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2011.09.17
荒城川木地屋渓谷~柳谷右俣
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2011年9月17日

 

1週間前に知床遠征を終えたばかりだったので、三連休の週末はとくに予定を立てなかった。とはいえどこへも行かないのはさみしい。直前になって同行者の都合がついたため、8月に悪天で中止した中央アルプスの幸ノ川へ行くことにした。ところが今回も台風の停滞で天候が不安低となった。滝登りと展望を楽しむ沢なので条件のいい時に行きたい。ということで、毎度のことながら土壇場で多少の悪天でも楽しめそうな沢ハイキングに変更。

以前奥飛騨の沢上谷を遡行したときに、同じ山域の荒城川がナメが美しい渓谷であることを知った。遠いのでなかなか機会がなかったが、最近は距離のバリアなど他の障害に比べればちっぽけなものだと思うようになった。

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前夜、松本を経て道の駅、奥飛騨温泉郷へ向う。予報では夜中から翌日の午前中まで雨マークだったが、朝起きても雨は降っていなかった。雨雲の動きが遅れているのだとすると、あまり喜べないといいながら、目的地の荒城川へと出発。途中で4年前に沢上谷を遡行してから下った林道を通り、あの時の記憶がよみがえる。遡行終了点はひらけた台地の畑を流れる小川となり、人家があった。こんな山奥にいまでも人が暮らしていることに驚いたのだった。

丹生川のダム建設のため地図の道路と実際が食い違っていて入渓点までたどり着けるか心配だったが、迂回路を通ってダム湖に沈む湖底の道を進むと荒城川沿いの林道へと導かれた。

少し進むと車から川の様子がうかがえて、さっそく赤茶けた岩盤のナメが続いている。最初はゲート前に駐車予定だったが、林道が沢に近づいたところで入渓することにした。見渡す限り穏やかなナメが広がっている。ときどき沢幅一杯のナメ小滝があらわれ、アクセントとなる。予想以上の渓相に天気の心配も忘れる。記録を読むとみなゲート先から入渓していたり、上流の柳谷をめざして下流部は林道を歩いたりしているが、もったいないことだと思った。このあたりは木地屋渓谷と呼ばれる景勝地であることをあとで知った。

どこまでもゆったりとした平ナメが続き、のんびりムードでまさに散策気分。一時小雨模様となるが、幸い遡行中に降られることはなかった。1時間半ほどで右沢出合となり、本流右岸の一段上が明るく広がる空間となって小屋がみえてきた。植林小屋は今でも現役のようだ。本流はゴーロ沢が続き、右沢は幅広のナメ小滝を落としている。休憩がてら右沢に入ってみると、急に沢幅が狭まってあまり遡行意欲をかき立てる風ではなかった。

 

 

 

地図を見るとここから柳谷出合まではかなりの距離がある。沢は少し手前から平凡になっていたので時間の制約上、中流部はカットして林道を歩くことにした。よく整備された植林帯を抜けると左手の斜面に古い石塔が立っている。こんな場所になんだろうと目をこらして読むと、(一宇不明)大伐採感謝供養之塔とある。このような供養碑をみるのは初めてで興味深い。

このあたりは木地屋渓谷の名称が示すように、もともと木地師が居住していた山地。山で暮らす人々は決して大伐採などしないはずだ。第二次大戦末期に燃料確保のため大量の木材供出が各地で行われている歴史を考えると、きっと不本意な大伐採を強いられたため山にゴメンナサイと言いたくて立てた供養碑ではないか。などと勝手にロマンを織り交ぜ解釈したくなる。

先頭を歩いていると突然行く手に黒い塊が目に入った。とっさに、あっクマ!と思って凍りつく。10mほど先でクマが走って道を横切っていたのだ。しばらく立ち止まって様子を見る。沢にいたクマが、人の気配を察して急いで沢から道を横切って山に逃げていったという感じだった。荒城川はクマの目撃情報が多く、昨年は遡行中に襲われたという記録もあったので、鈴はもちろんしょっちゅう笛を鳴らしていたのだが、とうとう遭遇。沢にいたら沢音でクマに気付かれず、鉢合わせをしていたかもしれない。

1時間ほどで柳谷橋へついた。ここからは柳谷と名前を変える。橋を渡ったところの広場で腹ごしらえをして右俣へ入る。最初のゴーロをやり過ごすと苔蒸した日本庭園風のナメとなる。下流部とは趣が異なるナメの登場に待ってました、と思うと突然、堰堤に阻まれる。こんな所に堰堤とはと、いぶかしく思いながら右手斜面の踏み跡をたどって堰堤を巻き上がる。するとそこはナメの別世界だった。深い釜の先には滑らかな舗装道路のようなナメが沢幅一杯に広がり、ここはどこ?と思いたくなるほど渓相が一変する。

そのご緩やかな傾斜のナメが延々とつづき、木地屋渓谷とともに荒城川で最も美しい見せ場となる。となりの沢上谷のナメもすばらしかったけれど、軍配は荒城川だろう。ひたすらヒタヒタと進むと、早くも行く手に3段35mの大滝が見えてきた。35mというのはたぶん全長で、高さは15mくらいだと思う。多くは高巻いているが、近づくと左水流際の壁から登れそうだった。Yさんが途中まで登ってみるが、上がってしまうと降りるのが大変なので呼び戻す。

もともと今回はここで引き返すつもりだった。時間的には先に進めるが、天候の悪化が気がかりであり、帰路も長い。柳谷のハイライトは遡行したので十分だ。沢沿いに林道が通っているが、大岩が立ちはだかり廃道化しているらしいので、沢を下ることにした。あのきれいなナメをもう一度歩けるのだからうれしい。

堰堤下に巻き降りたところでふたたび林道が近づく。興味がてら林道に入ってみようと沢を離れると、踏み跡となる。道なのかどうか判然としないが、ときどき古いコンクリートの壁が出てくるので間違いないようだ。道はしだいに沢から離れて高度を上げていったのでおかしいと思うが、沢と同じ方向に進んでいるのでそのままたどる。案の定、最後は行き止まりになってしまった。

どうもジグザグ道の屈曲点に取り付いて下るところを上がってしまったようだった。もっと早く地図を見ていればすぐにわかったはずなのに、気を許すととたんにこの有様だ。下流方向に進んではいるので道跡を離れ、緩やかに張り出した尾根をくだって柳谷橋に降り立った。最後は少し遊んでしまったが、ここからは立派な林道を歩く。

最後の20分ほどは雨に降られてびしょ濡れになりながら車に戻った。早めに切り上げてよかった。乾いた衣服に着替えて車を走らせると大雨になる。近くの恵比寿の湯に寄るつもりだったが、途中の道路事情が心配だったのでそのまま帰ることにした。

変更を重ねた末の荒城川だったが、もしふたたび機会があればもっと下流から遡行して、左俣左沢のナメを歩いてみたい。右俣とは違う、天に抜けるようなナメがつづくのだ。地図を見るとなんの特徴もない山域で、およそ興味をそそられそうもない沢だが、地域研究の一環として10年前にこの渓を世に紹介した山岳会に、遅まきながら敬意を表したいと思った。

 

 

 

930m入渓点7:50-植林小屋9:30-柳俣右俣出合10:40/11:00-大滝12:00/12:10-植林小屋13:00/13:15-入渓点14:40