ブナの沢旅ブナの沢旅
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2011.05.04
悪場峠~木六山~銀次郎山~銀太郎山~五剣谷岳~青里岳~矢筈岳
カテゴリー:雪山

2011年5月4日-6日

 

ブナの沢旅を初めて以来、毎年五月の連休は、南会津を中心に残雪期限定の登山道のない山を歩いて来た。今回は初めて越後の川内山塊に入り、その中でも最も奥深い矢筈岳をめざした。

故郷の「あの山の向こう」に、多くの岳人を魅了する川内山塊があることを知って以来ずっと気になる山だった。2年前の冬に粟ヶ岳に登ったとき、幾重にも波打つ山並みの中でひときわ白く堂々と見えた矢筈岳。あの時、つぎは矢筈に行くのだと根拠のない確信を持ったのだった。

今年の4月中旬の山行予定で、五剣谷山がほぼ決まりかけた。けれど直前になり、五剣谷に行ったらきっと矢筈岳に後ろ髪を引かれる思いをするはずだと心変わり。何度も気軽に行ける山域ではないので、行くなら時間を取って矢筈岳まで足を伸ばすことにした。

結局4月中旬は小出俣~阿能川岳へ、そしてさらに、好天に勇気づけられ俎嵓山稜に変更という相変わらずの土壇場山行となったが、いま振返れば、矢筈岳への階段を着実に登っていたような気がする。

矢筈岳は標高わずか1257mの低山にすぎないが、かつて「岳人」でマイナー12名山の雄に選定されたこともある、簡単には山頂を踏めない山。当然登山道はなく、無雪期には藪や蛭、アブに阻まれるため、残雪期のわずかな時期にしか登れない山なのだ。

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前夜のうちに登山口の悪場峠へ移動し、道路脇にテントを張って仮眠する。今年は残雪が多く悪場峠まで車が入れるか心配だった。案の定、チャレンジランド杉川との分岐には通行止めの看板が立てられていた。完全に道路を閉鎖している風でもなかったので、そのまま通行し、多少の瓦礫の押し出しはあったものの、問題なく悪場峠へ入ることができた。すでに7,8台の車が駐車していた。連休前半が悪天だったために3日前後に入山が集中したのだろう。

長い行程なので5時半には出発。悪場峠の明瞭な登山道を登って行くと、15分ほどで小さな石の祠がある仏峠へ。ここから水無平まではトラバース道となる。曇りがちの空だが、山は淡い新緑に覆われ春の訪れを心から喜んでいるように感じられた。

広い平地の水無平を通り過ぎるとカタクリの大群落が出迎えてくれる。これまた先週行った御前山のあのカタクリはなんだったのだろうと思いたくなるほどで、自然の豊かさ、厚みの違いを感じる。

ジグザグの急登で尾根にでるとブナ林の新緑が広がる。しばらく気持ちのいい雪堤を進むと登山道があらわれる。沿道にはイワウチワやショウジョウバカマが咲き乱れている。雪山のことばかりに気を取られて花は期待していなかった。眺めたり写真をとったりしてなかなか足が先に進まない。

ようやく最初の木六山へつくと360度の展望が開け、はるか先の銀次郎、銀太郎、さらに奥には初日の目標地である五剣谷岳が見えてきた。これらの山をいくつも越えて行くのかと思うと気が遠くなりそうだが、頑張るのだと闘志をかき立てる。他のパーティもやって来て賑やかな山頂となったところで先に進む。

七郎平までは緩やかなブナ林の尾根となり、新緑と花を楽しむハイキングコースのようだ。赤鼻ノ峰と小さなポコを越えると急斜面の登りとなるが、その先は尾根が広がって雪原台地が続く。途中で矢筈岳に登ってきたという単独の男性とすれ違う。何度か登っているらしい男性によれば、今年は残雪が多く、めったにない当たり年だという。その言葉に勇気づけられ、我々も登頂できそうだと期待する。

七郎平には1泊で五剣谷岳をめざしたガイド山行パーティのテントが二つ張られていた。マイナーながら、最近は隠れた人気の山域となっているのだろうか。少し複雑な気持ちがした。

ここまで進むと銀次郎・銀太郎が双子峰のように近づいて見えてくる。銀次郎山の登りは藪となるが、尾根筋に登山道があるので問題ない。ふたたび小さなポコをいくつも越えて銀次郎山へ到着。ここから先もかなり明瞭な踏み跡がある。藪がうるさそうな所は雪の斜面をトラバース。

銀太郎の山頂は地肌を出しており、立派な規格標識の足下には矢筈山岳会の手書きの標識が立てかけられていた。ザックが二つ置いてあるのは、早々と我々を追いこしていったご夫婦のもので、五剣谷岳を日帰りするのだといっていた。すごい健脚カップルだと感心することしきり。

いよいよ五剣谷岳が間近となる。その奥には青里岳からさらに守門まで展望できる。おおむね緩やかに広がる尾根歩きが続き、ブナの原生林がみごとだ。このあたりの芽吹きはまだだが、ブナの大木が素晴らしいので、かなわぬ願いと知りながらも新緑の姿を見てみたいと思う。

山頂直下は広い雪壁の急斜面を100mほど登る。トレースのステップがあるので疲れはするが苦労せずに登ることができた。振返ると、たどって来た山並みと樹林が絵画のように美しい。五剣谷岳は、五軒長屋のように横長のどっしりとした山容が名前の由来らしいとは越後の岳人、藤島玄の推測。広い台地なので一瞬どこが山頂かわからなかったが、藪で覆われた東端が少し盛り上がっていた。

西に長くのびた尾根を進むとテントが3張あった。それぞれ矢筈岳をめざしているのだろう。しばらく地図を片手に展望を楽しむ。道中常に視野にあった粟ケ岳がさらに近づいてきた。青里の奥にはいよいよ矢筈岳の姿も見える。きっと明日はあの頂へと、目が釘付けになる。御神楽岳は独立峰のようにずっと存在感を示し続けている。どの山も幾筋もの急峻な谷をもち、時々雪崩の轟音を響かせている。

当初我々もここでテントを張る予定だったが、まだ3時前なので、少しでも先に進んで貯金をすることにした。一旦100mほど下る。概ね稜線の雪尾根をブナ林沿いに進み、藪っぽいところは東側斜面をトラバースする。1120mポコに登り返すと先が藪で覆われており、この先はしばらくテンバ適地がなさそうなので、ここで初日の行動を終えることにした。

多少の整地をしてテントを張って中に入るころガスが出始め、あたりが真っ白になる。風も出てきたので、いいタイミングで行動を終えることができた。予定よりも先に進み、さい先のいいスタートとなったことにまずは乾杯。今回はザックの軽量化をはかり、初めてフリーズドライ食品を試してみたが、食品は進化しているのだと感じた。

矢筈岳2 矢筈岳3

夜中もずっと風が強かったので心配になったが、朝方にはやんでくれた。テントから外をのぞくと雲海の上から朝日が昇っている。その美しさに思わず歓声。素晴らしい自然のショーをしばし堪能することができた。その後ふたたびガスで視界がなくなったので出発を1時間ほど遅らせることにした。昨日の貯金のおかげだ。

出発すると直ぐに藪の下りとなるが、それほどひどい藪ではない。青里岳への最後の登りは急斜面の雪尾根だが、一歩一歩登るにつれガスが消え去り、青空がでてきた。いつも山頂に近づくと青空になるというジンクスが健在であることを喜びながら山頂へ。

標識は埋もれているのか見当たらなかったけれど、一番高いところを山頂として記念写真。山頂の先の尾根を進むと粟ケ岳へつながるのだなあと思う。眼下には雲海から山並みが頭を出している。すべてが絵になる光景だ。

矢筈岳までのルートは概ねなだらかに広がる雪尾根だ。慎重に下る尾根を確認しながら先へ進む。下り始めだけ藪をこぎ、あとは疎林の雪の斜面についたトレースを拾いながら一挙に200mほど下って955mの鞍部へ。ここからは実に穏やかなブナ林の雪原を緩やかに登っていく。去年歩いた飯豊の千石平万石平を小ぶりにしたような気持ちのいいところで、至福の稜線漫歩を楽しむ。

矢筈手前の峰は黒々としていたので、取り付きのところにザックを置き、ピッケルだけを手にして藪に突入。けれどここは矢筈をめざす人が必ず通過する藪なので、半分以上はうっすらと踏み跡があった。藪を抜けると前方に矢筈本峰が見えてきた。南斜面の雪の付き方が女性の横顔のように見えて面白い。

雪面をトラバース気味に登り、最後は雪壁を這い上がると山頂の一角だった。道中から十分に展望を楽しんできたが、山頂からの360度の眺めは格別だ。とくに南側の下田の山並みが幾重にも波打ち、いまだ真っ白な守門や浅草岳につながっている。その先にはうっすらと毛猛から未丈ケ岳の稜線、さらに南会津の丸山、三岩岳方面の山並が高く空に浮き上がって見える。

いままでに登った山の多くを同定し、あらためてここから見える越後と会津の山が好きなのだと感じる。昨日は黄砂の影響で全体が霞んでいた。今年の連休に矢筈をめざしたパーティの多くは3日に入山して4日に登頂した様子だ。仕事の都合で4日からの入山となったのだが、結果的には天候も登頂のタイミングも最良の選択となった。

今シーズンを憧れの山で締めくくることができた喜びが静かにわいてくる。同時に、あとは帰るだけだと思うと寂しい気持ちになる。けれど、一度たどって来た道とはいえ、消化試合のように考えてはもったいない。素晴らしいルートをもう一度反対の方向から歩けるのだもの。名残惜しい気持ちで山頂をあとにするが、藪をやり過ごしたあとの緩やかな雪原尾根の下りはまるで円形劇場でパノラマ展望を鑑賞しているようだ。

尾根が北に向きを変えて下ったところで単独の中年男性とすれ違う。話を聞くとこれから矢筈を往復して銀太郎山近くのテンバに戻るのだという。明るいうちに戻れないことは承知とのことだが、あまりにも長い行程に驚く。

初日は悪場峠への通行止めを真に受けてチャレンジランドに車を止め、悪路のグシノ峰経由のコースをたどったため時間がかかり、銀太郎で行動を終えたのだという。100名山を歩いたが飯豊の素晴らしさを再認識したと、山の話がつきない。昨年の連休は二王子から門内岳を歩いた話をすると、男性は我が意を得たりと目が輝き、そのコースを今狙っているのだと語った。

そんなこんなで長い立ち話となった。別れ際にアメを持っているかと聞かれたので二粒手渡して先に進んだ。山慣れしている人のようだったが、この男性のことは後々気になったのだった。

鞍部から青里岳までの200mの登りで最後は藪こぎとなり疲れがでてきた。山頂からの雪の急斜面の下りが心配だったが、ステップが深く切ってあるので心配するほどではなかった。ほんとうにアップダウンの連続だ。いい加減うんざりしながら藪のポコを登ると、ひょっこりとテントのある雪堤に飛びだした。結局二日目も10時間近くの行動となり疲れたが、大きな仕事をやり遂げた充実感に満たされた。

疲れたときにアルコールを入れると気分が悪くなるのはわかっていたが、ついビールを美味しく飲んでしまった。案の定気分が悪くなり、sugiさんが食事の支度をしている間寝込んでしまう。気がついたら夕日が沈みかけている。昼間会った男性のことを思いだすが、我々の場所を通過したのかどうかわからなかった。

とても静かな夜で、満天の星空だった。往路を戻るとはいえ、最後の最後まで気が抜けず、翌朝はこれまでで一番早く3時に起床、5時には出発する。早朝から空は澄み渡り好天が約束されているようだ。軽アイゼンをつけ、しまった雪を踏んで行く。

五剣谷岳から銀太郎山へ向う途中、952m尾根の分岐近くの窪地にさしかかると赤いテントが見えた。昨日の男性が語っていたpromonteのロゴがついたテントだった。一瞬あっと思ったが、まだ7時をまわったところ。最終日は楽だと言っていたし、きっと昨晩は長丁場で疲れてまだ寝ているのだろうと、声をかけずに通過した。

銀太郎を過ぎたころから虫がうっとうしくなってきた。来るときにはまったくいなかったのに2日間で一斉に孵化したのだろうか。ところが木六山を過ぎると再びバタッといなくなり、不思議だった。

銀次郎山では、2日前には雪で隠れていた登頂記録帳のスチールボックスがでていた。一足先についたsugiさんが、さっそくノートにコースを書き込んでいたので、私は感想を付け加えた。(これから行く機会がある人は記録帳をみてください)

七郎平手前の雪の台地で昼食の大休憩をとる。インスタントラーメンをゆで、残った野菜やベーコン、ゆで卵をいれるとそれなりに美味しい食事となった。小一時間ほどゆっくりするが、暑さでバテ気味だ。せっせとボトルに雪を入れカシャカシャふっては冷水で喉を潤すことしばし。

2日間でさらに鮮やかになったブナの新緑に慰めを見いだしながら、いくつもポコを越えてようやく最後の木六山へ到着。これから先は下りだけだと思うと嬉しいが、川内山塊の展望ともここでお別れだ。どんどん下ると水無平でふたたびカタクリ群落が出迎えてくれた。頑張って矢筈岳に登ってきたのだよ。ここでザックを放り投げ最後の休憩。

ほんとうは少し登ってトラバース道を行くはずの所、カタクリの魅力に引き込まれてまっすぐ小径を進んでしまう。両側の山の斜面はカタクリで覆い尽くされており、まさに秘密の花園といった場所だった。興奮気味にどんどん下ってしまったが、直ぐに気づいたのでご愛敬。むしろ道間違いのおかげで素晴らしい花園に出会えたことを喜ぶ。最後はむせかえるような新緑のトンネルをくぐって悪場峠に降り立った。

連日10時間行動と、ハードな山行となったが、それだけにやり遂げたという充実感は大きい。最初は、二度と来ることはないだろう山塊だから一度で矢筈まで行ってしまおうと、ある意味効率を追求した計画を立てた。けれど実際に歩いて見ると、川内の山はそんな理屈が当てはまるようなちっぽけな山域ではなかった。

今回はその魅力の一端を俯瞰しただけにすぎないが、残雪期限定の魅惑の山が他にもたくさんある。お気に入りの山域がまた一つふえたことを喜びながら、さくらんど温泉で三日間の汗を流し、帰京した。

4日 悪場峠5:30-木六山8:00-銀次郎山11:00/11:10-銀太郎山12:20/12:35-五剣谷山14:20/14:30-1120mテンバ15:40

5日 テンバ6:10-青里岳7:35-矢筈岳11:00/11:30-青里岳14:50-テンバ15:40

6日 テンバ5:00-五剣谷山6:18-銀太郎山7:53-銀次郎山9:20-七郎平山10:35/11:20-木六山13:10-水無平14:30/15:10-悪場峠15:45

 

補記:

後日あるブログサイトで、私たちと同一日程で矢筈岳をめざした単独の男性が遭難したという地元の情報を見つけた。とても驚いたが、途中で出合ったあの男性だと確信した。家族からの捜索願いにより、警察は8日にヘリを飛ばして矢筈岳から青里岳の間をくまなく捜索したが発見できなかったとのこと。同時に地元の矢筈山岳会も救助の捜索に入山したものの、悪天に阻まれて1泊で下山したことを知った。

私たちも地元警察と矢筈山岳会に連絡を取り、わかっていることを伝えた。いまだに見つかっていないという。出合った時間は1時半ころで絶好の日和。とくに危険箇所もなかったはずだが、いったい何が起こったのだろうか。他人ごとではなく気がかりだ。振返れば多々思うところはあるが、すべて憶測の域を出ない。いまはただ、捜索が再開されて一日も早く安否が確認されることを祈るばかりである。(2011年5月12日現在)