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カテゴリー:雑記帳
2012.11.10
落石による滑落事故顛末記@津室沢

11月4日午後1時半頃、津室沢の3段25m滝を高巻いて沢に下降中、背後から落石を受けて転倒、滑落し、第八肋骨を骨折して全治4週間の診断を受けた。具体的な状況については曖昧なところが多いが、事故情報はできるだけ共有することが望ましいと思い、顛末を記すことにした。

3段25m滝は下降の場合、滝下がすぐに泙川本流に出合うほぼ最後の滝だ。赤テープにしたがってある程度登ってから右方向にトラバースすると眼下に泙川本流の川原が見えた。そこで急斜面ではあるが、立木に補助ロープをかけかえながら下っていった。ある程度下ったところで傾斜が緩んだので、一足先にロープなしで左にトラバースして小尾根状の斜面に移動。そこからさらに少し下ったところで、落石を知らせる叫びが聞こえた。

トラバースしたので同行者は自分の真上にはいないはずだと思い、そのまま下り続けようとしたところ、ほんの2,3秒後に背中に大きな衝撃を受けた。落石の直撃だった。ドーンと突き飛ばされるように体が倒れて一回転したあと斜面を滑り落ちた。落石はザックにあたったため痛みとかはなく、一回転しているときも暢気なもので、「あれっ、なんだか平気だわ、どこも痛くないわ」と心の中でつぶやいていたことを覚えている。

どのくらい滑落したのかは不明だが10m前後ほどだろうか。滑り落ちながら前方に立木が見えたので、木を手がかりにして止まろうと膝を曲げて足裏で踏ん張る姿勢をとった。ドスンという衝撃音と共に滑落は止まった。ところが衝撃の弾みで上半身が逆さになってしまい、苦しい姿勢なのに起上がれない。ザックを捨てようとバックルをはずしてみたが、手の位置が悪くて肩からはずすことができない。諦めて大声で助けを呼ぶのとほぼ同時に同行者が降りてきて、引っ張り上げてくれた。

この間、自分は訳のわからないうちに転げ落ち、あれこれ考える余裕などなかったが、一回転して転げ落ち視界から消えそうになった様子を目撃していた同行者の方が恐ろしい思いをしたのではないか。あとで聞くと、手助けして起き上がるまではヘリを要請しなければならないかと思ったそうだ。

態勢を立て直し、一息入れるととくにひどく痛む所もなかったので、そのまま慎重に斜面を下って川原に降り立った。ここで落石の状況を聞いた。石の大きさは20センチ程度とのこと。石は同行者の足下ではなくすこし右の位置から斜め左に落ちていき、気付いたときはすでに2人の距離の中間にあったという。具体的な位置関係の記憶は定かでないと言うが、ロープを片付けたところから私がトラバースした方向へ進んでいる最中に落石が発生した。作業中か移動の際に間接的に浮石を誘引したのかもしれないし、そもそも自然発生の落石かもしれない。

やはりまったく無傷はあり得ず、しだいに左の背中と左の膝に痛みが出て来たが、なんとかザックを背負ったまま歩くことはできた。かなり時間がかかりそうなので同行者に先に戻ってもらい、車が入れるところまで迎えに来てもらうことにした。

最初は枯木を杖代わりにしてトボトボ歩いていたが、むしろ背中の痛い部分を手で押さえつけるようにして歩いた方が早く歩けることがわかった。車に合流後は着替えをすませ、洗濯物以外の山道具はすべて宅配便で送ってもらうことにした。ザックを軽くできたおかげでなんとか無事に帰宅し、翌日整形外科医で診断を受けた。

レントゲン診断の結果肋骨が1本折れていたが、医者からはこの程度ならたいしたことはないがしばらくは動かないようにいわれた。肋骨はもともと骨折しやすく、咳のしすぎや疲労などでも折れる場合があるらしい。

事実関係はざっと以上のとおりだが、自分としてもいくつか反省点がある。まずは2人とも落ち葉が積ったザレ斜面を下るさいの落石の可能性や危険性をほとんど頭に入れていなかった。あとでロープを出したあたりの写真をみると大きな石が点在している。落石の認識があれば、離れて行動することはしなかったはずだ。

もう一点は、ある程度下ったところでもう大丈夫と油断してロープ下降をやめてしまったことだ。あの時ロープで下っていれば落石の方向を確認でき衝突を回避できたかもしれない。事故というのは気の緩みの隙を突いて起こるものだと頭ではわかっていたはずなので悔やまれる。

けれど今回のような場合、落石を回避する方法が他にあったのかどうかよくわからない。ラクの声を聞いてからあっという間に落石をうけたので、とっさに避けることができたかどうか、かえって振返っていたら体の正面にあたっていたかもしれない、などと思ってしまった。

今回は骨折とはいえ、それほどの大事に至らずにすんで幸いだった。そして多少手荒な形ながらも貴重な教訓を得ることができた。この体験を無駄にせず、これからも気を緩めることなくリスク管理を万全に整えながら、今まで通りの遊びを続けていきたいと思うのだった。



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2012.02.16
オオカミに捕まった週末

山に行くつもりで用意していたのに、前夜オオカミに囚われてしまい翌日の山をすっぽらかしてしまった。当事者は本人だけなので人に迷惑をかけたわけではないが、なんのこっちゃ・・・小倉美恵子著「オオカミの護符」を読み始めたら引き込まれてしまい、ハイキングの時間が惜しくなったのだ。

川崎市宮前区にある土橋の古い農家で生まれ育った筆者が、自宅の土蔵に貼られていた「黒い獣の護符」に疑問を持つところから話が始まる。祖父母はその獣をオイヌさまと呼んでいたという。そして謎解きのような過程をへて「武蔵国」に広がっていたオオカミ信仰にたどり着く。

舞台は三峰神社や御岳山の御嶽神社へと広がる。奥多摩から奥秩父一帯にはかつてニホンオオカミが棲息しており、オオカミ信仰と符号する。また、三峰神領のお百姓は多くが和名倉山に畑を持ち、出作りと呼ばれる焼き畑を行っていたという。痩せた土地で作物を確保しなければならない山の暮らしでは、古来から焼畑は重要な農法だった。そしてオオカミは、イノシシやシカなどの獣から作物を「守ってくれる」ありがたい存在だったのだろう。そういえば、狼はけものへんに良いと書くよなあと、はじめて意識した。

今年の正月に、宮崎県椎葉村で今でも焼畑農を営んでいる、くみこおばばの1年を追ったドキュメント番組の記憶が新しい。今でも焼畑が行われていることに驚き、千年来変らない山の暮らしぶりに感動をおぼえた。同時に、せっかく実った作物が一夜にしてイノシシや鹿に食べられてしまう現実も写しだされた。

三峰神社の護符は猪鹿除け目的で発行されたのが最初だったという。西洋では悪者のイメージが定着しているオオカミだが、日本ではとくに山で暮らしてきた人々には神と祀りあがめられてきたのだ。

なぜか昨年はフクジュソウのオオドッケから始まり、浦山の冠岩沢、秋には市ノ沢から和名倉山、長沢背稜と、まさに「武蔵国」のニホンオオカミの生息地を歩いたのだと思うと訴える力も増してくる。ぐいぐい引き込まれていたところ、たまたま昨日の夜、NHKのETV特集で「見狼記~神獣ニホンオオカミ」という番組が放映された。山の暮らしを守った見えない力としてオオカミ信仰が紹介されると同時に、現代にオオカミをよみがえらせようとしている人たち、山でオオカミを見たという目撃者の証言などが紹介された。

その真偽はさておき、目撃情報は飛竜山や浦山川周辺に集中していた。ここで再び、そういえばと、荒沢谷に狼谷という名前の支流があることを思いだした。ガイド本には「狼の棲息が伝えられるロマンあふれる谷」と紹介されている。これまで気にとめなかったが、ようやくその意味がわかった気がした。

すべてが断片的で皮相的な理解だが、山・自然と人とオオカミの関係を少し知ることができた。これから奥多摩や奥秩父の山をもっと深く感じられそうな気がする。山には行かなかったけれど、山のおかげで広がる世界をまたひとつ感じることができた週末となった。そして、いつか荒沢谷狼谷を歩いてみたいと、またまた妄想がふくらんだのだった。



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2012.01.16
ある遭難死を悼む

いつも記録を楽しみにしていたmoto.pさんが滑落死したことを知り、いまとても動揺しています。年末から山梨県北杜市の沢にアイスクライミングに出かけ消息をたってしまったところ、年明けに遺体で発見されたとのことです。

誰でも「お気に入り」としてブックマークをつけているサイトがあるはずです。私も山関係でいくつかのサイトを「お気に入り」箱に入れています。その一つに「moto.pバリエーションしましょ」というタイトルの興味深いサイトがあります。

記録は一見型破りでアナーキーに見えますし、文章もおちゃらけ風に書いているのですが、かなり緻密でしっかりとした信念と技量を持っている人に違いないと注目していました。もちろん面識はありませんし、山の趣向も経験もレベルも違いすぎるのですが、ときどき私も行けそうな鼻歌交じり風の沢の記録もあるので参考にしていました。毎週山に行って必ずタイムリーに記録をアップしているので、いつも今度はどこへ行ったのかな~と楽しみにしていたサイトでした。

それなのにお正月明けでも一向に更新がなく、気になっていました。このところは毎日覗いていたのですが、表紙の画面はクリスマス連休の、しかも山仲間の追悼山行の記録でストップしたまま。さすがに悪い予感がして、もしやとBBSを覗き、心臓が止まりそうになったのでした。遺体発見の新聞報道は1月6日付けとなっていました。

もっと早く気付けば良かったと思うのですが、きわどい山行をしながらも慎重な人だと思っていました。けれど事故というのは誰にでもどんなときにでも起こりうることであり、ましてや単独のアイスクライミングは相当リスクも高い遊びです。最悪のことが起こってしまいました。

単独行の危うさをあらためて感じさせられました。昨年矢筈岳ですれ違った人が遭難したのも、単独でなければ必ず助かったはずだといまだに確信しています。年末に大室山茅ノ尾根を歩いたときも1ヶ月前に同じ尾根を歩いて行方不明になった単独者の情報を求めるチラシが何カ所かに貼ってありました。同じく年末に単独で丹沢の沢に入った人が滑落死しています。

けれどだからといって「危ない山行」をしない方がいいとは思いません。山を楽しむ人は、それぞれの山行形態に見合うリスクをよく理解し、リスク管理をしっかり心がければ、ハイリスクハイリターンの山を楽しむことができるのです。

Moto.pさんに何が起こったのかわかりません。 「冬場は、ちょっとしたことで、命を落としますから覚悟を持って臨みましょう。」これが彼が発した最後のメッセージだというのはなんという運命のいたずらでしょう。

これまで楽しい記録をたくさんありがとうございました。安らかにお眠り下さい(合掌)



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2012.01.16
「懐かしき南会津」~今年はもっと南会津へ!

 

年末に注文していた本が元旦に届いた。最近は元旦でも配達するのかと意外だったが、今年最初に手にした本が佐藤勉著「懐かしき南会津」であったことは、今年のブナの沢旅の想いを象徴しているようだ。

著者はかつて南会津に多くの先駆的な足跡を残しており、その記録は「我が南会津」としてまとめられている。その時に目にした山村風景や人情については山行記録の性格上あまり語られなかったが、大きく変った山里を目にして「穏やかで美しかった」当時の山村風景の写真を残したいと願った。それが「懐かしき南会津」として本になった。とくに今ではほとんど消滅してしまった茅葺屋根の山村風景の写真が多く掲載されていて興味深い。戦後の高度経済成長の時代に至っても南会津は最後まで残された「秘境」だったのだ。

南会津と口にするだけで特別な気持ちがわいてくる、不思議な魅力を持った山域。何年か前、ようやく手に入れた「我が南会津」を地図を広げてむさぼり読んだ。残雪期の縦走や沢の遡行記録のすべてが憧れの対象となった。私にとっては南会津のバイブルなのだ。その補遺ともいうべき写真記録集が出たことを心から歓迎したい。

昨年は東北に足繁く通ったが南会津の山には行けなかった。春山の計画をしたが天候不順で流れた。7月と9月の台風で会越方面は壊滅的な被害を受け入渓、入山ができなくなった。 丸山岳に登るために春と秋に歩いた黒谷林道が崩落したことを知り愕然とした。そうしたこともあって足が遠のいてしまったが、今年は昨年の分を取り戻せるくらいに訪れたいと願っている。「懐かしき南会津」はそんな気持ちをあらためて思い起こさせてくれた。



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2011.12.31
2011年のブナの沢旅

月並みな言い方だが、あっという間にまた1年が過ぎた。今年は東北大震災とその後の原発事故という大惨事を抜きにはなにも語れない。そんなことを念頭に置きながら振返ってみた。

ブナの沢旅は、東北のブナの森に魅せられたことがきっかけで立ち上げた山行のコンセプトであり、仲間との「同人」として出発した。2011年10月で5周年を迎えるので、今年はもっと原点の東北へ行きたいと思い、新年の雪山は南八幡平の乳頭山へ。

もう一方では、武尊山周辺に何度か足を運び、仲間の念願である獅子ケ鼻から武尊山へと繋いだ。4月には仙ノ倉北尾根やマナイタグラ山稜にも挑戦。5月の連休には憧れの矢筈岳に立つことができた。天候と仲間に恵まれ、とても充実した雪山シーズンとなった。

震災後にやってきた沢登りのシーズン。今年はもっと東北へ、という気持ちをさらに強くした。6月初旬には2週つづけて仙台の二口山塊へ。シーズン始めに何度か訪れているブナの美しい山域だ。

それ以降は7月と9月の台風被害など全体に天候不順が続き、計画の多くが変更を余儀なくされた。泊まりの沢も少なかった。そんな中で8月初めにふたたび南八幡平の葛根田川へ。小和瀬川と繋いだ沢旅はやはり東北の沢の美しさを存分に感じさせてくれたのだった。

9月には岩手へ向かった。宮沢賢治の世界が広がる小空滝沢。小さな沢だが、大きなイマジネーションを与えてくれた。沢の楽しみ方や切り口を広げるきっかけになりそうな予感がした。

季節は巡り、ふたたび雪山シーズンを迎えた。雪山始めは東北の船形山へ。容易には登らせてもらえない山ゆえ縁を感じざるを得ない。

こうしてざっと振返ると、計画変更を繰り返しつつも、ブナの沢旅は新境地を開きながら歩みを進めているように思える。まだまだ夢の途上だが、夢を持てることは幸せなこと。来年はどんな沢旅、山旅ができるのだろうか。夢を共有し、支え、行動を共にしてくれるすべての仲間に感謝すると共に、どこかにきっといるはずの新しい仲間を期待して新年を迎えたいと願っている。

みなさま、良いお年を♪



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2011.11.16
冠岩沢のブナ倒れる!

ショックです-涙、涙、涙・・・

5月に訪れた冠岩沢の埼玉一のブナが倒壊したことをあるサイトで知りました。おそらく9月の台風のときだと思います。

枝が折れるならまだしも、あれだけ胴回りの立派なブナが根元から崩れてしまうなんて・・・・きっと樹木の中はすでに満身創痍だったのでしょう。

とても残念ですが、自然の摂理にはなにものも諍うことはできません。長い間地に根を下ろして踏ん張ってきて、ついに力つきてしまったのでしょう。

もう実際に視ることはできないけれど、私の目にはしっかりと焼き付いています。ほれぼれする姿でした。写真をたくさんとったことが、せめてもの慰めです。

長い間ほんとうにご苦労様でした(合掌)



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2011.03.21
ブナの沢旅と東北 (東北大震災について思うこと)

「ブナの沢旅」は東北のブナの森から生まれました。そしてその後、四季折々の表情に会いに何度も足を運んでいます。今年だけでもすでに3回雪のブナの森を歩きに行きました。3月彼岸の3連休は、船形連峰の縦走を予定していたところでした。

今その東北が、未曾有の大災害に見舞われています。あらためて言うまでもありませんが、多くの命が失われ、命が助かった方々も困難な状況に置かれています。

そんな状況にあって自分に何ができるのか。考えても無力ですが、山行を取りやめた交通費などを含め精一杯の義援金を寄付したり節電など、身近にできることから始めました。山を愛する人たちの多くは同じ思いで山行をひかえ、節約した交通費やガソリン代などを寄付しているのだと思います。

これから復興に向け気の遠くなるような道のりでしょう。けれど、人間はいざというときには自分で意識していない底力を発揮できるのだと信じています。一度は絶望の淵に追い込まれても、諦めなければ道は開けるのだと信じています。

状況は違いますが、もっとも身近な家族が長年の不治の病の末に死期を間近にしたところで、諦めきれずにあがき、すべてをなげうち一縷の希望を託して長い再生の道を求め、ついにやり遂げたという体験をしました。その体験を通して人生のとても大事なメッセージを得たのでした。決して、決して最後まで諦めてはいけない!ということを。

だから信じています。生き延びた被災者の方々の底力を。生きていればどんな未来も希望も描くことができます。諦めなければ、まわりにはサポートしてくれるシステムがあり人々がいます。みんな応援しています。

このような状況の中ではまだ山へ行く気持ちではありませんが、もう少し落ち着いたら近くの山歩きをしてみようと思います。山に咲き始める花、芽吹きを始める木々に命の力強さと巡り来る春の息吹を感じるために。

そして再び、東北でブナの沢旅ができる日を心待ちにしています。



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2010.12.26
休養の日曜日ー新編会津風土記を読む

12月26日

 

11月中旬に風邪をひいてから、完治しないまま仕事と山行を続けていました。今年の風邪の特徴は長引く咳。先日の谷川岳もゴボゴボ(コホコホでなく濁った咳)しながらのチャレンジでした。そんなわけで、さすがに今週末は休養とあいなりました。

山に行かない休日は、地図をながめたり山の本をよんだりして山の世界へトリップしましょう。最近ブナの沢旅では「会津学」がちょっとしたブームになっていて、じつは最近思い切って復刻版の「新編会津風土記」全五巻をネットの古本サイトで購入しました。

新編会津風土記は1803年から1809年にかけて会津藩により編纂された藩領に関する地誌で、江戸時代に編纂された各地の地誌のモデルとなった、日本を代表する地誌といわれています。

会津藩の行政組織は大まかに郡ー組ー村となっていて、風土記は村ごとに、原野や水利、土産、神社・寺院、古蹟、山川などの項目ごとに記述がされています。全体的には官製台帳のようなもので無機質なトーンなのですが、昔の会津の山村民俗をかいま見ることができる貴重な資料です。

全部読むことはできないし、退屈しそうなのですが、山川の項目になじみの山の記述を見つけるとワクワクします。たとえば、丸山岳は記述がなかった(それ自体が当時の認識を示している)のですが、朝日山とならんで黒谷川を落とす梵天嶽がありました。「雑木多し」とあるのは藪が濃いということで、人が登っていたのかと意外ですが、きっと沢から登ったのではないかと想像が膨らみます。

浅草岳は、朝草山または鬼面山としてかなり詳細に記載されています。また「八十里越え」は境澤峠(最高標高点で会津と越後の境界とあるので、鞍掛峠のことか?)と呼ばれ、相当の難路とある。そのため旅人は必ず数日の糧を持ち、頂上には村民が小屋を構えて炊事食器を常設していた・・・など。また、未丈ケ岳は越後国の名で、会津では「四時雪を戴く」大鳥嶽として記載されています。

これまで行った山について、少し斜め読みしただけでも興味をそそられる記述がでてきて、これから追々地図を片手に読んで見ようと思っています。

南会津を中心に5万分の1地図を9枚つなげてときどき眺めているのですが、新編会津風土記にある絵地図と村の情報を書き入れたり、尾根筋をたどり、面白そうな沢の水線を入れたりと、楽しみ方はいくらでもありそうです。そうして作った自分の地図をもとに、会津の歴史を感じながら自由に山行プランを作りたいと願っています。



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2010.10.01
5年目を迎えたブナの沢旅とHPの引っ越し

10月1日

10月1日はブナの沢旅にとって二つの意味で節目となる「記念日」です。4年前のこの日、奥森吉のブナの森でささやかに「ブナの沢旅」を旗揚げしました。

当時はまだ沢を中心に活動する山岳会に入会して1年半ほどしか経過していませんでしたが、いろいろな事情で山行に参加できなくなり、これからの方向について迷っていた時期でした。

そんなとき、山仲間のSさんに背中を押してもらい、ささやかでも自分で沢の世界を切り開いていこうと、未熟ながら思い切った決断をしたのでした。

その後、自分でも行けそうな沢を一生懸命探して調べて実行し、試行錯誤の繰り返しで少しずつ経験を積み重ねてきました。その中で、情報を集めて計画し、実行することの楽しさを覚えるようになり、記録にとどめたいという欲求がわいてきました。そこで手軽にはじめられるブログを開設しました。

しばらくブログを続けていくうちに、もっと写真を掲載したい、きちんと記録を残したいと思うようになりました。けれど私にとってホームページの作成はとても高い障壁で、諦めていました。そこでSさんもメンバーである、ブナの沢旅のホームページ開設という大義を掲げて作成を引き受けてもらい、2年前の今日10月1日に「ブナの沢旅」HPを立ち上げたのでした。

あれから2年、ブナの沢旅を通して記録の数もふえ、HPとしての体裁もしだいに整って来ると同時に、ある意味自分のアイデンティティを投影する場にもなってきていることに気づきました。それなのに実態はHPの運用を人に丸投げ状態です。忸怩たる思いが強まり、現状を変えたいと思うようになったのでした。

そしてようやく最近になって行動を起こしました。HP作成ソフトを購入し、マニュアルと首っ引きで格闘苦戦すること2日半。ふうっ、なんとか体裁ができあがりました。やればできるものなんですね。今のシンプルな体裁が気に入っているので、ミラーイメージを作りました。

そのために一見なんの変化もありませんが、アドレスが変わりました。(http://bunanosawatabi.com)

なんとか10月1日の2年ごとの節目に間に合ってよかった。この夏にはようやくGPSも手に入れ、苦手意識の強いIT環境を向上させました。これらは今では、安全でより充実した山行に欠かせないツールです。少し前の自分なら信じられないことですが、山の世界をもっと追求したいという強い願いに突き動かされたのでした。

ブナの沢旅は5年目に入りました。これからも心のおもむくままに自由に、山で、沢で、遊びたい。この間、ほんとうにわずかですが新しい仲間もできました。想いを共有できる仲間は、きっとまだどこかにいるはずです。そんな人達と知り合いたい。そして一緒に山に行きたいと願っています。

 



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2010.01.18
磐越西線車窓の山旅

1月18日

 

突然ですが、お気に入りの山々を遠望できる磐越西線を新潟から郡山までつないでみました。ただ電車に乗って車窓から山を眺めるだけの日帰り旅行なんて普段なら思いつかないのですが、週末に仙台遠征に利用した「大人の休日」切符をフル活用してのことでした。

今回の同行者は母です。新潟出身の母は、磐越西線に思い出がたくさんあるようで、懐かしいと喜んでくれました。今まで聞いたこともないような話も飛び出し、興味深い旅行となりました。新潟と福島の20万分の1を片手に、9時過ぎに新潟を出発。

五泉を過ぎると、雪で覆われた田んぼの向こうに菅名山塊、先週縦走した五頭連峰が見えてきます。ほんとうに里山的距離感なのですが、登り詰めた稜線は予想外の素晴らしい世界が広がっていることを知ったばかり。猿和田、馬下駅からは登山口に歩いていけるため、以前時刻表を克明に調べたことがあるました。村杉温泉から登った話をすると、母はあそこに動物園があって、昔行った写真が家にあるというのです。ほんとぉ~。さっそく近々見せてもらうことにしました。

地図を興味深そうに見ながら、そういえばと、母の口から新事実が。父は昔2万5000分の1地図を大量に集めていて一等三角点のことをよく知っていたとのこと。へ~え。どうも机上登山を楽しんでいた雰囲気です。それを聞いた私は目を輝かし、その地図は今でもあるかと聞いたところ、畳の下敷きにして残ったものは捨ててしまったと言われ、ガックリ。戦後間もない地図とのことで、今見たらきっと面白いはずなので残念。

そして、三川駅から登ったという麒麟山の話に。聞いたことがないけれど、地図でみると阿賀野川が大きく蛇行して麒麟の頭のような地形になっているところにある小山で、毎年紅葉狩りのハイキングを楽しんでいたとのこと。さらに地図の東赤谷を見つけ、ここは親戚付合いをしていたお隣の実家があるところで遊びに行ったことがあると懐かしそう。昔は鉱山があったとか、戦後の食糧難のときに山の恵みや蜂の子を分けてもらったなどと、思い出話が続々と出てきます。赤谷はかつて飯豊の玄関口。ここに遠いご縁があった話を聞いてうれしくなりました。

進行方向右手の彼方には小ぶりながら真っ白な山並みが見えます。日本平山から鍋倉山方向かな。渋い沢登りが楽しめる谷沢川の源流部から続くこれらの山の山腹には素敵なブナ林があるのです。いつか行けるかなあ~。そして津川駅は、これまた興味深い遡行が期待できる室谷川が流れ込む玄関口。心に秘めた矢筈岳も室谷川沿いの林道がアクセスとなります。

内陸に進むにつれ、雪も深まっていきました。日出谷駅に入ったら、車窓のラインまで雪があってびっくり。地図を見ると真北に蒜場山があります。ここから残雪期に飯豊主稜線まで縦走することが「飯豊族」の憧れになっているようです。大日岳へ続く水晶尾根の基点、実川や一度行ってみたい湯ノ島小屋も日出谷から入ります。

左手の山並の奥に真っ白な山が見え始めました。飯豊の前衛、会津百名山の高陽山でしょうか。ブナの原生林が多い山であり、集落も近いので、雪の季節に登って見たいな。しだいに沿線は開け、飯豊の玄関口、山都駅へ。去年三国岳に登ったときに初めて降り立ったことが記憶に新しい駅です。山都から郡山への帰路で、高く真っ白に連なる飯豊の山並が見渡せたことがとても印象的だったので、今回も期待していたのですが、残念ながら飯豊は雲の中でした。

喜多方を過ぎると雄大に開けた高原状の光景が展開します。夏はキスゲが美しい猫魔ケ岳がゆったりと裾野を広げ、見入っているうちに終点の会津若松駅へ到着しました。途中大雪による徐行運転のため20分ほど遅れたので、若松での滞在時間は2時間弱。少しあわただしかったのですが予定通り武家屋敷を見学し、食事をして駅にもどりました。

郡山までは快速会津ライナーで1時間。赤ベコのキャラクターがかわいいな赤い列車で、思わず記念写真。ほとんど貸しきり状態の車両で車窓の旅も終盤を迎えます。列車は猫魔ケ岳の裾野を回り込むように走るため、いろいろな角度からの展望が楽しめます。続いて磐梯山が大きく迫ってきますが、スキー場の白いラインが何本も引かれていて不自然さを感じました。

川桁山も会津百名山のブナの山。この山も駅から登れるので頭の片隅リストに入っています。地元の人たちは冬も登っているのか、興味があるところです。そして郡山に近づくと、安達太良の山並が白くかすんで見えてきました。そういえば、遡行した杉田川も石筵川も湯川も郡山が基点でした。

1日中電車に乗りっぱなしでしたが、地図を見ながら右に左に山を眺めていたらあっという間に時間が過ぎました。磐越西線の車窓の山旅は予想以上に楽しく、この地方にまつわる母親の思い出話を聞きながら親孝行もできました。

 



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