでる。ついにご対面だ。

トンネル手前の空き地に車をとめ、沢靴に履き替えて出発。行き止まりのような岩壁をくり抜いたトンネルの向こうにはどのような世界が広がっているのか。もちろん、なにか劇的な展開などないことはわかっているが、はじめての光景を自分の目で確かめられるのは嬉しい。

トンネルをくぐると沢が林道の高さに近づいたので、適当なところで沢に降りた。う~ん、水量も少なく、やはり最初はあまりパッとしない渓相だ。少し進むと林道が沢に下っている。たぶん、ここからライダーはバイクで沢に突進するのだろう。

平凡な渓相とはいえ、ここは房総の沢。側壁の浸食模様が面白い。まるで大きな灯籠のように削られた地層を興味深く眺めながら歩いて行くと突然沢幅が広がる。入渓点からは想像もつかないような開放的な空間が広がり、沢床は舗装道路のように滑らかだ。なるほど、これが「T秘境」なのね。それにしても沢の中にバイクや四輪車が侵入するなんてひどい話だと憤る。

一瞬の情景だが、小和瀬川中ノ又沢にこんな展開のところがあったことを思い出す。ヒタヒタと気持ちよく歩いて行くと前方に小滝が見えて来た。黒滝という立派な名前がついているが人工滝で、左の苔蒸した岩壁には階段がほられ、ロープが垂れていた。

地図では黒滝上で本流にも水線が引かれているが、水流は左岸の右沢につながっていて本流は水涸れしていてわからなかった。穏やかなナメをさらに歩いて行くと右岸でナメ滝が出合う。高宕川のハイライトともいえる急駟(きゅうし)滝だ。

ものものしい名前は地元の歴史学者、菱田忠義氏が命名したもので「ちば滝めぐり」によると、落差27mとある。これも川廻しでできた滝で、明治時代に牧場造成のために行われたもの。けれどここの牧場経営はうまくいかず、下流部の荒廃をもたらしただけだったようだ。

下から見上げる滝は、とても人工滝とは見えないほど立派だ。水量があるともっと迫力があるはずだ。滑りそうだが右にロープが垂れている。sugiさんはスイスイと登っていったが、まだ骨折が完治していないので、傾斜のきつい上段はロープにつかまっていても緊張し、心臓がドキドキした。

滝上はトンネルになっている。2年前に遡行した三間川の開墾場の滝もそうだったが、いかにも房総の滝。トンネルを抜けると沢はまた元の平凡な渓相となり、ふたたび本流に合流する。といっても地図上での話で、じっさいには急駟滝のある支流が本流の水をみんなとってしまい、もとの本流はほぼ消滅している。

左手頭上に林道の橋が見え、しばらくすると取水堰があらわれた。しだいに谷が深くなり、右岸の側壁がまるでアートのような浸食模様となる。興味深く観察しながら進むが、沢は蛇行をくり返し小さな枝沢がたくさん出合うので現在地がわからなくなってくる。同じような渓相がずっと続くのでsugiさんは飽きてきたなどといっているが、私はようやく体調も回復しつつあったのでたくさん歩ければよかった。

時々沢が狭まって水量がなくなりそうになるが必ず復活し、小径のようなナメが蛇行をくり返しながらも延々と続く。左手から張り出した尾根の取り付きに黄色のテープが巻いてある。どうもここがネットで調べていた高宕山への取り付きのようだが、きれいなナメは続いているし、時間もあるので最後まで詰めて「完全遡行」することにした。

海抜200mをこえるとさすがにナメは途切れはじめ、時々小さな涸れ棚のギャップにはばまれるようになる。そしてついに230m付近で水が涸れ、沢が藪っぽくなってきたので右手の尾根にあがることにした。靴を履き替え腹ごしらえをして急斜面にとりつく。それほど苦労もせず、うっすらとついた鹿の踏跡をたどるとあっさりと枝尾根にのった。

驚いたことに枝尾根には道があり、標識までついていた。高宕川源頭部と尾根を隔てて南側にある志組川沿いに途中まで林道が延びているので、この尾根道はきっとその林道とつながっているのだろう。房総半島の山は細かな尾根が縦横に走っていて、そこに地図にない道がたくさんある。そこが面白い所であり、場合によっては人を迷わせる。ともかく小さな沢とはいえ、高宕川を最後まで遡行して湊川の源流をたどることができたと、ささやかな達成感を分かち合う。

明瞭な尾根道を北に登っていくと左手にロープが張ってあり、その先もうっすらと道が延びている。たぶん沢の途中でみた黄色いテープの尾根を登って最後は山頂を巻くようにトラバースすると、ここで志組からの尾根道と合流するのだろう。そしてこの道が昭和48年の国体の時に作られた道なのだろう。

やはり高宕川はかつて、高宕山の登路として歩かれたのだ。ネットの記録で断片的に得た情報がようやくつながった気がした。すぐに立派な標識の立つ「関東ふれあいの道」の登山道に合流した。

ここから高宕山へ向かう。途中、手前の315mの小山に立ち寄ってみる。道はないが、テープが随所に見られた。最後は残置ロープを手がかりに腕力勝負で大岩を登るのだが、力のかけ具合に不安があったので下で待つことにした。標柱があるだけで見晴らしはないようだった。

ここでGPSを落としてしまったことに気付き、戻って探したが見つからなかったので潔く諦めることにした。2年3ヶ月の間フル稼働で役に立ってくれたので、原価償却したと強引に納得といいたいところだが、ショック・・・トホホ・・・

気を取り直して山頂へ向かう。途中で山頂を巻いていることに気付き、少し戻って踏み跡らしい尾根を登ったのだが、正規の登山道は山頂を巻くようについていることをあとで知った。道があるところは安心しきって下調べをしないため、時々こういう勘違いが生じる。

最後は真新しい梯子を登って高宕山に立った。標高わずか330mだが、複雑に絡み合う小さな尾根が縦横に波打つように重なる眺望はほんとうにすばらしい。絶壁の足下には高宕川の深い切れ込みが最初から最後まで見て取れる。山は高さではないというが、それは300mの山にだって言えることを実感する。

ゆったりと温かい昼食を取りながら存分に眺望を堪能し、山頂をあとにする。少し下ると岩をくり抜いたトンネルがあらわれる。興味津々にトンネルの階段を登り降りすると、半分岩壁に被さったように建てられた、高宕観音のお堂が見えて来た。

由来を記した案内板によれば、高宕観音の本尊は行基が彫ったと伝えられており、源頼朝が石橋山の合戦に敗れて安房に逃れ再興を祈願したと伝えられているのだとか。すべては虚実入り交じった言い伝えなのだが、このあたりには各所に源頼朝伝説が存在しているようだ。若い時ならそんなに関心はなかったけれど、最近はやたらと歴史物に興味がわくのはやはり歳のせいなのかな。

苔蒸した参道の石段を下っていくとうっそうとした杉林に変わり、狛犬 と仁王像の立つ参道入口の広場となる。登山道は明瞭で分岐には標識があり、迷うことはない。小粒ながら凛々しい山容の石射太郎との分岐には手書きの標識があり、左の宇藤原方面へ進む。この道も地図には点線さえ表記されていない道だ。

計画したときは高宕山から駐車地点までどうやって戻れるのかよくわからなかったのだが、地図を見ると登山道から緩やかにのびる尾根をたどると宇藤原集落につながっている。きっと道があるはずだと思い調べると、予想通りだった。とても快適な尾根道で地図に書かれていないのが不思議なほどだが、林道終点の集落の意向が反映されているのかもしれない。

気持ちよく歩いていくと道沿いに苔蒸した古いお墓が並んでいた。ほとんどは文字が消えていたが、読み取れるものには江戸時代の寛政五年、源智貞と彫られてあった。江戸時代までも源姓が使われていたかどうか疑問だが、きっと源氏の末裔伝説があったのだろう。ここで正確なことを問うのは野暮なこと。歴史とロマンの古道を歩くことができたのだから。

登山道から車道に出るところは柵で塞がれていたが、作業をしていたおじいさんが開けてくれた。立ち話をして宇藤原集落の来歴を尋ねてみた。おじいさん自身は源氏の末裔ではないが神主のところに家系図があって、民間の歴史家が調べに来たことがあると語ってくれた。

それよりもこの丘陵地からの眺めの素晴らしさがご自慢のようで、晴れていれば富士山や前衛の山並みが一望でき、みなとみらいの夜景がきれいで、夏は毎週のように花火があがるなど、聞いているうちに情景がつぎつぎと浮かんできた。おじいさんはたくさんの人とこうして知り合いになったと嬉しそうだった。私たちも嬉しい気持ちになり、とても満ち足りた気持ちでリハビリ沢ハイキングを終えることができた。

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素堀トンネル入口8:00-登山道11:40-高宕山12:30/13:15-高宕観音13:35/13:45-宇藤原車道14:45-素堀トンネル入口15:30