ブナの沢旅ブナの沢旅
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2013.05.24
鉤掛森~黒森~水晶森~神室山~小又山~火打岳~杢蔵山
カテゴリー:ハイキング

2013年5月24-26日

 

昨年5月の連休に山形の神室連峰縦走を計画したが、天候不良のため連休明けに延期して実施した。ところが現地入りして初日から予想外の悪天となり最初の小さな山、鉤掛森で風雨に捕まった。予報をチェックすると翌日も雨マーク。すっかり出鼻をくじかれ、早々と撤退を決めて帰京。気持ちを入れ替えて残りの二日間を天候のいい丹沢で沢始めとした。

それ以来神室連峰の再訪を果たしたいと想いつづけ、今年4月の好天を狙うつもりだった。ところが今年は例年になく積雪が多く、我々の力量ではむずかしいと判断して再び延期を決めた。そんないわくのある神室連峰縦走をようやく実現させた

コースは昨年同様とし、北端に水晶森を含める「完全縦走」にこだわった。そしてもう一つのこだわりは、近年地元の有志によって発見された千年古道有屋街道をへて水晶森へとつなげることだった。

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グリーンバレー金山のキャンプ場で仮眠をとり、早朝ふれあいの森散策路登山口へ。ここが長大な神室連峰縦走路の出発点となる。厳格に有屋街道の出発点から鉤掛森をめざすなら、麓の入有屋からの道をたどる方が完璧なのだが、アクセスと所要時間の問題から少し妥協する。

昨年は小雨の中を歩いた道。ブナの幹から雨が流れ落ちる様子は美しくも悲しかった。そんなことを懐かしく思い出しながら端正なブナ林の道をたどる。尾根通しではないので雪があると迷いやすいが、今回はおおむね順調に経路をたどって山頂へ。樹林に囲まれた小さな山頂の標識の一部が削り取られていた。クマの仕業なのかな。さあ、ここからが未知のルートだ。

明瞭な尾根道を檜木森へ向かうと、ブナ林は原始林の様相となり力強さを感じる。所々に大輪の白いタムシバの花や赤いムラサキヤシオが新緑の森に彩りを添えている。荒れたところもなく歩きやすい道だ。しだいにガスが出始め幻想的な雰囲気となる。山頂は完全に雪で覆われ標識は埋もれていたが、雪の途切れた片隅に三角点が認められた。

山頂からは雪の急斜面を下ることになるため軽アイゼンをつける。しばらく下って雪のない登山道に戻ると道幅が広がり、これまで以上に素晴らしいブナ林がつづく。この尾根が馬も通った古の峠道であったことがうなずける。950mのポコを越えて鞍部へ下ったところで目にした光景に足がとまり思わず声をあげる。

沼ノ平みたい・・・広い雪原にすくっとのびたブナの大木が芽吹いて間もない新緑に包まれている。Yさんも同じように感じたという。沼ノ平は浅草岳山麓の大小の沼が点在する大きな窪地で、ブナの沢旅をはじめたばかりの、思えばまだそうした美しさにうぶだったころ、残雪と鮮やかな新緑の美しさに衝撃さえ感じた思い出の場所なのだ。どんよりとした空に青空も広がり、見上げると新緑とのコントラストが何ともいえない美しさ。

鞍部からは緩やかな登り坂の道となり、黒森山頂手前からは斜面全体が雪で覆われる。しばらく雪面をキックステップで登り、広い雪の山頂へ。三角点も標識も雪に埋もれている。今まで見えなかった秋田側の展望が開け、高松山方面が霞んで見える。東側の谷筋はまだたっぷり雪で覆われている。

俗説によると古の有屋街道は黒森を峠として秋田側の薄久内に通じていたのだという。じっさいに地元の有志の方々の調査ではっきりとした道型が見つかっている。人が歩くことがまれな静かな山旅をしていると、時々こうした歴史のロマンに巡り合うことがある。そんな時は生半可な情報だけでやり過ごしてしまうのがもったいないと、いつも思う。

いよいよ神室連峰の主脈に連なる黒森に立ったわけだが、虫が多くて落ち着かない (と、急に現実問題に直面)。休憩もそこそこにアイゼンを付けて雪の斜面を下る。黒森から通説有屋峠までは登山道がない。歩かれた記録もないのでかなりのヤブを覚悟してきたが、雪面を下ったところですぐに道があらわれた。所々枝の張りだしや倒木はあるが、まったく問題のないいい道が続いていて拍子抜けするほどだ。

934m鞍部には通説路と書かれた標識が倒れてあった。歴史の有屋峠をめぐる「通説」と「俗説」を反映しているようだ。つまり従来は神室ダムにつながる黒森沢川沿いの道から上り詰める934m鞍部が有屋峠だとされてきたのだが、この道は上部が四つん這いで登るほどの急峻な道でとても馬が通れる道ではない。古文書などをひもとくと鉤掛峠の記述などもあり、どうも鉤掛森から黒森への緩やかな尾根こそが歴史の峠道だったのではないかと地元有志の調査が行われたが、完全に通説を覆すほどの裏付けがないため、「俗説」と位置づけられているらしい・・・などと、すぐに脱線。

ここからは地図に出ている登山道。しばらく進むと大きな反射板があらわれる。とくに保守されている気配もなく今は使われていないようだ。沿道にカタクリが見られるようになり、行く手には前神室がどっしりとした山容をあらわす。

水晶森は小さな標識板が木にくくりつけられているだけの三角点もない小さなポコだが、すてきな名前が付いている。そして神室連峰北端の山と位置づけられている。だから「完全縦走」というときは水晶森を含めるらしい。けれどどうして北端が黒森ではなく水晶森なのか私にはわからない。三角点があり俗説有屋峠の黒森を含めたほうがふさわしいと思うのだが・・・

水晶森からしばらくは急斜面のアップダウンが連続し、おまけに倒木や枯れ枝の散乱で歩きにくい。登山道がないはずの黒森からの道の方がよほどマシだと何度も悪態をつきながら進む。登山道は尾根の西側をからんでいるが、尾根筋から東側に雪庇が張り出している所はできるだけ雪堤を拾って進む。

尾根が南から東に向きを変える手前で雪原の鞍部が広がる。芽吹き間もない初々しい新緑の大きなブナに囲まれたとても雰囲気のいい所だ。こんな所に泊まりたいと思うが、初日の目標は神室避難小屋。まだまだ遠い。つぎのポコを過ぎると景色が一変して冬枯れの様相となるが、完全に雪道となるので歩きやすい。同時に神室山以遠の山並が一挙に広がる。霞んでよく見えないほどの遙か彼方に小さくとがった山が見える。ひょっとしてあれが火打岳かと、呆然とする。ほんとうに明日あんな遠くの山まで行けるのだろうか・・・

立派な道標のある水晶森分岐点に着いたのは4時半近かった。ずっと予定通り順調に進んだのだが、水晶森からはコースタイムよりも1時間オーバー。5時には小屋に着けるよね、と言い続けていたのが水晶森を過ぎてからは明るいうちには着けるよね、にトーンダウンしていた。でももう少しだ。前神室までのなだらかな道筋が手招きしているように見えたが、神室山が本筋だと屁理屈こねてあっさりとパスする。

なだらかな山道とはいえ、疲れているので足取りが重い。近くに見えるのに遠いというのは精神的によろしくない。1325mのレリーフピークの足下にかわいらしい石地蔵と真鍮?の鳥居がおかれていた。思わずしゃがんでお参りする。無事に縦走を終えることができますように・・・

一足先に神室山山頂に着いたYさんが両手をあげてサインを送っている。これが最後の登りだと踏ん張って山頂へ。言葉にならない言葉とため息と感激が入り交じったような声で、やったぁ~。かすかな夕日がやわらかく山並を照らしだし、黄昏時を感じさせる。山頂からの展望は翌朝じっくり楽しむことにして、すぐ下に見える小屋へ下る。なんとか6時前に滑り込むことができた。

2年前に改築された小屋は広く、マットや毛布も完備されていた。バイオトイレで臭いもなく快適そうだ。2階への階段は内玄関の外にあるので干渉なく出入りできるようになっている。登山靴が一足おかれていたので挨拶をしに2階にあがったところ有屋口から往復とのこと。楽に日帰りできるコースなので、きっと小屋の快適ライフを楽しむのが目的ではないかと勝手に想像する。

いつもはテント泊まりなので広々としたスペースに店開きをして夕食の支度をする。水場はかなり離れているようだが、今の時期は小屋のそばにある雪渓から水を作ることができる。初日は予想以上の13時間行動となってしまったが、記録のない懸案ルートから神室のメインストリートにつなげることができた。これで目的の半分は達成したと、気をよくして乾杯。暗くなって外に出ると満月の光が煌々と耀き、遠くには新庄の市街地の灯りもみえた。

 

 

 

翌朝は4時に起床。窓から外をのぞくと鳥海山と月山が青く浮き上がって見えるではないか。感嘆の声をあげ大急ぎで外に出る。そして目の前の光景に息を飲む。見渡す限り雲海が広がり、神室の稜線にせまっている。すごい、としかいいようがない。気もそぞろに朝食を済ませ出発の支度と部屋の掃除をすませる。

5時半に出発してすぐに神室山頂に立つ。すでに陽は昇り朝のすんだ空気の中でこれから進む山並が火打岳の先まではっきりと見渡せる。気分爽快、やる気満満で、頑張ろうという気力がみなぎる。山頂の東側は雲海がたなびき、遠くの山々が頭をだしている。

早朝のモノトーンな光景よりも変化があって魅力的だ。目の前の雲海は尾根の鞍部を乗り越え大瀑布のように流れ落ち、滝の飛沫のように雲が跳ね返って舞い上がっていく。まるでナイアガラかイグアスの滝のよう。見飽きることのない光景だ。山旅の先駆者である明治の岳人田辺重治が、山は寝るに限る、というようなことを書いているが、これこそ山泊まりの醍醐味だと思う。

雲海の大瀑布の先に見える山は軍沢山。その奥に虎毛山が近い。更に奧には栗駒山と焼石岳。右手に頭を二つ出しているのは大鏑と小鏑(禿)。みんなブナが美しい山々だ。めくるめく思いで見入っていると、さあ行こうという声。そう、今日も長い道のりなのだ。

山頂をあとにして天狗森方向へと下る。すると登山道が途切れ、眼下は亀裂の入った雪尾根となる。その先が見えずに不気味だが、とりあえず行ける所まで進むことに。ナイアガラ瀑布が更に近づき圧巻だ。雪の急斜面を下ると鞍部となり、そこからは登山道がでていることがわかって一安心。アイゼンとピッケルで慎重に下る。結局全行程でピッケルを使ったのはここだけだった。喉をカラカラにして降り立つ。ホッとして上を見上げるとものすごい雪壁だった。

登り返して振り返ると尾根の踊り場に避難小屋がちょこんとたたずみ、その後ろに端正な姿の鳥海山が裾を広げて聳えて見える。こんな調子なので、なかなか足が前に進まない。月山を正面に見ながら緩やかな尾根をたどる。天狗森に近づくと登山道はカタクリやキクザキイチゲのお花畑となり、またもや足がとまる。ちょうど今が盛りのようだ。天狗森は標識のない平凡な山頂であっさりと通過する。

しだいに残雪がふえ、登山道もすっかり雪でおおわれるようになる。小又山から東に延びる尾根の斜面にも雪が多い。地図で見るとこの西ノ又沢コースはブナ巨木群の尾根とあり、歩いてみたいところだ。小又山は神室連峰の最高峰。とはいえ1367mに過ぎない。山は高さではないとよく言われるが、その言葉はまるで神室連峰のためにあるように感じられる。

山頂について再び歓声。もう至るところ歓声の嵐なのだ。なんと山頂の東側が一面カタクリのお花畑になっていたのだ。そしてお花の先には虎毛や栗駒の山並が広がっている。始めて立派な山頂標識を見る。ちょうど背景に火打岳が写るよう、写真撮影を意識した方角に立てられてある。ザックをおろし、さっそくお花畑の隙間に身を横たえポーズをとって写真撮影。お気に入りの写真ができた。

さあ、つぎの目標は火打岳。小又山から見渡す火打は両翼を広げた鷲のように見える。随分と遠いなあ。けれど二日目はとにかく火打を越えれば安心なのだ。鳥海山も月山も見守ってくれている。頑張ろうと気合いを入れて小又山をあとにする。

緩やかにうねる尾根のアップダウンをくり返し300mも下る。鞍部から見る火打岳と前衛峰はまるで谷川連峰のマナイタグラ山陵のようだ。むしろ、もっと尖っているかもしれない。とくに前衛峰はほんとうにあんな所を登れるのかと不安になるが、登山道があるのだから大丈夫なのだろう。実際、一部四つん這いになるほどの急斜面ながら両側は低灌木なので恐怖感もなくあっさり先頭へ。心配した下りは拍子抜けするような緩傾斜で非対称の峰らしかった。

いよいよ火打岳への登りがはじまる。遠くからは屏風のような台形に見えたがその間緩いアップダウンがあり、ここを登れば山頂だとゼイゼイ登っては裏切られること三度にしてようやく山頂へたどりつく。さすがに息も絶え絶えで、ザックをほおり投げるや疲れと安堵感で地面に倒れ込む。

大変だったけれどノルマの火打を達成したのがうれしかったのだ。ほぼ予定通りの時間に着いたのでしばらく大休憩をとる。疲れて食欲がないが、牛乳やジュース、トマトにオレンジがとても美味しく感じられる。こういうときは酸味のある果物や飲み物がいい。30分も休憩するのは我々にとって特別だ。鋭気を養ったところで先に進む。

火打岳からは山容も穏やかになり、丸みを帯びてくる。もともと杢蔵山の山小屋までは到底無理なので、どこでも適当な所にテントを張るつもりだった。これまでの経験でも2日目は行動時間が長すぎると気分が悪くなって食事ができなくなる。だから遅くとも4時には行動を終えようと話し合う。ただ問題は水の確保。テン場適地に雪があるとは限らない。

ちょうど1時間ほど歩いたところで登山道に窪ができて水が流れていた。斜面の雪渓が水源となっている。先の予測が付かないし水を作る手間も省けるため、ここで各自2リットルずつ水を汲む。ザックは重くなるがこれで一安心だ。槍ヶ先から行く手の尾根を追うと目前の烏帽子山からは痩せ尾根がつづいている。そろそろ行動を終了することにして鞍部に下ると雪渓に覆われた広場があらわれ、暗黙のうちにここにテントを張ろうと決める。

少し傾いた斜面を整地してテントを張る。今回はいつものゴアライトではなく自立式のツェルトとした。というのはひょっとして2日とも山小屋に泊まれるかもしれないという甘い期待があったからだ(もちろんそんな幻想は初日に捨てた)。多少窮屈だったが、それよりも結露が気になった。

 

 

 

 

翌朝は3時に起床。もっとゆっくりしてもよかったが、昼ころには下山したかったので早めに出発することにしたのだ。さすがにまだ胃袋は睡眠状態のようで、ホットケーキとコーヒーで軽くすませる。驚いたことに3時半には薄明るく鳥たちも賑やかに鳴きだしている。4時半過ぎには出発と、なかなか成績優秀だ。

目の前の烏帽子山を越えると3日目も東側の山並には雲海が広がっている。季節柄なのかそういう気象条件なのか、毎日素晴らしい光景で楽しませてくれる。沿道にはこれまで見たこともないほど多くのシラネアオイが群生している。西側は鳥海山を背景に低い山並が幾重にも波打ち、それが青のグラデーションのように遠くへ行くほど霞んでいく。誰の作品だったか、こんな水彩画を見たことがあるなあと思うほど、その光景は美術作品のようだ。

八森山分岐から西に延びる尾根に進み一杯森の平らで広い山頂へ。ここは見晴らしもよく雪はないがテン場適地だ。火打岳から小又山のたどって来た尾根がよく見える。今まで見えなかった縦走最後の山である杢蔵山がどっしりとした姿をあらわす。一杯森からはいったん樹林帯の鞍部に下る。このあたりはあまり歩かれていないのか、登山道は一部ヤブのように荒れていて歩きにくい。おまけに蒸し暑く消耗する。

ようやく樹林帯を抜けると大きな杢蔵山が立ちはだかり、熱さでゼイゼイいいながら山頂へ。ここにも神室連峰を背景に立派な標識が立てられている。なぜか神室山だけ字が消えかかった古い標識なので、きっと管轄の行政区が違うのかなあなどと、どうでもいいことをいいながら、Yさんが最後までとっておいたゴールドキウィをもらう。山で食べる果物はどうしてこうもおいしいのだろう。生き返るここちだった。ごちそうさま~

眼下にはのどかな田園風景が広がり、その先には新庄の町並みも見える。ついにここまでたどり着いたのかと感慨深い。山頂をあとに樹林帯の道を下ると再び視界がひらけ、淡い緑のブナ林が広がる。残雪で真っ白な谷筋の向こうに小屋が見える。正面には電波塔が建ち並ぶ三角山がつづき、月山が浮かび上がっている。つぎつぎと新鮮な光景が繰り広げられる、このワクワク感が好きだ。

ブナ林に入ると遠くで人の声が聞こえてきた。きっと小屋あたりに人がいるのだろう。広い雪原で登山道がわからなくなるが、コンパスで方向を見ながら適当に歩いて行くとトレースがでてきた。谷筋を回り込んで雪堤を歩いて行くと声の主達とすれ違い、話を交わす。今年は異常に残雪が多いとのこと。神室山から来たというとしきりに感心された。

杢蔵小屋は昔ながらの山小屋風情で暖かみのある雰囲気を感じた。中に入ってわかったのだが、この小屋は地元の山の会によって管理運営されているようだ。立派なストーブがあり、マキも豊富。鍋釜、ヤカンや食器がたくさん置いてあり、四季を通じて利用されているのだろう。Yさんが山荘の入口にある鐘をならすと、まるで縦走のフィナーレを告げているように聞こえた。さてと家に帰ろうか。

意外なことに標高の低い登山道にもかかわらず残雪が豊富で、そのせいかブナの新緑も初々しい。最後に思わぬプレゼントをもらったようだ。後半は沢沿いの道をたどる。沢の音を聞き、沢の白い流れを見ていると、ようやくシーズンの交代を実感する。沢を始める前にどうしても神室へ行きたかったのだ。それまでは沢のことは考えなかった。残雪と新緑の神室はとてもいい形で、雪山から沢シーズンへの橋渡しをしてくれた。

そんなことを思いながら登山口に降り立った。3日間30数㎞におよぶ「喜怒哀楽」の山旅を無事に終えることができたことに感謝してYさんと握手。しばらくすると下山途中に呼んだタクシーがやって来て、私たちを近くの日帰温泉に運んでくれた。

 

 

 

24日 ふれあいの森登山口5:20-鉤掛森7:05-檜木森8:10-黒森10:35-水晶森12:40-前神室山分岐16:25-神室山17:50-避難小屋17:55

25日 避難小屋5:25-神室山5:30/5:50-天狗森8:20-小又山9:40/10:00-火打岳13:00/13:30-大尺山-槍ヶ先15:25-烏帽子山直下鞍部幕営地15:40

26日 幕営地4:35-烏帽子山-八森山分岐-一杯森6:40-杢蔵山9:00-杢蔵山荘9:40/10:00-山屋口11:45