ブナの沢旅ブナの沢旅
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2009.08.24
苦土川井戸沢~中ノ沢下降
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2009年8月24日

 

歴史の道をたどって沢登り!シリーズ二回目は那須の井戸沢へ、とはこじつけだが、先月悪天で変更した経緯もあり、再計画した。夏休み山行を数日後に控え、少しあわただしかったが、世の中がお盆休暇のときに出張が入ったり仲間が避暑に引っ込んだりしてしばらく沢にいけなかったので、一日のお手軽コースとして再浮上。とにかく登れる滝が次々とあらわれて楽しいという評判どおりの沢だった。

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前日の夜大宮駅に集合し、24時間営業のレンタカーで深山湖をめざす。湖岸道を走り、鬼ケ面橋手前の空き地にテントを張って仮眠。翌朝林道ゲートまで進んでから歩き始める。今回は沢登りだけではなく、歴史の跡をたどることも楽しみの一つだ。50分ほど歩くと左手に多くの墓碑や石仏が見えてきた。文化、安政さらに天保などの年代が読み取れる。

宿の跡地はぽっかり空いた草地で、道路沿いに石灯籠や石像が点在していて往年をしのばせる。崩れ落ちたものを復元してあるようだ。会津中街道の新道が開かれ、参勤交代の宿として開かれたのち、白湯山信仰の拠点や湯治場として栄え、一時は24戸の集落をなしていたところ、戊辰戦争で全焼。その後再建されて昭和32年まで人が住んでいた。安政3年(1856年)の山開きには1008人の行者が集まったという古い記録が残っており、戊辰戦争時には千人以上もの駐屯があったという。

不思議な雰囲気が漂っているこの空間にたたずんで目を閉じると、そうした歴史の情景が浮かんでくる。白湯山とは御沢の中流域で白濁の湯が流出するあたりをさすとのことで、信仰は第二次大戦ころまで続いていたという。

宿跡と反対側の谷に向けて小道が続いており、行き止まりの崖淵には白湯山と書かれた大きな鳥居が復元されていた。あれこれと想像がふくらみ、沢登りに来たことを忘れてしまいそうなほど興味を引かれた。

すぐに沢に下る道へ導かれ、苦土川の川原に降りたつ。ここで沢装備をつけて少し進むと左手にガレ沢が出合う。あらかじめ情報がなかったら、見過ごしてしまいそうな貧相な出合だ。倒木を避けるために土手に上がると道があり、看板が立っていた。

大峠から三斗小屋宿に続く昔の街道は地図に載っていないが7月に有志が刈り払いしたという案内板があった。ガレ沢をしばらく行くと唐突に大きな丸太の堰堤があらわれる。何のためなのか意味不明。左手から巻いて沢に降り立つと水がでてきた。

小滝を二つ越えると核心の15m大滝。私たちに先行して入渓した2人パーティがロープを出して取り付いていた。時間がかかりそうだったので中段まで上がって右手奥の巻き道を探ってみたが、直登より悪そうだったので待つことに。

「いつも私ばかりおいしいところとっちゃ悪いからYさんリードしたら?」と水を向けると「全然おいしくないよ」と、しぶしぶ先行。ほんの一部だがハングの乗り越しがあるので中段からロープを引いてもらう。とはいえ残置があるので問題なし。笹薮の明瞭な踏みあとをたどって沢床に下りる。

すぐに4、2、2mの3段滝となり、以降ナメやナメ滝が連続して川原歩きというものがない。4mの直瀑を右手から越えると岩盤の発達した12m逆くの字滝が白い流れをくねらせている。続く10m幅広スダレ状滝はなかなか見ごたえがあり、笹木沢の鎧滝を連想させる。左岸を登り、少しいやらしい落ち口付近は潅木を頼りにクリア。

右岸がスラブの5m垂直滝は左から小さく巻いた。緩傾斜の12mは簡単だがぬめっている。すぐにふたたび見栄えのする階段状15m滝があらわれる。すたすたと登れてじつに壮快なり。滝上は一挙に前方が開け、稜線が見えてきた。5、6m程度の幅広の岩棚のような滝がつづき、確かにこの辺りはミニ版米子沢の渓相だ。

二俣で休憩。二俣を右に進むと奥の二俣となり、さらに右に進む。水流は細くなるが10m程度の滝がつづく。15mのトイ状涸滝を登ると滝登りは終了。ゴーロの急騰でぐんぐん高度を稼ぎ、最後は浮石の多い窪地を登ると笹薮となる。

振り返ると正面の山頂に大きな沼原池が見える。さらに左手には荒々しい風貌の鬼ケ面山が中腹から二筋の白い煙を吐いている。爽快な展望である。傾斜が緩んで笹をかき分けて稜線へ。とてもすっきりとした遡行だった。沢装備のまま流石山方面へすすむ。

 

 

 

 

ニッコウキスゲの季節は終わっていたが、(わかったものだけでも)ハクサンフウロやウメバチソウ、ウスユキソウ、コキンレイカ、シラネセンキュウ、エゾリンドウ、ソバナ、オニシモツケなどのお花畑が広がっており、予想外のことに目を楽しませてくれた。お花畑を愛でながら、戊辰戦争の激戦地となった歴史のある大峠へ。大砲がこの峠を越えたという。

くしくも145年前の8月23日は、ということは昨日、会津軍が大峠の要塞を失い会津に敗走した日であり、白虎隊士が飯森山で自害した日とのこと。大峠が開かれたのが1695年!会津西街道(日光街道)の五十里村が地震で水没してしまったため、江戸廻米を確保するための新しい街道を得る必要に迫られ開かれた。

一時は参勤交代にも使われたが、地形の険しさゆえその繁栄は長続きしなかったとのこと。そしてふたたび歴史の舞台に登場するのが戊辰戦争。新旧の地蔵が峠道の両脇に置かれている。う~ん、この素晴らしい山々のお花畑に囲まれた峠に、そんな歴史があったなんて感慨深い。などと、最近は婆臭く歴史にしみじみしてしまう。

さて、大峠を後にして中ノ沢出合へ。このあたりにはきれいなブナ林が広がっており、快適な道だ。中ノ沢からふたたび沢に入るが、最初はゴーロの沢床を下る。井戸沢と雰囲気が異なり、樹林に囲まれたしっとりとした渓相が好ましい。

赤岩沢が合流するあたりから待望のナメがあらわれ始めたと思ったら、あとはナメ、ナメ、ナメの連続。予想していた以上に素晴らしい。稜線では時折ガスが出て曇り空だったが、中の沢に入るころまでには快晴となり、ナメ床の白くさざ波立つ水流が日の光に照らされてきらめいている。なんとグッドタイミング。下降の沢にしてしまうのはほんとうに惜しい。なんてステキなフィナーレなんだろうと頬が緩みっぱなし。

峠沢を合わせてからは沢床が赤みを帯びてくる。沢幅はさらに広がり、緩やかな傾斜のナメがさらに続く。かなり下ったところで登山道が横切る。先月刈り払いされた大峠から三斗小屋宿跡へ続く道だ。沢床がふたたびゴーロっぽくなってきたので、少しでも旧道を歩いてみようとここから道にあがる。

すぐに今朝確認した井戸沢出合いの看板のところに導かれた。出合下の川原で装備をとく。短い行程ながらとても変化に富んだいいコースだった。ふたたび通った三斗小屋宿跡にえも言えぬ余韻を感じながら車止めにもどった。

 

 

 

林道車止め6:20-三斗小屋宿跡7:00/20-苦土川入渓点(井戸沢出合手前)7:30/50-二俣9:50/10:00-登山道11:15-大峠12:20-中ノ沢下降点13:00-井戸沢出合14:35/15:00-林道車止め15:30