ブナの沢旅ブナの沢旅
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2007.04.28
山毛欅沢山~小手沢山~恵羅窪山
カテゴリー:雪山

2007年4月28-30日

 

当初は山毛欅沢山から稲子山、坪入山、窓明山、巽沢山を縦走する予定だったが、膝の故障で無理はできず、できるだけ荷を軽くし、コースを変更して強行突破の山行となった。

会津高原駅からタクシーで鳥井橋に向かう。小雨の中、山毛欅沢山に向かう尾根に取り付く。最初は仕事道に沿っていくが、途中から尾根から外れたので、適当なところから尾根に這い上がる。

膝をかばいながらで踏ん張りがきかない。1100mあたりまで雪はなく心配になるが、次第に雪がついてきて、ブナの大木もあらわれる。

1300mを超えると傾斜はなだらかとなり、時間は2時半と早いが天気もよくないので、1350m付近のブナに囲まれた広い平坦地でテントを張ることにする。風も強く寒くなってきたので早々にテントに逃げ込む。夕食はカレーと、ウインナとにんにくの芽、ねぎの炒め物、グレープフルーツ。8時ころには寝る。夜中寒くて目が覚め、その後はうとうと状態。

予報どおり、翌朝は快晴。朝食はフカヒレスープのおじや。2日目は予定を変更し、山毛欅沢山への稜線から少し小手沢山よりの斜面下にある、これまた素敵なブナの平地に荷物をデポして恵羅窪山をピストンすることに。稜線はまだたっぷり雪がついていて、ブナの木々が美しい。展望も申し分なし。地図を片手に山座同定。当初計画していた稲子山、その陰に隠れるように坪入山。

正面の真っ白な顕著な山は窓明山のようだ。するとそこからなだらかに伸びている長い尾根をたどって戻る予定だったんだ。途中の巽沢山はどれだろう?窓明の向こうの高い山は三つ岩岳かな。その先の山は?会津駒は三つ岩の陰に隠れるような位置にあるから、大戸沢山だね、という具合。

坪入からは真っ白ななだらかな尾根が続いている。あれは大幽山から梵天山、丸山岳の稜線だ。そして思いは眼下に広がる黒谷の森へと続く。無雪期に沢を遡ってあの頂に、などと夢想しているとあっという間に時間が過ぎる。とても豊かなひと時だ。

小手沢山の山頂にはここだけ数本のダケカンバの大木がブナに混じって真っ青な空に枝を広げていた。ただただキレイのひとこと。遠くには二岐山が見える。そのずっと先の雪をかぶった高い山脈はどこだろう。飯豊かな・・・

恵羅窪山まではいくつかのこぶを超えていくが、ずっとブナの大木が美しいプロムナードをつくっている。すこし無理してでも来てよかった!コースを変えて正解だったかもしれない。

時々立ち止まって幸せをかみしめながらのんびりと歩く。小さなこぶを超えるたびに景色が変わり、そのたびに地図と見比べる。時にはこんなゆったりとした山行もいいものだ。

恵羅窪山、面白い名前だ。どんな由来があるのだろうか。山頂はずんぐりとした小山だ。まだ昼前なのでもう少し進めそうだが、城郭朝日山まで往復する元気もないし、途中まで行くのも中途半端なので、ここでのんびり昼休みとする。

前方の稜線のさらに先に真っ白に尖った山頂だけを見せているのが城郭朝日山のようだ。ずいぶん遠いな。でも、いつかいってみたい。暖かい食事を取って一時間ほど休み、デポ地にもどることに。

素敵なブナの森をもう一度歩けるからうれしい。行きと帰りでは見え方も違う。まさにルンルンルン気分。そして、目印にしていた赤い紐のワカンが見えてきた。思わずただいまー

さあ、ここが今日のねぐらだ。補助ロープを木の間にはって昨晩の雨で湿ったマットや何やらを干す。こういう光景、憧れていました。テントを張ってビールで乾杯!夕食はリゾットの予定だったけど、二人ともあまり食欲がなく、パンとスープ、ベーコンハムと、トマトきゅうりのサラダであっさりした食事にする。夕日がきれいだ。昨晩ほど冷えなかったが、少し寒くてやはり冬用シュラフにすべきだったと反省。寒さでよく眠れないと体力が奪われる。

翌朝は4時半に起床。すばやく朝食を済ませ、6時半には出発。山々は朝日に照らされ輝いている。まずは山毛欅沢山へ。初日に稜線に出てから小手沢山方向に向かったのでまだ山頂を踏んでいなかったのだ。雪はしまって歩きやすい。所々雪庇が大きく崩壊している。

ずんぐりとした山頂だ。ここからは大パノラマを楽しみながら稜線を快適に下っていく。この尾根の北側もブナ林なのだが黒っぽく雑然とした様相だ。一方小手沢方面のブナは白っぽい幹がすくっと伸びて端正で美しい。

小沢山手前の1436mから南東に派生する尾根を下る予定だ。ここは三本ブナ峠と呼ばれかつて道があったらしい。広々としたすばらしい尾根でスキーが楽しめそうだ。1100mくらいまでは快適に下っていくと、急に雪がまったくなくなり、痩せた藪尾根となる。傾斜も急で、潅木や笹につかまりながらバックステップですべるように下っていく。

少し下ると沢が見えてきた。山毛欅沢に降りれば地図に途中まで点線の道がついていたから何とかなると思ったのだが、道らしき跡はないし、沢沿いは雪渓が残っていたり、崖が水際まで張り出していたりと、簡単に通れそうにない。

少し下れば堰堤があってその辺りからは大丈夫らしいことはわかっていたが、心配だったので目の前の尾根を登り返すことにした。そのときは、それがもともと下っていた尾根だと思っていた。

地図で予想したとおり、しばらくすると尾根も緩やかになり再び沢が見えてきたのでほっとしたのもつかの間。この尾根は枝沢に落ちていて、想定していた尾根ではなかった。1050mあたりで小さく別れた隣の尾根を下ってしまったようだった。

藪で地形が見えにくいところはもっと細かくコンパスで確認すべきだったと後で反省。とにかく枝沢をくだって再び沢に出ると前方に堰堤が見えほっとした。明瞭な作業道は地図とは違い左岸についていた。堰堤を右岸からこえてしばらくすると壊れた鉄の橋が見え、それから道は右岸へ。このあたりからは蕗の薹をとりながら安越又川出合へ。

二階建ての作業小屋があり、沢の水を引いて池が作られていた。橋を渡り、沢沿いの林道を緩やかに下って小立岩の集落にでた。近くのバス停で時間を見たところ、1日3本しかないバスが幸運なことに5分後にくることがわかり、まずは会津高原駅までもどることにした。

電車の時間と照らし合わせ、風呂と食事の両方をとると次の電車に間に合わないので、バスターミナルの食堂でゆっくり食事をして長い岐路についた。

この山行後しばらく膝の休養につとめることにしたが、その間、佐藤勉氏の「我が南会津」を読み、ますますこの山域への思いが強まった。私が行けるのは残雪期のほんのわずかの時期だが、すでにたくさんのプランが頭に浮かび、楽しみがふえた。